第33話『新ヒロイン、謎の鏡剣士ユリアナ現る』
──夜明け前の空気は、剣のように鋭く、肌を切るような冷たさを帯びていた。
村上湊の鍛冶小屋には、炉の赤が灯っている。が、今朝の槌音は鳴っていない。代わりに、小屋の前にはひときわ目立つ馬車が停まり、数名の王都騎士と共に、一人の少女が立っていた。
「ユリアナ=フォン=エリュシオン殿下、こちらが村上湊殿の工房です」
騎士の報告を受けた銀髪の少女は、冷ややかな瞳を湊に向ける。まるで磨き上げられた鏡のようなその眼差しは、見る者すべての“内面”を見透かすようだった。
「剣を修復してくれると聞いて来た。条件は?」
「火傷しても泣かないこと、くらいだな」
湊の軽口に、その場の空気が一瞬凍り付く。だがユリアナは目を伏せ、一言だけ返した。
「……なら、泣かない。剣が直るなら、何でもする」
その声音には、冷淡を装った裏に、言い知れぬ覚悟がにじんでいた。
* * *
湊が手にした剣は、透明な刀身を持つ不思議な代物だった。“鏡の魔剣”と呼ばれるそれは、幻影魔術の精髄を込めた王都の遺産──だが、同時に多くの犠牲と記憶を呑み込んできた“呪いの剣”でもある。
「この剣……見れば見るほど、おかしい。魔力の揺らぎが、“記憶”と連動してやがる」
「視た者の過去を映すって話、本当だったのか」
小屋の片隅で、クラリスとルフナが剣を遠巻きに見つめていた。
「メルゼリア様、何か感じますか?」
「……“誰かの想い”が、まだこの剣の中に生きている。切れ味ではなく、想念の重み。……これは“打ち直し”ではなく、“弔い”よ」
その言葉に、湊の表情が僅かに曇る。
夜、全員が寝静まったあと──。
湊はふと物音に気づき、小屋の裏手に回った。
そこにいたのは、月明かりの下で膝をつき、“鏡の魔剣”を抱えるユリアナだった。ヴェールも外され、銀の髪が夜風に舞っている。
「……見なくていいのに」
彼女は誰にともなく呟き、剣に頬を寄せた。
「姉さま……もう、私を映さなくていい。お願い、私を見ないで」
その頬に、涙が一筋、零れ落ちた。
湊は声をかけられず、そのまま背を向けた。だが、確かに見た。あの“冷たい姫”が、ただの“妹”として、痛みを抱えていたことを。
* * *
翌朝。
ユリアナの様子は、いつもの冷淡なものに戻っていた。
「進捗は?」
「素材の硬度が異常だ。普通の炉じゃ溶けもしない。魔術的圧縮が必要だな。お前の協力がいる」
「わかった」
端的な返答。だが、その中には“信頼”の色がごく僅かに混じっていた。
その日の午後──。
工房では、ルフナが接客用の衣装で跳ね回り、クラリスが真顔で客の身分証を要求し、ミルミが料金表のルビを間違えたまま営業を始めていた。
小屋の前には、なぜか行列ができていた。
「俺が打った方が早いってのに……」
湊が頭をかくと、クラリスが呟いた。
「でも、殿方が“あなたの剣を持ちたい”って、みんな言ってました」
「お前らの接客、戦争レベルだぞ」
全員が、「えっ、私たち完璧だったのに?」という顔で見返してくるのを見て、湊は溜め息をつくしかなかった。
* * *
その夜──。
“鏡の魔剣”を持つユリアナと湊が、再び二人きりになる。
「なあ。あの剣には、お前の“姉”が関係してるのか?」
ユリアナの瞳が、微かに揺れた。
「……見たの?」
「見ちまったよ。泣いてた」
ユリアナは言葉を詰まらせ、そしてゆっくりと話し出した。
「姉さまは、私より剣が上手くて、気高くて、美しかった。私の誇りだった。でも、ある日……“あの剣”に取り込まれてしまった」
「取り込まれた?」
「記憶を映すはずの鏡が、逆に“記憶を食らう”ものに変わったの。姉さまは、その時……私の名前さえ、思い出せなくなっていた」
それは、剣の“力”が暴走し、持ち主の“心”を削っていったという証。
「だから……私は、あの剣を終わらせたいの。姉さまの最期を、記憶ごと閉じ込めたあの刃を……」
ユリアナは目を伏せた。
「……自分の手で壊すことが、怖いの」
「それなら──俺が代わりに、打ち直す」
湊の言葉に、ユリアナは驚いたように目を開いた。
「お前が壊せないなら、俺がやる。壊すんじゃねぇ、“作り直す”んだ。お前の想いごと、“新しい剣”にしてやるよ」
その瞬間、ユリアナの中で、何かが静かに崩れた。
氷のように凍っていたその心に、初めて“温かさ”が差し込んだ。
──それは、“鏡の魔剣”が、初めて微かに光を返した瞬間だった。
小屋の夜は、再び静かになった。だがその中で、確かに何かが変わり始めていた。
“打ち直す”とは、“誰かの記憶を受け継ぐ”ということ。
湊は炉に火を入れながら、静かに呟いた。
「……やれやれ。これで、ハーレム五人目か?」
誰も聞いていないはずの夜気が、なぜか少し笑ったように揺れていた──。
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