第31話

アルマに導かれるまま、俺たちは修道院の裏手にあるという隠し通路へと向かった。

月明かりだけが頼りの暗い森の中を、ゼノンと数人の使徒のメンバー、そして俺とアルマが進んでいく。

彼らの足取りは慣れたもので、まるで自分の庭を歩くかのように迷いがない。こいつら、やはり事前に相当な準備をしていたらしい。

「カイ様、この先の古い井戸が、修道院の地下聖堂へと繋がる入り口となっております」

アルマが、立ち止まって小さな声で説明した。

目の前には、蔦に覆われた古びた石造りの井戸があった。とても人が入れるような大きさには見えないが。

「ここから入るのか? 冗談だろう」

「ご安心ください。この井戸には仕掛けがございまして」

ゼノンが、井戸の縁にある特定の石に手をかけ、軽く押し込んだ。

すると、ゴゴゴ…という低い音と共に、井戸の底の一部が横にスライドし、人が一人やっと通れるくらいの暗い穴が現れた。

「…なるほどな。用意周到なことだ」

俺は、感心するでもなく、ただそう呟いた。

こいつらの手際の良さは、もはや不気味ですらある。


「では、カイ様、アルマ。お二人で先にお進みください。我々は、外で見張りを固めます。万が一のことがあれば、すぐに合図を」

ゼノンが、俺とアルマにそう指示した。

どうやら、今回の「贄」の確保は、俺とアルマの二人だけで行うらしい。

それだけ、俺の力を信用しているということか、あるいは、何か別の意図があるのか。

「分かった。アルマ、行くぞ」

俺は、アルマに促され、その暗い穴の中へと躊躇なく足を踏み入れた。

中は、ひんやりとした湿った空気が漂い、カビ臭い匂いが鼻をつく。

狭い石段が、螺旋状に地下へと続いていた。


どれほど下っただろうか。やがて、俺たちは一つの小さな木の扉の前にたどり着いた。

アルマが、その扉に軽く手を触れると、音もなくそれは内側へと開いた。

その先は、薄暗い石造りの通路だった。壁には、所々松明が灯されており、ぼんやりと周囲を照らしている。

「…ここが、修道院の地下聖堂か」

「はい。目的の人物は、この先の礼拝堂の奥にある私室にいるはずです。警備の者は、数名程度かと」

アルマは、こともなげに言う。

まるで、これから散歩にでも行くかのような口ぶりだ。

俺は、剣の柄を握り締め、黒いオーラを微かに立ち昇らせた。

飢餓感は、まだそれほどでもない。だが、これから始まる「饗宴」を思うと、自然と身体が高揚してくるのを感じる。


通路を進むと、すぐに二人の見張りの修道士が俺たちの姿に気づき、驚いたように声を上げた。

「な、何者だ!?」

「どこから入ってきた!」

彼らは、手に持っていた槍を構え、こちらへ向かってくる。

だが、今の俺の敵ではない。

俺が動くよりも早く、アルマがその手から数本の銀色の針のようなものを放った。

シュシュッ、という短い音と共に、修道士たちは短い呻き声を上げてその場に崩れ落ちる。

眠り薬か、あるいは麻痺薬でも塗ってあるのだろう。手際がいい。

「…アルマ、お前もなかなかやるじゃないか」

「カイ様のお手を煩わせるまでもございませんから」

アルマは、表情一つ変えずにそう言った。

その瞳の奥には、冷たい光が宿っている。こいつもまた、俺と同じ種類の人間なのかもしれない。


礼拝堂は、静まり返っていた。

祭壇には、大きな十字架が掲げられ、その下には数本の蝋燭が揺らめいている。

神聖な場所のはずなのに、今の俺には、どこか不気味な場所にしか感じられない。

俺たちの目的の人物は、この奥の私室にいるはずだ。

アルマが、音もなく私室の扉を開ける。

そして、俺はそれを見た。

部屋の中央にある簡素なベッドの上で、一人の若い女が静かに眠っていた。

年の頃は、二十歳くらいだろうか。長い金色の髪が枕に広がり、その寝顔はまるで天使のように美しく、そして儚げだった。

その身体からは、確かに、アルマの言っていた「聖なる力」の気配が微かに感じられる。

これが、王族の最後の生き残り…そして、俺の次なる「贄」か。


俺の喉が、ゴクリと鳴った。

飢餓感が、再び鎌首をもたげ始める。

その白い首筋、その柔らかな肌、そのか細い手足…その全てが、俺にとっては極上の「食料」に見えた。

今すぐにでも、この場で喰らい尽くしてしまいたい。

その衝動に駆られ、俺は一歩踏み出そうとした。

「お待ちください、カイ様」

アルマが、静かに俺を制した。

「…なんだ、アルマ。邪魔をするな」

「カイ様のお気持ちは分かります。ですが、先程も申し上げました通り、この方の魂を完全にカイ様のものとするためには、儀式が必要なのです。どうか、それまでご辛抱を」

儀式…またそれか。

忌々しい。だが、アルマの言う通り、この女の「聖なる力」とやらを最大限に引き出すためには、それが必要なのかもしれない。

それに、この女は抵抗する様子もない。これなら、アジトへ連れ帰るのも容易だろう。


「…分かった。だが、あまり時間をかけるなよ。俺の我慢も、そう長くは続かん」

俺は、名残惜しそうにその女の寝顔を見つめながら、そう言った。

「カイ様のご理解、感謝いたします。では、この方をアジトへお連れしましょう。道中、騒がれては厄介ですので、少し眠っていただきます」

アルマはそう言うと、眠っている女の首筋に、そっと銀色の針を一本突き立てた。

女は、僅かに眉をひそめたが、目を覚ますことはなかった。

これで、準備は整った。


俺とアルマは、眠ったままの女を抱え上げ、来た道を戻り始めた。

ゼノンたちが、井戸の入り口で俺たちを待っていた。

彼らは、俺たちが女を確保してきたのを見ると、満足そうな表情を浮かべた。

「ご苦労だったな、カイ殿、アルマ。これで、我々の計画はまた一歩前進した」

ゼノンが、得意げに言う。

俺は、その言葉を黙って聞き流した。

こいつらの計画など、どうでもいい。俺が興味があるのは、この女を喰らった時に得られる力だけだ。


アジトへ戻ると、すぐに「儀式」の準備が始められた。

例の、石の台座がある部屋だ。

女は、その台座の上に横たえられ、アルマとエリアスが、何やら複雑な紋様を床に描き始めた。

ゼノンは、古びた書物を広げ、呪文のようなものを詠唱している。

部屋の中には、香のようなものが焚かれ、異様な雰囲気が漂い始めていた。

俺は、その様子を壁際で腕を組みながら見守っていた。

飢餓感は、もはや限界に近い。

早く、この儀式とやらを終わらせて、この女を喰らいたい。

その衝動だけが、俺の思考を支配していた。


やがて、準備が整ったのか、アルマが俺の方を振り返った。

「カイ様、準備が整いました。どうぞ、台座のそばへ」

俺は、言われるままに台座へと近づく。

眠っている女の顔は、相変わらず美しい。だが、その美しさも、今の俺にとっては食欲をそそるためのスパイスでしかなかった。

「カイ様、この儀式は、あなた様の魂と、この方の魂を一時的に同調させ、その聖なる力を効率よく吸収するためのものです。多少の苦痛を伴うやもしれませんが、ご辛抱ください」

アルマが、静かに説明する。

苦痛? そんなもの、今の俺にとっては大した問題ではない。

それよりも、この女を喰らった時に得られるであろう、新たな力への期待の方が遥かに大きかった。


「始めろ」

俺は、短くそう命じた。

アルマとエリアスが頷き、ゼノンが詠唱の速度を上げる。

床に描かれた魔法陣が、淡い光を放ち始めた。

そして、その光が、俺と眠っている女の身体を包み込んでいく。

温かい…いや、熱い。

まるで、身体の内側から焼かれるような、強烈な熱気。

そして、女の身体から、何か清浄なエネルギーのようなものが、俺の身体へと流れ込んでくるのが分かった。

これは…聖なる力か…!

だが、それは俺の黒いオーラと激しく反発し、身体の中で凄まじい嵐が吹き荒れているかのようだ。

「ぐ…うおおおおおっ!」

俺は、思わず苦痛の声を上げた。

意識が遠のきそうになる。

これが、儀式の苦痛というやつか。

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