第2話



「……エルバト大神殿に?」



 いつも通りリュティスの住む奥館の一室で魔術の講義を受ける為に、彼の前に座ったメリクは、リュティスが一週間後女王であるアミアカルバの名代として南方のエルバト王国にある大神殿に向かうことをリュティス自身の口から聞かされたのだった。


【有翼の蛇戦争】時に各国を歴訪し、戦の混乱を鎮め歩いた女王アミアカルバは今も、エデン各国に強い影響力を持っている。

 親交の為に招待されることもあれば、牽制の意味で訪問することもある。

 その際多忙を極めるアミアのかわりに名代として、王弟リュティスが立てられることも何度もあった。驚くほどのことではない。


 少し長い滞在になる、とリュティスは言った。


「そうですか」


 昔のメリクなら目的を聞いただろうが、リュティスと正式な師弟関係を結んですでに三年の時が流れようとしている。十六歳になったメリクはリュティスの前では己から言葉を発するということに、慎重であるべきだということをよく理解していた。

 自分の前では不必要なことは何一つ口にしないこの魔術の師の前では、言われたことのみを深く考えるべきだということも。


「古の時代、闇の魔力を隻眼ひとつめの神によって吹き込まれた魔具がエルバトに封じてある。【闇の目ファヴニール】という」


「……隻眼ひとつめの……」


 普通の人間ならば聞き逃しただろう単語にメリクは反応した。

 魔術知識の中で【隻眼ひとつめ】という単語は特別な意味を持つ。



『【隻眼】の巨神イシュメルは己の片目を代償にその白雷の宿る腕で闇を裂き、神の死角となる異空の領域を手にした異能の神――――』



 雷、内なる憤怒、そして隠された知を司ると言われる。

 リュティスの第一座の属性でもある。

【隻眼】の単語を冠する魔具となると、神の関わる特異な魔具なのだろうとメリクは考えた。


「もともとはエルバト王国に伝えられて来た神器だが、十五年ほど前に一人の魔術師がその封印を解き神気に乗っ取られたまま王を唆し、エルバト王国を混乱に至らしめた。

 ……【有翼の蛇戦争】のきっかけにもなったこの魔具はその折、アミアカルバが破壊して神気を断ち切ったのだが、完全には封印が成されていなかったらしい。最近再び魔力を発するようになって王宮から大神殿に移されたのだが、封印魔法の使い手がいないためサンゴールがその役を担うことになった」


 メリクは小さく頷く。


 リュティスが名代に立てられた理由は分かった。

 確かに魔術相手となるとアミアには手に負えないだろう。そしてリュティスならば難無くその役をこなすに違いない。

 

 しかし、魔術師の意識を乗っ取るという言葉に少し不安になった。


「…………危険ではありませんか?」


 リュティスがメリクの方を見たので、メリクは目を伏せる。

 だがリュティスは叱らず足を組んだ。

「案ずることは無い」

 メリクは頷いて、もうそのことについて何も言わなかった。


「その際、封印の儀式の他に宮廷での謁見やら大神殿での浄化式やら行事で色々長引く。この際そのまま北上しガルドウーム王国の情勢視察なども行って来るゆえ……そうだな、三月は不在にする」


 メリクは視線を落としたまま、リュティスに気づかれないように心の中で長いなと思った。


「基礎魔術論も今の【属性交換法ぞくせいこうかんほう】を教えれば、あとは教えることは無い」


 続けられた言葉にメリクは僅かに目を見開いた。

 コツ……、とリュティスが立ち上がり背を向けて窓辺に立つ。



「あとはお前自身が己を律し、戒め、真理の慧眼を持つ魔術師となれ」



 今まで何度もリュティスが自分という存在を嫌がり遠ざけようとしたことはあった。

 だが今のはそういう嫌悪とは無縁な、はっきりとリュティス自身が理知的観点から下した判断なのだということは分かった。

 リュティスに認められたのだ。

 嬉しかった。

 それは確かだが、それだけではない何かが自分の中にある。


 メリクは今読み進めてる魔術書の、残り少なくなったページを見た。

 あと一週間で、リュティスの側から離れなければならないのだ。


(いつかは、そうなると思っていたはずだ)


 それでも教えるべきことを教えた後も、リュティスが自分を何かの形にしろ、自分の側に置いてくれると微かな望みを持つほどには、メリクはまだ夢見がちだった。

 現実は夢など見せ続けてはくれない。

 メリクは窓辺に立つリュティスの背を見つめた。

 太陽の光の中に立つリュティスはすでに、その頭の中を遠征先で対峙する、強大な古の魔具のことへ切り替えているようだった。


 ……だがメリクの魔術の師は聡い。


 リュティスが振り返る前に、メリクは無理矢理彼の背中に向けていた視線を自分から外した。

 

 文字通り、身を引き裂かれるほどの思いで、そうしなければと思ったから。


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