終章 満たされた空っぽ

半年後の春。

美佳は久しぶりにSNSを更新した。

「お久しぶりです。元気にしています。皆さんからいただいたものは、今も大切に使わせていただいています。写真は、今朝撮った桜です。花田さんからいただいたカメラで撮りました。ありがとうございます。#何もいらないから全部くれ」

投稿には、懐かしい名前のコメントがたくさんついた。

「お帰りなさい」

「元気そうで良かった」

「桜、きれいですね」

美佳は一つ一つに返信しながら、この半年間を振り返った。

SNSを休んでいる間に、美佳は新しい仕事を見つけていた。小さな写真屋でアルバイトをすることになったのだ。花田さんのカメラがきっかけで写真に興味を持ち、独学で勉強していたところ、店主に声をかけられたのだった。

給料は安かったが、美佳には十分だった。何より、毎日写真に関わる仕事ができることが嬉しかった。

部屋も少し変わった。最初の頃にもらった小さな多肉植物は、今では立派に成長していた。本棚にはもらった本がきれいに並んでいた。壁には、自分で撮った写真が飾られていた。

決して豪華ではないが、美佳にとっては完璧な空間だった。

「何もいらないから全部くれ」

最初にこの言葉を呟いた時、美佳は本当に何もない状態だった。お金も、物も、希望も、何もかもが不足していた。

でも今は違う。

物理的には、それほど多くのものを持っているわけではない。でも、心は満たされていた。

それは、物をもらったからではない。

人とのつながりを感じることができたから。

自分の存在に意味があると思えるようになったから。

毎日を大切に生きる方法を見つけたから。

美佳は窓の外を見た。夕日が美しかった。

カメラを手に取って、その夕日を撮った。

シャッターを押しながら、美佳は思った。

私は何もいらない。

でも、すべてを持っている。

それは矛盾しているようで、実は完璧に一致していた。

何もいらないからこそ、すべてが贈り物になる。

すべてを贈り物として受け取れるからこそ、何もいらなくなる。

美佳は微笑んだ。

今夜は、この写真をSNSに投稿しよう。そして、いつものように感謝の気持ちを添えよう。

「ありがとうございます」

その言葉が、美佳の心を満たしていた。

空っぽの手だからこそ、どんなものでも受け取ることができる。

そして、受け取ったものを大切にすることで、手は空っぽではなくなる。

でも、心はいつも満たされている。

それが、美佳が学んだことだった。

「何もいらないから全部くれ」

その言葉は、今でも美佳の座右の銘だった。

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『何もいらないから全部くれ』 漣  @mantonyao

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