第30話

木箱の中に入っていたのは、一枚の羊皮紙だった。

そこには、この砦を中心とした周辺地域の詳細な地図と、そしていくつかの地点に赤い印が記されている。

それだけではない。羊皮紙の裏には、何やら複雑な紋様と、古代の文字らしきもので書かれた短い記述があった。

俺にはその文字を読むことはできない。だが、その紋様からは、微かにだが、あの黒い宝珠や、俺の首に嵌った聖遺物に近い、禍々しくも力強い気配が感じられた。

「…これが、アルマの言っていた『情報』か」

魔王軍の拠点図か、あるいは何か別の秘密の場所を示しているのか。

どちらにしても、今の俺にとっては、新たな「狩り場」の候補が増えたようなものだ。

俺は、羊皮紙を懐にしまい込み、牢獄の奥の通路を後にした。

もはや、この砦に用はない。喰らえる人間は全て喰らい尽くした。


砦の外へ出ると、アルマが静かに俺を待っていた。

その表情は相変わらず読めないが、俺の全身から立ち昇る黒いオーラの尋常ならざる濃さに、僅かに目を見開いたように見えた。

「カイ様、ご無事でしたか。そして…そのお力、また一段と増されたご様子」

「ああ。砦の中の連中は、なかなかの『ご馳走』だったからな」

俺は、口元に浮かんだ血の痕を無造作に拭いながら答えた。

「して、アルマ。お前の言っていた『情報』とやらは、これのことか?」

俺は懐から羊皮紙を取り出し、アルマに突きつける。

アルマは、その羊皮紙を一瞥すると、静かに頷いた。

「はい。それが、我々が長年追い求めていた、魔王軍の重要拠点の一つに関する情報です。そして、そこに記された紋様と記述は…恐らく、古代の『闇の儀式』に関するものでしょう」

闇の儀式…?

「その儀式が成功すれば、魔王軍はさらに強大な力を手に入れることになります。我々は、それを阻止しなければなりません」

「阻止する、ねえ…俺にとっては、どちらでも構わんがな」

魔王軍が力を得ようと、世界がどうなろうと、今の俺には関係ない。

俺が求めるのは、ただ、俺自身の力の増大と、この渇きを満たすことだけだ。

「カイ様、そのお言葉は本心ではありますまい。あなた様の中には、まだ『勇者』としての魂が残っているはずです」

アルマは、俺の目を見つめて言った。

その瞳は、どこか俺の心の奥底まで見透かしているかのようだ。

「ふん、どうだかな」

俺は、アルマの視線から逃れるように顔を背け、歩き出した。

「アジトへ戻るぞ。ゼノンたちにも、この『情報』を見せてやらねばなるまい」


アジトへ戻ると、ゼノンとエリアスが、俺の変わり果てた姿と、そして手に入れた情報に驚愕の声を上げた。

「こ、これは…! まさか、本当にこの地図と紋様を手に入れてくるとは…!」

エリアスが、羊皮紙を食い入るように見つめながら呟く。

「カイ殿、一体砦で何があったのだ? あなた様のそのお力…以前とは比較にならぬほど、禍々しく、そして強大になっている…!」

ゼノンは、俺から放たれる黒いオーラに気圧されながらも、興奮を隠せない様子だ。

「少しばかり、『食事』を楽しんできただけだ。それよりも、この地図と紋様が、お前たちの役に立つのかどうか、それが問題だろう」

俺の言葉に、ゼノンは力強く頷いた。

「もちろんです、カイ様! この情報があれば、我々の長年の悲願であった、魔王軍への反撃の狼煙を上げることができますぞ!」

「反撃、ねえ…具体的には、どうするつもりだ?」

「この地図に示された拠点…それは、魔王軍が『闇の力』を増幅させるための、重要な中継地点の一つです。そして、この紋様と記述は、その力をさらに効率よく集めるための、古代の儀式の方法を示していると考えられます」

エリアスが、羊皮紙を指差しながら説明する。

「我々はその儀式を逆用し、魔王軍の力を削ぎ、そしてあわよくば、その力をカイ様ご自身のものとして取り込んでいただきたいのです」

魔王軍の力を、俺の力に…?

それは、確かに魅力的な話だ。

人間を喰らうよりも、もっと効率よく、そして手軽に力を得られるかもしれない。


「ただし、その儀式を行うには、いくつかの触媒と、そして何よりも…強大な『魂』が必要となります」

ゼノンが、そこで一旦言葉を切り、俺の顔をじっと見つめた。

「魂…それはつまり、また人間を喰らえということか」

「…ご理解が早くて助かります、カイ様。ですが、今回は、ただの人間では意味がございません。より純粋で、より強大な魂を持つ人間…例えば、高位の神官や、あるいは王族の血を引く者などが必要となるでしょう」

高位の神官…王族の血…

そんなものが、そう簡単に見つかるとは思えない。

それに、たとえ見つけたとしても、それを俺が喰らうことを、こいつらは本当に望んでいるのか?

「そんなものが、どこにいるというんだ?」

「ご安心ください、カイ様。我々には、既に心当たりがございます。そして、その『贄』を確保するための準備も、既に整っております」

アルマが、静かに口を開いた。

その言葉には、絶対的な自信が漲っている。

こいつら、本当に用意周到だな。

まるで、全てが俺のために仕組まれているかのようだ。


「カイ様。あなた様には、その『贄』を我々と共に確保しに行っていただきたいのです。そして、その魂を喰らい、さらなる力を得ていただいた上で、かの拠点での儀式に臨んでいただく。これが、我々の計画の全貌です」

ゼノンが、熱っぽく語る。

その計画は、あまりにも俺にとって都合が良すぎるように思えた。

だが、今の俺には、それに乗る以外の選択肢はないのかもしれない。

この飢餓感を満たし、そしてさらなる力を得るためには。

「…いいだろう。その計画、乗ってやる。ただし、俺のやり方でやらせてもらうぞ」

俺は、不敵な笑みを浮かべて答えた。

「もちろんです、カイ様。全ては、あなた様のお心のままに」

アルマが、恭しく頭を下げた。


数日後、俺はアルマ、ゼノン、そして数人の使徒のメンバーと共に、その「贄」がいるという場所へと向かっていた。

そこは、人里離れた山奥にある、古びた修道院だった。

「ここに、王族の血を引く者がいるというのか?」

俺が尋ねると、アルマは静かに頷いた。

「はい。表向きは、ただの敬虔な修道女として暮らしておりますが…彼女こそが、かつて滅びた王国の、最後の生き残りなのです。その血には、古の聖なる力が宿っていると言われております」

聖なる力…か。そんなものが、俺のこの闇の力と混ざり合って、どうなるというのだろうか。

興味深い。

そして何よりも、その「聖なる魂」とやらが、どれほどの美味なのか、早く味わってみたくて仕方がなかった。

俺の飢餓感は、再びピークに達しようとしていた。

あの砦で人間を喰らってから、もう何日も経っているのだ。


修道院は、高い石壁に囲まれ、厳重な警備が敷かれているようだった。

だが、そんなものは、今の俺にとっては無意味だ。

「カイ様、いかがなさいますか? 正面から乗り込みますか? それとも…」

ゼノンが、俺の指示を仰ぐように尋ねてくる。

「ふん、決まっているだろう。正面から乗り込んで、皆殺しにしてやるさ。そして、その王女様とやらを、俺の『食事』としていただく」

俺は、黒いオーラを全身から立ち昇らせながら、修道院の門へと向かって歩き出した。

もはや、俺に躊躇いなどない。

力こそが全て。そして、俺はその力を、誰よりも渇望しているのだから。


「待ちなさい、カイ様!」

アルマが、俺の前に立ちはだかった。

「なんだ、アルマ。邪魔をするな」

「カイ様、お気持ちは分かりますが、今回の『贄』は、ただ喰らうだけでは意味がございません。彼女の魂に宿る聖なる力を、完全にカイ様のものとするためには、特殊な儀式が必要なのです。力任せに襲いかかっては、その魂が穢れ、効果が半減してしまうやもしれません」

儀式…? またそれか。

面倒なことだ。

「では、どうしろと?」

「まずは、彼女を穏便に我々のアジトへお連れし、そこでゆっくりと『準備』を整えさせていただきます。どうか、それまでご辛抱を」

アルマは、俺の目をじっと見つめて言った。

その瞳の奥には、何か得体の知れない光が宿っている。

こいつ、何か隠しているな。

だが、今はこいつの言うことを聞いてやるしかないのかもしれない。

聖なる魂とやらを、最高の状態で味わうためには。


「…分かった。だが、あまり俺を待たせるなよ。この飢えは、もう限界なんだ」

俺は、黒いオーラを収め、忌々しげに舌打ちをした。

「カイ様のご理解、感謝いたします。では、参りましょう。彼女を、我らが主の元へ」

アルマはそう言うと、修道院の裏手へと続く、隠し通路のような場所へと俺たちを案内した。

どうやら、こいつらは事前に潜入経路まで確保していたらしい。

どこまでも用意周到な奴らだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る