第二話 裏切りとはされた方の主観に過ぎなかったりする
古鈴は安心していた。表面は冷静を取り繕っていたものの(純粋に表情筋が死んでいるだけなのだが)、内面は【朗報】ワイ将、窓際最後方、隣陰キャとかいう勝ち確席を引き当ててしまうwwwwwwと、だいぶはしゃいでいた。
まあ事実として、毛利想人という少年はあまり自分から積極的にコミュニケーションを取りに行くタイプではないし、ウェイウェイ系の愉快な連中が道路の向こうから来るとわざわざ遠回りするくらいには、バカ騒ぎを苦手とするタイプではある。
古鈴の言うところの「陰キャ」が「コミュニケーションに積極的ではない」「ノリについていけない」という特徴を持つ人物だとすれば、なるほど、想人は「陰キャ」に分類されるだろう。
しかし、コミュニケーションに積極的ではない=友人がいない、というのは古鈴の個人的な価値観とそれを形成した経験からの等式であり、それは万人に適用されるものではないということを彼女はすぐに知ることとなる。
1人目は「おはよう!」という威勢のいい挨拶とともに教室に入ってきた少女だった。肩にギリギリ届くくらいにおろされた髪、大きくぱっちりとした目、そして少年漫画の見開きにぴったりの眩しい笑顔。朝ドラヒロインが現実世界に侵入してきたのかと驚愕したまま静まり返った教室で、彼女は不思議そうに首を傾げ、「あれ、聞こえなかったのかな……」と独り言のように呟くが、この「呟く」という表現はあくまでも彼女の自認であり、実際には発声がよすぎて全然教室に響き渡っていた。
「まあみんなお話し中だったもんね、今度はもっと……」
「……おはよう、せーちゃん」
たまらず声をかけたのは想人だった。せーちゃん……土屋星華に向けて。
「あー!そーくん!……なんでそんなところに隠れてるの?」
「別に隠れてるわけじゃないよ……席が端っこってだけで」
「隠れてるよ!私がそーくんをすぐに見つけられないなんて、そーくんが隠れてなきゃありえないんだから!」
「暴論だ……せーちゃんが緊張してただけでしょ」
片や朝ドラヒロイン。片や天パ無気力男。異様な組み合わせにクラス中が注目している中、古鈴は海底火山のように表面下で静かに怒りを募らせていた。これは別に実は古鈴が想人と小さい頃に結婚する約束とかをして家庭の事情で遠く離れてしまい、それから時が経ってのようやくの再会で他の女と何やら仲がよさそうだからとかではない。
これはただの怨嗟であった。朝から男女の仲がいい様子を見せつけられるだけでも「セミの求愛行動よりうっとうしいな虫けらども」と思うのに、それに加え寝不足というデバフあり、しかも同類だと思っていた隣のモサモサ男が実は超かわいい彼女がいましたなんて事実(※まだ確定はしていない)で古鈴は沸点に達した。何とも分かりやすい沸点で扱いやすそうだ。なお二人はまだ一言も言葉を交わしていない。正確には想人が指定された席に座るときに、隣人となる古鈴に一応の礼儀として会釈をし、それに彼女が気づかなかったという形でのコミュニケーションはあったのだが。
かといって通りすがりの近所のおばちゃんたちに「おかえり~」と話しかけられただけで泣きそうな顔になりながら早足になる彼女に、その怒りを形にする度胸があるはずもなく、しょうがなくせーちゃんとやらがチャラ男にうんちゃらかんちゃらされて泣きわめく隣人を想像して、出す予定もなかった矛を収めることにした。
(あーもう何も気になんないわ。なんかいつの間にかこっちまで来て隣でなんかハートマークを乱舞させてるけど全然効かないわ。だってこの後こいつ寝とられるもん。お前らみたいな薄っぺらい若者の薄っぺらい愛だなんだなんて薄い同人誌のネタになっちまえばいいんだよ……)
効かないと言いながら結局最後の方になって怨嗟が漏れていた。効く効かないの話をしている時点でそいつは効いているという事実から目をそらし、ついでに現実からも目をそらしている古鈴であった。
だからこそ、その恨みの対象の一人たる星華が話しかけてきていることにも気づいていなかった。そもそも孤独体質がしみついてしまっている彼女にとって、「誰かが自分に呼びかける」という事象自体がめったに起こり得ないし、自分が呼ばれていると勘違いして反応してみたら自分の後ろの人物だった……というトラウマも彼女の意識を殻に押し込めていた。
「私声ちっちゃいのかなあ……」と見当違いの心配をし始める星華を見かねたのか、想人が「荒谷さん」と名前を呼ぶ。その一言だけで古鈴の意識は表層を超えてはるか上空まで飛び上がり、それは具体的な物理現象にまで現れた。これも孤独体質の弊害の1つであり、自分の名前が呼ばれると過剰なまでに反応してしまう。学校などでの現実を自身と隔絶された、関係のない背景くらいにしか考えていない彼女にとってそこで名前を呼ばれるというのは、貞子を見ていたら自分ちのテレビから実際に出てきてしまったくらいのショックなのである。
それくらいビックリすることなのでこのリアクションもどうか許してあげてほしいところではあるが、古鈴は「へあっ」と、場末のヒーローショーでやる気のない雑魚敵が出す退場ボイスみたいな変な声をあげながら痙攣とともに立ち上がった。
それだけでも十分な恥辱だが、想人と星華がクラスの注目を集めていたというのもあり、必然的にその二人が話しかけた古鈴の様子も、ばっちりクラスのほぼ全員に見られていた。
彼女がクラスの盛り上げ担当でもあったなら、教室は皆の笑顔で溢れ、温かい笑い声が外にまで響き、通りかかった先生も「いいクラスじゃないか」とにっこりできたのだろうが、彼らはまず新入生だ。もちろん同じ中学から入学してきたクラスメイトもいるだろうが、少なくとも3分の1は今日会った全くの他人である。そして、クラスの盛り上げ役とやらを「ホラー映画で最初に死ぬやつ」と考えているような古鈴に、そのようなポテンシャルはもともと秘められていなかったのである。
故に静寂。そしてさざ波のように困惑の声と、わずかな失笑が教室の中を生ぬるい空気となって充満した。
空白。何も考えられない、考えたくない、という空白。澄み切った、リセットとしてのすがすがしい空白ではなく、息ができなくなるほどの孤独としての空白。古鈴は魚のように口をパクパクとしかできない。
(ああ、死んだ)
過呼吸状態となりまともに思考もできない中で、古鈴が唯一クリアに思い浮かべた言葉はそれだった。すべてが現実味をなくしている中で、それだけが妙に冷たい実感を伴っていた。意識が定まらず、今自分がどこにいて何をしているかも忘れかけて、
「古鈴ちゃん!」
という、苗字どころか下の名前で呼ばれるという電気ショック並みの荒療治で、古鈴はようやく現実へと引き戻された。過呼吸状態だったのが不幸中の幸いで、今度は変な声の代わりにひゅっ、と息が漏れた。
「あ、……え?」
「大丈夫?古鈴ちゃん、顔色悪いよ?」
現実にフォーカスがあった瞬間、心配する星華の顔が夏の扇風機くらい近いことに気付く古鈴。星華にとって、これは古鈴の細かい反応を見逃さないための至極まっとうな接近なのだが、男子と付き合うどころか同姓とすらまともに関係を築けなかった古鈴にとっては貞子に目をのぞきこまれたようなものなのである。
つまり死だ。
古鈴は星華から離れるためにとっさに後ずさろうとしたが、慌てているかつまともに運動もしない引き籠りが急にそんな動きをすれば、つまずくのは必然、受け身を取ろうとあたふたしてたらさらに体勢が崩れていくのも当然、とっさに古鈴の腕を掴んで支えようとした星華がそれで捉えきれずに空ぶってしまったことも仕方なく、運命のように、重力のように、逃れることなく、最初からそう決まっていたかのように、彼女の後頭部はフローリングに叩きつけられた。
……冒頭にたどり着かず、物語は終わってしまったと思われてしまいそうだが、これが彼女の最期だとするとあまりにも報われなさすぎる。
安心してほしいが、彼女は生きている。An〇therなら死んでいたかもしれないが。だがむしろ、彼女としてはこのまま物語からリタイヤしておいた方がよかったのかもしれない。今回の恥辱を背負ってあの忌まわしい教室に通い続けなければならないし、隣人はすべての元凶だし、そして、こんなものでは済まないほどの、葛藤と恥辱と歓喜と苦悩と喜劇を、彼女はこれから抱えていくことになるのだから。
これは始まり。荒谷古鈴が、毛利想人という何の罪もない少年を憎むところから始まる。少女漫画風ななフレーズで表すのなら、「気に入らないアイツ!」だろうか。
あれ?かわいいぞ、荒谷さん! @Wasshii319
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