第33話

数日後、俺とアルマ、そしてゼノンと数人の手練れの使徒たちは、魔王軍の拠点があるという北方の山岳地帯へと向けて出発した。

道中、アルマは今回の作戦の目的について、より詳細な説明を俺にした。

「カイ様、我々が目指すのは、魔王軍の『魂の祭壇』と呼ばれる施設です。そこでは、捕らえた人間の魂を生贄として捧げ、魔力を増幅させるという忌まわしい儀式が日夜行われております」

「魂の祭壇…か。そこで、俺は何をすればいい?」

「その儀式を逆用するのです。祭壇に蓄えられた膨大な魔力と、そして捧げられる魂の力を、カイ様ご自身のものとして取り込んでいただきます。それにより、カイ様の闇の力はさらに増大し、そして…魔王に匹敵するほどの存在へと近づくことができるでしょう」

アルマの言葉は、俺の心の奥底にある渇望を強く刺激した。

魔王に匹敵する力…それを手に入れられるのなら、どんな危険も厭わない。

そして、その過程で「贄」となる魂を喰らえるのなら、なおのことだ。


「ただし、カイ様。その祭壇は砦の最深部にあり、そこへたどり着くには、幾重もの警備を突破しなければなりません。そして、祭壇を守るのは、魔王軍の中でも特に強力な魔術師や戦士たちです」

ゼノンが、険しい表情で付け加えた。

「ふん、数が多いだけの雑魚どもだろう。俺のこの力の前では、赤子同然だ」

俺は、全身から立ち昇る黒いオーラを微かに揺らめかせながら、自信満々に言った。

あの修道女の聖なる魂を取り込んだことで、俺の闇の力は以前とは比較にならないほど強大になり、そして制御も容易になっている。

今の俺なら、どんな敵が相手でも負ける気はしなかった。

「カイ様のお力は、確かに絶大です。ですが、油断は禁物。魔王軍も、我々の動きを察知しているやもしれません」

アルマは、冷静に俺を諌めた。

だが、その言葉も、今の俺の耳には届いていなかった。

俺の頭の中は、ただ、これから始まるであろう戦いと、そしてそこで得られるであろう新たな力への期待で満たされていたのだ。


数日間の過酷な行軍の末、俺たちはついに目的の砦が見える場所までたどり着いた。

それは、切り立った崖に囲まれた天然の要害に築かれた、巨大な黒鉄の砦だった。

城壁の上には、無数の見張り兵が立ち、禍々しい気を放つ魔獣たちが周囲を巡回している。

アルマの言った通り、ここは魔王軍の重要な拠点の一つであることは間違いなさそうだ。

「…見事なもんだな。これだけの警備を敷いているとは」

俺は、感心するでもなく、ただそう呟いた。

「カイ様、作戦通り、まずは夜陰に紛れて砦の内部へと潜入いたします。祭壇の場所は、既に我々の斥候が突き止めております。そこまでの経路を確保するのが、我々の役目です」

ゼノンが、低い声で指示を出す。

「そして、カイ様には、祭壇で儀式が始まる直前に、その中心へと乗り込んでいただき、全ての力を奪い取っていただく。よろしいですかな?」

「ああ、分かっている。だが、一つだけ言っておく。もし、途中で面白そうな『食料』を見つけたら、俺はそれを優先するかもしれんぞ」

俺の言葉に、ゼノンは顔を顰めたが、アルマは静かに頷いた。

「カイ様のお心のままに。ただし、目的を見失うことだけはなさらぬよう」

その言葉は、忠告のようでもあり、あるいは俺の行動を容認しているようでもあった。


その夜、俺たちは月明かりもない暗闇に紛れ、砦への潜入を開始した。

ゼノンや他の使徒たちの動きは、驚くほどに俊敏で、そして隠密だった。

彼らは、まるで影のように城壁を乗り越え、見張り兵たちを音もなく始末していく。

その手際の良さは、もはや暗殺者の領域だ。

こいつら、本当にただの「世界の変革を望む者たち」なのか?

俺の中で、彼らに対する疑念が、再び鎌首をもたげる。

だが、今はそんなことを考えている場合ではない。

俺もまた、彼らに遅れを取らぬよう、黒いオーラを極限まで抑え込み、気配を殺して砦の内部へと侵入していく。

城壁の内側は、思った以上に広大で、そして複雑な構造をしていた。

いくつもの建物が密集し、その間を兵士たちが絶えず巡回している。

俺たちは、物陰から物陰へと身を隠しながら、慎重に奥へと進んでいった。


時折、見張りの兵士と遭遇することもあったが、その度にゼノンや他の使徒たちが、俺が手を出すまでもなく、あっという間に片付けていく。

彼らの使う武器は、剣や短剣だけでなく、毒針や締め具といった、より暗殺に適したものも含まれていた。

その戦いぶりは、どこか俺の「捕食」と似ているような気がした。

効率よく、そして確実に、相手の命を奪う。

ただ、彼らはその命を力に変えることはできない。その点だけが、俺と彼らの決定的な違いだった。


「カイ様、この先の広場を抜ければ、祭壇のある神殿はもうすぐです」

アルマが、俺の耳元で囁いた。

その広場には、他の場所よりも多くの兵士たちが集まっている。どうやら、何かの集会でも開かれているようだ。

その中には、人間兵だけでなく、オークやゴブリン、そしてリザードマンのような亜人の姿も見える。

そして、その中央には…一人の男が立っていた。

黒いローブを纏い、その顔はフードで隠れていて見えない。だが、その男から放たれる気配は、尋常ではなかった。

禍々しく、そして強大な魔力。

おそらく、この砦の指揮官か、あるいは祭壇で儀式を執り行う高位の魔術師なのだろう。

「アルマ、あいつは?」

「…恐らく、魔将軍の一人、ザルヴァークでしょう。魔王の右腕とも呼ばれる、強力な魔術師です。まさか、このような辺境の砦に、彼自らが出向いているとは…」

アルマの声には、僅かな動揺が感じられた。

魔将軍ザルヴァーク…か。面白そうだ。

こいつを喰らえば、どれほどの力が手に入るだろうか。

俺の口元に、自然と笑みが浮かぶ。


「カイ様、計画を変更いたします。ザルヴァークがいるとなれば、正面からの突破は困難です。ここは一旦退き、改めて策を練り直しましょう」

ゼノンが、冷静に判断を下す。

だが、俺はその提案に首を横に振った。

「退く? 馬鹿な。目の前に極上の『食料』がいるというのに、みすみす逃すわけがないだろう」

「しかし、カイ様! ザルヴァークは、我々が束になっても敵う相手では…!」

「案ずるな。俺一人で十分だ。お前たちは、ここで見ていろ。俺が、あの魔将軍とやらを喰らい尽くすところをな」

俺はそう言うと、ゼノンたちの制止も聞かず、広場へと躍り出た。

そして、全身から黒いオーラを最大限に噴き出させ、ザルヴァークに向かって叫んだ。

「おい、魔将軍ザルヴァークとやら! てめえの魂、俺が喰ってやるぜ!」


俺の突然の登場と挑発に、広場にいた兵士たちは一瞬呆気に取られたようだったが、すぐに怒りの表情を浮かべ、俺を取り囲むように動き始めた。

ザルヴァークだけは、フードの奥から冷たい視線を俺に向けたまま、微動だにしない。

「…何者だ、貴様。我が名は魔将軍ザルヴァーク。貴様のような下郎が、気安く呼んでいい名ではないぞ」

その声は、低く、そして威圧的だった。

「下郎、だと? 面白いことを言う。今からてめえを喰らう俺が、下郎なものかよ」

俺は、黒いオーラを剣の形に凝縮させ、ザルヴァークへとその切っ先を向けた。

「喰らう…? フン、面白い冗談だ。貴様のような雑魚が、この私を喰らうだと? 身の程を知れ」

ザルヴァークが、嘲るように言った。

その瞬間、俺の怒りが沸点に達した。

「雑魚だと…? ならば、その言葉、後悔させてやるぜ!」

俺は雄叫びを上げ、ザルヴァーク目掛けて突進した。

周囲の兵士たちが、俺の行く手を阻もうと襲いかかってくるが、今の俺の敵ではない。

黒いオーラの刃が閃くたびに、兵士たちの首が飛び、手足が舞う。

血飛沫が、俺の視界を赤く染める。

だが、そんなものは関係ない。俺の目は、ただ一人、ザルヴァークだけを捉えていた。


ザルヴァークは、俺の虐殺を冷ややかに見つめていたが、やがてその手をゆっくりと持ち上げた。

「…少しは楽しませてくれるかと思ったが、所詮はこの程度か。ならば、塵となるがいい」

その言葉と共に、ザルヴァークの手から、巨大な黒い雷撃が放たれた。

まずい! あれは避けられない!

俺は咄嗟に黒いオーラで防御壁を作ろうとしたが、間に合わない。

雷撃が、俺の身体を直撃する。

「ぐ…あああああああああっ!」

全身を、焼かれるような激痛が襲う。

視界が真っ白になり、意識が遠のいていく。

これが…魔将軍の力…!

俺の黒いオーラなど、まるで赤子の手をひねるように、いとも簡単に打ち破られてしまった。

強すぎる…!

俺は、地面に叩きつけられ、動くこともできない。

黒いオーラも消え失せ、身体からは力が急速に失われていく。

そして、腹の底からは、これまでで最も強烈な飢餓感が、まるで俺の魂そのものを喰らおうとするかのように、湧き上がってきていた。

まずい…このままでは、本当に…喰われる…!

ザルヴァークが、ゆっくりと俺に近づいてくるのが見えた。

その顔には、冷酷な笑みが浮かんでいる。

「…終わりだ、下郎。貴様の魂、我が糧としてくれるわ」

その言葉が、俺の耳に届いた瞬間、俺の中で何かが弾けた。

まだだ…まだ、終わってたまるか…!

俺は、このままでは終われない…!

俺は、喰らう側なのだ! 喰われる側ではない!

俺は、最後の力を振り絞り、ザルヴァークに向かって手を伸ばした。

そして、叫んだ。

「うおおおおおおおっ!」

その瞬間、俺の身体から、黒いオーラとは違う、あの「温かい光」が、再び溢れ出したのだ。

それは、以前よりもずっと力強く、そして眩いばかりの輝きを放っていた。

「なっ…!? その光は…まさか…!?」

ザルヴァークが、信じられないといった表情で目を見開く。

その光は、俺の身体を包み込み、傷を癒し、そして新たな力を与えてくれるようだった。

俺は、温かい光を纏ったまま、ゆっくりと立ち上がった。

そして、ザルヴァークを真っ直ぐに見据える。

「…まだ、終わりじゃないぜ、魔将軍」

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