第24話
アルマに導かれるまま、俺は遺跡の奥深くへと続く、薄暗い通路を進んでいた。
キマイラを倒したことで得られた達成感など、とうに消え失せ、今はただ、腹の底で再び疼き始めた飢餓感が、俺の思考を鈍らせている。
アルマの言う「新たなる力の扉」とは、一体何なのか。そして、その先にある「贄」とは。
期待と不安、そして何よりも強烈な渇望が、俺の中で渦巻いていた。
やがて、俺たちは一つの巨大な石の扉の前にたどり着いた。
扉には、複雑な紋様がびっしりと刻まれており、どこか禍々しい雰囲気を漂わせている。
「カイ様、この奥に、あなた様のための『饗宴』が用意されております」
アルマは、抑揚のない声でそう言った。
饗宴、だと? まるで、これから始まるおぞましい行為を、祝福でもするかのような言い草だ。
俺は、無言でアルマを睨みつけたが、彼女は表情一つ変えなかった。
ゼノンとエリアスも、いつの間にか俺たちの後ろに控えていた。彼らの目にも、奇妙な期待の色が浮かんでいる。
こいつら、本当に狂っている。
石の扉が、重々しい音を立ててゆっくりと開いていく。
そして、その奥から漂ってきたのは…濃厚な血の匂いと、そして、紛れもない人間の気配だった。
俺の飢餓感が、一気に沸点へと達する。
喉が鳴り、全身の血が逆流するような感覚。
もう、何も考えられない。ただ、喰いたい。目の前にいるであろう「食料」を、今すぐにでも喰らい尽くしたい。
俺は、アルマたちの制止を振り切り、獣のように部屋の中へと飛び込んだ。
部屋の中央には、石造りの台座のようなものがあり、その上に…一人の男が鎖で拘束されていた。
年の頃は四十代くらいだろうか。鎧を纏い、傍らには立派な長剣が置かれている。
どこかの騎士か、あるいは貴族か。その顔には、苦悶と怒りの表情が浮かび、俺の姿を認めると、必死に身じろぎして何かを叫ぼうとしている。だが、口には猿轡が噛まされているため、声にならない呻き声しか聞こえない。
こいつが、俺の「贄」か。
アルマの言った通り、確かに「質の高い」食料に見える。その身体からは、強靭な生命力が溢れ出ているのが感じられた。
これを喰らえば、俺はどれほどの力を得られるだろうか。
想像しただけで、全身が歓喜に打ち震える。
「カイ様、ごゆるりと。この者は、魔王軍と内通し、多くの民を裏切った罪人。その魂は汚れておりますが、その生命力だけは、あなた様のお力となるには十分でしょう」
アルマが、背後から静かに囁いた。
罪人…か。それが本当かどうかなど、今の俺にはどうでもよかった。
こいつが悪人であろうとなかろうと、俺の飢えを満たすための「食料」であることに変わりはない。
俺は、ゆっくりと台座に近づき、拘束された男の顔を覗き込んだ。
男は、恐怖と絶望に染まった目で俺を睨み返してくる。その瞳の奥に、僅かな命乞いの光が見えたような気がしたが、俺はそれを見ないふりをした。
もはや、俺に慈悲などない。
あるのは、ただ、喰らうという本能だけだ。
俺は、男の首筋へと手を伸ばした。
その瞬間、男の身体から、微かだが、覚えのある気配が漂ってきた。
これは…ガルバスと戦った時に感じた、あの「温かい光」に近い…いや、違う。もっと希薄で、そして歪んでいる。
なんだ、こいつ…ただの罪人ではないのか?
何か、特殊な力でも持っているというのか?
だが、そんな疑問も、すぐに強烈な飢餓感によってかき消された。
どうでもいい。どんな力を持っていようと、俺の食料であることに変わりはない。
俺は、男の首筋に、力任せに牙を突き立てた。
「ングウウウウウッ!」
男の身体が、激しく痙攣する。
温かい血が、俺の口の中に奔流となって流れ込んでくる。
美味い。美味い。美味い!
これまで喰らったどの人間よりも、この男の生命力は濃厚で、そして力強い。
まるで、凝縮された力の塊を飲み込んでいるかのようだ。
身体の奥底から、経験したことのないほどの強大な力が湧き上がってくる。
細胞の一つ一つが歓喜の声を上げ、俺の魂が震えるような高揚感に包まれる。
これだ! これこそが、真のレベルアップ!
俺は、夢中で男の血肉を貪り喰らった。
その意識が完全に途絶えるまで、俺の饗宴は続いた。
どれほどの時間が経っただろうか。
俺が我に返った時、目の前の台座には、もはや生前の面影を留めない、干からびた亡骸だけが転がっていた。
そして俺の身体は、かつてないほどの力で満ち溢れていた。
筋肉は鋼のように硬く、五感は神の領域にでも達したかのように鋭敏になっている。
そして何よりも、あの「黒いオーラ」が、俺の意思とは関係なく、全身から立ち昇っているのが分かった。
それは、以前よりもさらに濃く、そして禍々しい。
だが、不思議と、以前のような精神を侵食されるような感覚はない。
むしろ、この黒いオーラが、俺の身体の一部になったかのような、奇妙な一体感があった。
これが、俺の新たな力…!
「…素晴らしいです、カイ様。あなた様は、また一つ、新たなる段階へと至られました」
アルマが、恍惚とした表情で俺を見つめている。
ゼノンとエリアスも、畏敬の念を込めた眼差しで俺に跪いていた。
「この力があれば…魔王軍の幹部クラスとも、互角以上に渡り合えるやもしれませんな」
ゼノンが、興奮したように言った。
「ええ。そして、カイ様のその黒いオーラ…あれは、もはや単なる負の感情の暴走ではございません。それは、カイ様ご自身の魂の色。闇の力を自在に操るための、新たなる器となったのです」
エリアスが、得意げに解説する。
闇の力を自在に操る…?
確かに、今の俺なら、この黒いオーラを以前よりもずっと巧みに扱えるような気がした。
それは、俺が望んでいた力。俺が渇望していた力だ。
あの「温かい光」のような、得体の知れない力ではない。
これこそが、俺の本質。俺が進むべき道なのだろう。
「カイ様、お喜びください。あなた様は、真の勇者への道を、また一歩進まれたのです」
アルマが、そう言って深々と頭を下げた。
俺は、その言葉を黙って聞いていた。
勇者…か。人間を喰らい、闇の力を身に纏った俺が、本当に勇者と呼べるのだろうか。
分からない。だが、どうでもいいことだ。
俺は、力を手に入れた。それだけが、確かな事実だ。
そして、この力で、俺は俺の目的を果たす。
魔王を倒し、そして…この世界を、俺の意のままに変えてやる。
そんな、傲慢な考えが、俺の頭の中で芽生え始めていた。
人間としての心は、もうほとんど残っていない。
あるのは、ただ、強大な力と、そして尽きることのない渇望だけだ。
「さて、カイ様。新たなる力を手に入れたあなた様に、早速ですが、次の『試練』に挑んでいただきたく存じます」
ゼノンが、恭しく言った。
「次の試練だと? 今度は何だ?」
「はい。それは、このアジトの近くにある、古代の迷宮の攻略です。その迷宮の最深部には、かつて勇者が使ったとされる聖遺物が眠っていると言われております。それを手に入れることができれば、カイ様のお力はさらに増すことでしょう」
聖遺物…か。面白そうだ。
今の俺の力ならば、どんな迷宮だろうと、どんな罠があろうと、恐れるに足りない。
「いいだろう。その試練、受けてやる」
俺は、不敵な笑みを浮かべて答えた。
「ただし、一つ条件がある」
「条件、でございますか?」
「ああ。その迷宮には、俺一人で行かせてもらう。お前たちの助けは、一切いらない」
俺の言葉に、ゼノンたちは顔を見合わせた。
「しかし、カイ様。その迷宮は、非常に危険な場所だと聞いております。強力な魔物も多数生息しているとか…」
エリアスが、心配そうに言う。
「構わん。俺の力を試すには、ちょうどいいだろう。それに…お前たちが側にいては、邪魔になるだけだ」
俺は、冷たく言い放った。
もはや、こいつらに遠慮する必要などない。俺は、こいつらの「主」なのだから。
アルマだけは、俺の言葉に動じることなく、静かに微笑んでいた。
「…カイ様のご意思、承知いたしました。では、そのように手配いたしましょう。迷宮の入り口までは、私がご案内いたします」
「ああ、頼む」
俺は、アルマと共に、再び小屋の外へと出た。
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