第25話

俺とアルマは、黎明の使徒のアジトから半日ほど歩いた場所にある、古びた山岳地帯へと足を踏み入れていた。

その山の中腹に、古代の迷宮の入り口はあった。巨大な岩をくり抜いて作られたような、威圧的な門構えだ。

周囲には、不気味な静寂が漂い、時折吹き抜ける風の音だけが、まるで迷宮の奥から漏れ聞こえてくる呻き声のように感じられた。

「カイ様、ここが『試練の迷宮』です」

アルマが、静かに言った。

「かつて、古の勇者たちが己の力を試し、そして聖遺物を手に入れたと言い伝えられる場所。しかし、同時に多くの挑戦者が命を落とした、危険な場所でもあります」

「ふん、俺にとっては、格好の遊び場になりそうだな」

俺は、不敵な笑みを浮かべて答えた。

人間を喰らったことで得た圧倒的な力、そして制御し始めた黒いオーラ。今の俺に、恐れるものなど何もない。

「カイ様、くれぐれも油断はなさらないでください。この迷宮には、強力な魔物だけでなく、巧妙な罠も多数仕掛けられております。そして…」

アルマは、そこで一度言葉を切り、俺の目をじっと見つめた。

「この迷宮の最深部に眠る聖遺物を手に入れるまで、決して『黒いオーラ』以外の力…特に、あの『温かい光』の力は使わぬよう、お心掛けください」

「…どういう意味だ?」

「あの光の力は、確かに強力です。ですが、それはカイ様の魂の奥底にある、まだ目覚めてはならぬ側面を引き出す危険性がございます。今のカイ様が扱うには、あまりにも制御が難しく、そして…この迷宮の『聖遺物』とは、恐らくは相容れぬ性質のものでしょう」

目覚めてはならぬ側面…聖遺物と相容れぬ…?

アルマの言葉は謎めいていたが、今の俺にはどうでもよかった。

あの温かい光など、俺には必要ない。俺には、この黒いオーラがあれば十分だ。

「分かった。黒いオーラと、俺自身の力だけで、その聖遺物とやらを手に入れてみせるさ」

「そのお言葉、頼もしく思います。では、カイ様、ご武運を」

アルマはそう言うと、深々と一礼し、迷宮の入り口から少し離れた場所へと後退した。

どうやら、本当に俺一人でこの迷宮に挑ませるつもりらしい。

面白い。望むところだ。


俺は、ゆっくりと迷宮の入り口へと足を踏み入れた。

中は、ひんやりとした空気に包まれ、カビ臭い匂いが鼻をつく。

壁には松明が灯されているのか、ぼんやりとした明かりが通路の奥へと続いているのが見えた。

俺は、剣の柄を握り締め、慎重に歩を進める。

五感を最大限に研ぎ澄まし、周囲の気配を探る。

罠の気配、魔物の気配…それら全てが、俺の鋭敏になった感覚に捉えられていた。


しばらく進むと、最初の魔物に遭遇した。

それは、巨大な蜘蛛のような姿をした魔物だった。八つの赤い複眼を不気味に光らせ、鋭い牙を剥き出しにして襲いかかってくる。

「雑魚が…!」

俺は、黒いオーラを右腕に集中させ、その蜘蛛の魔物の頭部目掛けて拳を叩き込んだ。

グシャリ、という鈍い音と共に、魔物の頭が砕け散る。

あっけない。人間を喰らう前の俺ならば、多少は手こずったかもしれないが、今の俺にとっては、赤子の手をひねるようなものだ。

俺は、その魔物の亡骸に一瞥もくれず、さらに奥へと進んでいった。

こいつを喰らっても、何の力にもならないことは分かっているからだ。

俺の腹は、まだ満たされている。先程喰らった、あの騎士風の男の生命力で。


迷宮の中は、思った以上に複雑に入り組んでいた。

いくつもの分かれ道があり、行き止まりも多い。

そして、至る所に巧妙な罠が仕掛けられていた。床が抜け落ちる落とし穴、壁から飛び出す毒矢、天井から落ちてくる巨大な岩。

だが、それらの罠も、俺の強化された身体能力と感覚の前では、ほとんど意味をなさなかった。

事前に気配を察知し、あるいは驚異的な反射神経で回避する。

まるで、子供騙しの遊びでもしているかのようだ。

「ふん、こんなものか。古の勇者とやらは、随分と間抜けだったらしいな」

俺は、鼻で笑いながら、次々と罠を突破していく。

時折、ガーゴイルのような石像の魔物や、巨大なスライムのような不定形の魔物に襲われるが、それらも全て、黒いオーラを纏った俺の敵ではなかった。

一撃で粉砕し、あるいは斬り裂き、俺は迷宮の奥へ奥へと進んでいく。

この力、この全能感。たまらなく心地よい。

俺は、この力のためならば、何度でも人間を喰らってやろう。そう思った。


どれほどの時間を進んだだろうか。

俺は、一つの広大な空間へとたどり着いた。

その部屋の中央には、祭壇のようなものが設えられており、その上に、何やら禍々しい気を放つ黒い宝珠が置かれていた。

あれが、聖遺物か…?

いや、違う。アルマの言っていた聖遺物とは、もっと神聖なもののはずだ。

これは、何か別の…もっと危険なもののような気がする。

俺が、その宝珠に近づこうとした、その時。

「グルルルル…」

低い唸り声と共に、部屋の四隅の影から、四体の巨大な獣が姿を現した。

それは、漆黒の体毛に覆われた狼のような魔物だった。だが、その体躯は通常の魔狼よりも遥かに大きく、その目には知性のない、ただ純粋な殺意だけが宿っている。

ヘルハウンド、と呼ばれる種の魔物か。

しかも、四体同時とはな。


「面白い…ようやく、少しは楽しめそうだぜ」

俺は、口元に歪んだ笑みを浮かべ、剣を構え直した。

黒いオーラが、俺の全身から激しく噴き出す。

ヘルハウンドたちが、一斉に俺へと飛びかかってきた。

その動きは、先程までの雑魚魔物とは比較にならないほど速く、そして鋭い。

俺は、その攻撃を捌きながらも、確実に一体ずつ仕留めていく。

黒いオーラを纏った剣は、ヘルハウンドの硬い毛皮を容易く切り裂き、その肉を断つ。

だが、奴らも必死だ。仲間が倒れるのも構わず、次々と俺に襲いかかってくる。

俺の身体にも、いくつかの傷が刻まれた。鋭い牙が鎧を貫き、肉を抉る。

だが、痛みは感じない。むしろ、その痛みが、俺の闘争本能をさらに掻き立てる。

「もっとだ…! もっと、俺を楽しませろ!」

俺は、狂ったように叫びながら、剣を振るった。

黒いオーラが、ヘルハウンドたちの血飛沫と共に、部屋中に舞い散る。

それは、まるで血と闇の饗宴のようだった。


やがて、最後の一体のヘルハウンドが、俺の剣によって心臓を貫かれ、絶命した。

俺は、肩で大きく息をしながら、周囲に転がる魔物の死骸を見下ろす。

さすがに、骨が折れた。だが、この程度では、俺の力は底をつかない。

俺は、まだ戦える。もっと、強い敵と。

そして、その敵を喰らい、さらに強くなるのだ。


ふと、祭壇の上の黒い宝珠に目が向いた。

あれは、一体何なのだろうか。

聖遺物ではないとすれば、なぜこんな場所に置かれている?

俺は、警戒しながら宝珠へと近づき、そっと手を伸ばした。

その瞬間。

宝珠から、黒い稲妻のようなものが迸り、俺の身体を直撃した。

「ぐ…あああああああっ!」

全身を、激しい電流が貫くような痛み。

視界が真っ白になり、意識が遠のいていく。

なんだ、これは…罠か…!?

アルマめ…! 俺を、嵌めやがったのか…!

だが、俺の意識は、そこまでだった。

再び、深い闇の中へと、俺は引きずり込まれていった。

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