世界のふちに立つ―③

 廊下をまがった先にある通用口から、バンジャマンはそとに出た。


 北風が、びゅうっと吹きつけてきた。


 ジャケットを羽織はおったままだったから、まだましだったが、身体からだじゅうから一気に熱が奪われる気がした。


 別に、どこに行くあてもない。

 ただ、ひとりで気持ちを落ちつけたかっただけだ。


 バンジャマンは、その場にたたずんでいた。


「バンジャマン!」

 バンジャマンが出てきた通用口から、きららが姿をあらわした。

 走ってきたのか、息が上がっている。


「よかった、追いつけて」

 ほっとしたように言う少女に、バンジャマンはどういう顔をすればよいのかわからない。


 追いかけてきてくれてうれしいのか。

 そっとしておいてほしかったのか。


「……ぼくは、間違ったことを言っただろうか」

 バンジャマンは、横に立つきららに聞いた。


「間違いではなかったと思うわ。ただ……」

 きららは、バンジャマンに視線を合わせた。


 しっかりとした黒い瞳が、ゆらぐアイス・ブルーの瞳をとらえる。


「もうすでに、あの子は罰を受けている。ガスパールは、いまや、さまよえるあわれな幽霊でしかないの。生きて自分の罪をつぐなう機会をうしない、後悔だけが残ってしまった……」


 きららは、一生懸命に言った。

 バンジャマンは、左手でひたいをおさえた。


「 ……ぼくは心がせまいのだろう。きららさんが言うふうには思えない。そして、未熟だから、とっさに、きららさんのように、相手を思いやる行動がとれない」


 現宰相げんさいしょうの長子。

 やがては、王太子の側近そっきんにもなるだろう。

 いや、ならねばならない、と期待され、その期待にこたえるように育った。


 正しくあれと、みずからを律しながら生きてきた。

 とくに苦痛は感じなかった。

 その生き方は、もともとのしょうに合っていたのだと思う。


 だからだろうか。

 そうでない人間を、責めてしまうのだ。

 腹が立つ。


 ルールを守ればいいだけだろう?


 何もきまじめに、意味不明なブラック校則を守れと命じているわけではない。

 ひととして、最低限のルールだ。

 自分の命を守り、仲間の命を損なわない。


 たったそれだけのことが、どうしてできないんだ。


 そう思って、かっとなり、自分より若くして死んだ後輩の幽霊を責めたてた。今日ここに来た目的は、あわれな幽霊を浄化してやることであったはずなのに。


「……なんで、あのひとみたいにうまくやれないんだろう……」

 バンジャマンのつぶやきを、きららが拾う。

「あのひとって?」


 バンジャマンは、沈黙した。

 きららは、となりに立って、待っている。


 風が一瞬やんで、あたたかい日が差した。


 蔵書を守るため北向きに設計された、窓の少ない図書室は、暗くて、どことなくじめじめとしていた。


 少年の幽霊の入った鳥と、その飼い主の公爵令嬢は、そこで彼らの帰りを待っているのだろう。


「そう言えば、シャルルが追いかけてくるような気がしたが……」


 ふと気づいて、バンジャマンが言うと、

「1番に追いかけていたわよ。わたしも飛び出してしまったから、シャルルが、自分はリュンリュンさんについているからと、廊下で引き返したの。ぐあいが悪い子をひとりで置いておくのはさすがにね。ちゃんと、追いかけるつもりはあったわ」


 きららが、シャルルをかばうように説明した。


「その方がいい。彼女に何かあったら、ぼくもシャルルもただではすまない」


 バンジャマンが苦笑いした。


「あのひとは、妹を溺愛しているからね。最近はとくに」


「ソワレ先生のこと?」

 きららが勘づいた。


 バンジャマンは、ちょうど自分のあごくらいまでの背の少女の持つ、さらさらとした黒髪を見た。


 同じ黒でも、ソワレ兄妹の黒髪とは、質感がちがう。だが、元々は同じ民族の血が混じっている。


 <高貴なる黒>――ただの黒髪や黒目を指すのではない。

 初代と2代目の光の乙女の血を、たしかにその中にいだ血統書付きだ。


 ドール王国において、それは、ひとつのモニュメントとも言える。

 伝説はたしかに存在したという証拠だ。


「生まれたときから、比べられてきたんだよ」

 バンジャマンは、にがく言った。


「ソワレ先生と?」

 きららが、きょとんとする。


 いいな、この子は。何も知らなくて。

 と、バンジャマンは思った。

「そう」


「年が違いすぎない? べつに、親戚でもないわよね」

「父親同士が、幼なじみ」

「ああ、そう言えば」

 きららも思いだしたようだ。


「現在でも、世界中の社交界をとびまわっているソワレ公爵夫人は、その昔、『ドール王国の至宝しほう』とまでよばれた社交界の華で、ぼくの父も、当時、熱烈に求婚していたらしい。けっきょく、手に入れたのはソワレ公爵だったが」


 きゅうに始めてしまった昔話を、きららはおとなしく聞いてくれている。


「父の結婚がおくれたのは、失恋の痛手いたでから立ちなおるのに時間がかかったからとも言われているんだ」


 バンジャマンは続けた。


「ぼくは、父にとって、2番手の女の生んだ子なんだな、と、それを知ったときに思った」


「2番手……。お母さんが自分で言ったの?」


「いいや。母は、世間では『貞淑ていしゅくな妻のかがみ』とよばれるくらいにおとなしく、しとやかな人で、あんなにわがままな父がいても、家庭はいつも平和に保たれている」


 きららは、つかのま、ぽかんと口をあけた。


「わたしにはよくわからないけれど、この国では、それは2番手どころか、お父さんは、最強の手を引きあてた……、とても幸せな結婚ではないのかしら」

 令和女子高生は、言った。


「そうだろう。父は、ああいった身分だが、家庭をたいせつにしている。愛のない政略結婚がつねの高位貴族のなかでも、わたしは恵まれていると思う。けれど、きららさん。幼なじみで、なにかと競いあってきた相手に恋で負けたという悔しさが、きっと、父の胸に消しがたくくすぶり続けている。だから、ウジェーヌ=ソワレに勝てと言う。ウジェーヌ=ソワレにだけは負けるなと言いつづける」


 ウジェーヌとバンジャマンの年が離れていたことは、さいわいだった。

 同い年のリュンヌと性別がちがっていたことも、さいわいだった。

 直接対決をしなくてすんだ。


 でなければ、とっくに、きまじめなバンジャマンは壊れていただろう。


「年末のボア領での、黒狸こくり退治の記録の写しを、とりよせたんだ。シャルルにも聞きとりをしたから、ソワレ先生とシャルルの動きについてはかなり正確な資料ができた。それを分析するために、おととい、王立大学の魔法科の教授のもとを訪れた」


 バンジャマンは、国の最高学府にして、「賢者の園」とも称される王立大学の、魔法科研究室を来訪した日を思いうかべる。


 大学構内は新学期がはじまって活気づいていた。


 魔物の襲撃しゅうげき頻発ひんぱつするようになってから、多数の留学生が帰国したらしいが、王立大学内では、まだ何人もの異国から来ている学生たちのすがたが見られた。


 ちょうど講義がおわったころに行ったので、魔法科も同じようににぎやかだった。


 光の勇士が来構らいこうしたことに学生たちは興味津々きょうみしんしんで、教授の手が空くまでのあいだ、バンジャマンはとり囲まれて、質問責めにあった。


 バンジャマンも、議論するのは好きなタチだ。

 先輩たちにほどよい刺激をもらって楽しかった。


 魔法科ということもあって、次はぜひシャルル=キュイーブルも連れてきてくれと、何人もの学生から熱心にたのまれた。

 友人として、誇らしい気持ちになった。


 王立学園は休校中だ。思わぬかたちで、久しぶりに学びの熱気ともいうべきものに触れることができ、バンジャマンはうれしかった。


 しばらくして、教授の部屋に通された。

 ここの教授は、とくに闇魔法を得意としている。


 5年ほどまえに、「魔物のたたりを人間からひきはがす魔法」を創出したことでも有名だ。


 かつてウジェーヌが、魔虎まこの祟りをリュンヌからひきはがした魔法である。


 魔法に一生をささげてきた老教授は、バンジャマンのたずさえてきた資料に、童子どうじのように目をかがやかせた。


「ほう、ほう」

 とうなずきながら読み通し、感嘆した。

「これはすばらしい!」


 そして――

「そして、その教授はまず、こう言ったんだよ。『さすが、ウジェーヌ=ソワレだ』と」

 バンジャマンは、細く息をついた。

 

「ぼくは思わず尋ねた。『シャルル=キュイーブルではなくて?』と。教授は答えた。『もちろん、シャルル=キュイーブルの魔法もすばらしい。16歳にして、このレベルの魔法を次々にくりだすとは、才能にあふれ、努力を惜しまぬ若者なのだろう。それに、魔法への愛があふれている!  じつに好ましいね。ぜひ、卒業後は本学に進んでほしいものだ。しかし、この作戦における肝は、ウジェーヌ=ソワレだよ』」


 教授は、それからペンを持って、うきうきと、資料に書きこみをしながら、バンジャマンに解説してくれた。


 まるで、ボードゲームの名勝負のを手に入れたファンのようだった。


「要するに、ウジェーヌ=ソワレが補助したからこそ、シャルルの100パーセントが引きだせたのだということだったよ。『魔法士としてだけでなく、師としての素質もあったとは』ともおっしゃっていた。ソワレ先生は大学時代にその教授の研究室に所属していたらしい。在学中には、大学に残って研究を続けるよう、必死にくどいたが、それをふり切って、王立学園で教職にいたそうだ」


 バンジャマンの唇がわなないた。


「……そのまま大学に残って、引きこもり、研究でも何でもしてくれていれば良かったのに……!」


 公明であれ。

 正大であれ。

 公平であれ。

 無私であれ――。


 おのれに正しくあれと望むバンジャマンの口から、のろいのような本音が漏れた。


 お願いだ。

 お願いだから。

 ――ぼくの前から消えてくれ。




――――――――――――――――――

【脚注】「父親同士が、幼なじみ」


第3章 ‘B’は、ぼけなすの‘B’―①を、ご参照ください


https://kakuyomu.jp/works/16818622176221417372/episodes/16818622176682005360


ソワレ公爵(リュンヌ父)と、アルジャン侯爵(バンジャマン父)は、とても仲が悪いです


――――――――――――――――――


ご覧いただきありがとうございます(・▽・)

どうぞまたお気軽にお立ち寄りくださいませ

   💫次回更新予定💫

2025年11月24日 月曜日 午前6時46分


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