第32話『王都より“鏡の魔剣”依頼、届く』

鍛冶の槌音が、静かな森に規則正しく響いていた。


 燃え盛る炉の炎が、夜闇を赤く染め、火花が湊の額の汗を照らす。村上湊の工房兼鍛冶屋──それは今、辺境の小村にありながら、噂を聞きつけた冒険者や戦士、旅人たちの間で評判となっていた。だが、そんな日常に“異質”な気配が忍び寄るのに、時間はかからなかった。


 ──一通の封書が届いたのだ。


 上質な羊皮紙に、王都エリュシオンの紋章が浮かぶ。


『鏡の魔剣──修復依頼。依頼主:ユリアナ=フォン=エリュシオン』


 その名を見た瞬間、湊は額に手を当てた。


「王族かよ……」


 この辺境に、王家の血を引く者からの依頼──常識的に考えても異例中の異例。だが続く文面に、ただならぬ気配が宿っていた。


『剣には“記憶を映す力”が宿っている。過去に囚われた者の心を解き放つ鍵となりうるが、同時に、己をも映す危険な“鏡”でもある。ゆえに、この剣の再生は……魂の浄化であり、誓いの再構築でもある』


「……打ち直しよりも、これは“心の影”を打ち砕く作業かもしれないな」


 湊は炉の火を落とし、小屋の仲間たちを呼び集めた。ヒロインたち──ルフナ、メルゼリア、ミルミ、そしてクラリスが集まった夜の会議。ランタンの光に照らされながら、空気はいつになく張り詰めていた。


「ユリアナ様って、あの“銀の女狐”って呼ばれてる王族筋の人?」


 ルフナが興味津々で覗き込んでくる。耳がぴょこぴょこと揺れている。


「名前だけなら聞いたことあるわ。第三王子の従妹とか、そんな立ち位置だったかしら……」


 メルゼリアが眉をひそめる。その目はまるで魔法陣のように情報を計算している。


「王族の依頼ってだけで、面倒くさい政治が絡んでる気しかしないっすね……」


 ミルミは鍛冶用の革手袋をいじりながら渋い顔だ。


 一方、クラリスだけは沈黙していた。だがその目は、何かを見つめていた──自身の腰に下げたばかりの新しい鋼血のラグナ。湊が彼女のためだけに鍛えた魂の一振りだ。


「ま、どんな剣かは、実物を見てみないとわからんさ。でも、“記憶を映す剣”なんて、普通の魔道鍛冶じゃお目にかかれねぇよ」


 湊のその言葉が、全員の視線を釘付けにした。


「記憶を映す……って、もしかして、その剣に触れたら……?」


「……触れた者の記憶と“共鳴”して、映し返す。魔導兵器というより、“共鳴具”の類かもしれないな。扱い方を誤れば、精神が壊れる」


 そう、剣が記憶を映すということは、己の最も弱い部分と向き合うことを意味する。過去に犯した罪、誤ち、忘れたい痛み。すべてが露わになる──刀匠にとって、それは“鍛造”ではなく、“贖罪”に近い行為だ。


 ──そして数日後、小屋に一台の馬車がやってきた。


 銀の装束を纏い、顔をヴェールで隠した女性が降り立つ。雪のような白髪が、風にさらりと舞う。


「……私が、ユリアナです。“鏡の魔剣”をお預けに参りました」


 布にくるまれていたそれは、透明な刀身を持つ──まるで水晶を延ばして刃にしたかのような不思議な剣だった。湊はひと目見て、息を呑んだ。


「こいつ……ただの魔力結晶じゃない。精霊の核石に近い……いや、もっと危うい。まるで、“心そのもの”を封じたような……」


 手袋を外し、柄にそっと触れた瞬間──


 閃光。


 視界が一瞬にして白に染まり、次に映ったのは──


 ──血に濡れた石畳。泣き叫ぶ少女の声。倒れる従者の影。剣を握りしめた少女の白いドレスに、赤黒いしみが広がっていた。


 湊は思わず片膝をつき、荒く息をついた。


「っ……なんて濃い“記憶”だ。まるで、触れただけで魂が引きずり込まれる……!」


 ユリアナは静かに言った。


「私は、この剣の“呪い”を終わらせたいのです」


 その声は、王族としての高慢さを感じさせず──ただ一人の少女としての“願い”が宿っていた。


「この剣に封じられているのは、私が……私のせいで亡くなった者たちの記憶です。剣を振るった日も、剣で守った日も……鏡のように、ずっと私を見返してくる。私はもう、この記憶から、逃げられない」


 湊は立ち上がり、まっすぐにその目を見た。


「だったら──俺が打ち直す。鏡に映った“あなたの影”ごと、叩き直してやるよ」


 彼の言葉に、ユリアナの目がわずかに揺れる。


「……本当に、できるのですか? あなたに、“私の心”を託す覚悟は、ありますか?」


「……ああ。鏡だろうが呪いだろうが、斬れないものはねぇ。俺の槌で、すべて断ち切ってやる」


 そのやりとりを見ていたクラリスが、ほんの少しだけ眉をひそめた。視線は静かに交差する──湊の背中越しに、新たな女の気配。


 小屋に戻った湊は、早速準備に取り掛かった。


 剣を構成する素材は、魔力を濃縮させた“透明核石”──扱いを誤れば爆発的な精神干渉を起こす代物。炉に入れれば砕け、冷やせば濁る。つまり、絶対に“記憶”を乱さず、共鳴し続けたまま形を保たねばならない。


 つまり──湊自身が、“記憶の地獄”に共に沈まなければ、打てない剣。


「……まったく、やっかいな仕事を引き受けちまったもんだな」


 その呟きに応えるように、炉が小さく唸る。


 鍛造の開始と同時に、魔剣は再び記憶を開く。湊の脳裏に流れ込む、ユリアナの“罪と後悔”。


 ──誰かの死を、何度も何度も、ただ一人で見届けてきた少女の記憶。


 ──守れなかった約束。


 ──交わせなかった言葉。


 ──凍てついた王宮で、彼女はたった一人、誰にも涙を見せずに立っていた。


 その“痛み”を、湊は己の槌で叩きながら、受け止めていく。


 何日も続く夜鍛冶。ヒロインたちは誰一人、小屋に近づけなかった。いや、近づけない“気配”があった。魂のぶつかり合い。鉄と心がぶつかる音。炉の赤が、まるで“記憶の血”のように燃え上がる。


 そして──七日目の朝。


 静けさの中、炉が音を止めた。


 湊は、焼け焦げた前掛けを外し、剣を両手に掲げる。


 そこには、かつての透明な刀身とは違う、深い碧色に煌めく“記憶の結晶剣”があった。


 ──《鏡葬のリアン》。


 名付けられたその剣は、もう“記憶を映すだけ”ではない。“記憶に別れを告げる”ための、贖いの刃だった。


「……これで、お前は前に進める」


 ユリアナが剣を受け取ると、透明だったその刀身の中に──ひとしずく、涙のような輝きが流れ落ちた。


 それは、少女の“贖罪”の涙だったのか。


 それとも──鍛冶屋の男に託した、初めての“信頼”だったのか。


 誰も、答えは知らない。


 ただ、“鏡の魔剣”は、もう過去を映さない。


 それは、未来を切り拓く──ひと振りの、新たな剣だった。

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