第22話『鋼の乙女、ハダカを守れなかった夜』
その夜、鍛冶屋の小屋は静寂に包まれていた。
森を揺らす風の音、炉の余熱がまだ空気に残るなか、湊はひとり、作業台に向かっていた。
机の上には、クラリス=ヴァンベルクが持ち込んだ剣──正確には、破損し、歪み、ヒビの入った“戦いの残骸”がある。
王都直属・機鋼騎士団。
その名を名乗る者が持ち歩くにしては、あまりに痛々しいほどの損耗。
「こいつ……何度折れかけたんだ」
湊はそっと、刀身に触れた。
その瞬間だった。
──ずん、と視界が歪む。
目の前の世界が、炉の灯を飲み込むように色を失い、変わって現れたのは、夜闇に沈む古城の中庭だった。
(……これ、剣の記憶か?)
湊は気づく。
この剣には“映像”が刻まれている。
無理もない。この世界の一部の魔導具や特別な武具には、所持者の“想念”が宿ることがある。戦いの記憶、感情の残滓。
そしてその中に映っていたのは──
ずぶ濡れの少女。
銀の髪が頬に貼りつき、全身から湯気を立てながら、クラリスは震えていた。
──裸だ。
肌も、髪も、濡れていた。
ただ一振りの剣を、胸元に抱きしめて。
「守れなかった……」
少女の声が掠れる。
「……私が、もっと強ければ……っ」
血が混じった雨が、裸の背に滴っていた。
城壁に染みる音。
誰もいない場所で、彼女は崩れるように座り込む。そして、剣を抱いたまま、嗚咽を漏らす。
(やばい。これ……俺、見てちゃダメなやつだろ!?)
湊の額に冷や汗が伝う。
だが、視線が動かせない。映像から逃れられない。
(いや、でもこれは記憶映像!事故だ!純然たる事故だ!!)
必死で理性を保ちながら、湊は映像に見入る。
やがて、場面はふっと消え、鍛冶場の灯りが戻ってくる。
現実の世界。
だが、湊の頭の中には、さっきの光景がはっきりと焼きついていた。
──少女が、剣しか守るもののなかった夜。
「……くそ、俺、なんてもの見ちまったんだ」
湊は顔を手で覆う。
顔が熱い。
耳が赤い。
鼻血が出そうだ。
だがそれ以上に、胸が苦しかった。
あのクラリスが、あんなに無防備で、あんなに無力で、涙を流していたなんて。
「……直す。絶対、完璧に直す。あの子に……あの剣に、あんな思いはさせない」
言葉は小さく、でも心に強く。
湊は、炉に火をくべた。
──この夜、彼は初めて“誰かのために”刀を鍛えると決めた。
その翌朝。
「……おはよう、湊さん。あれ、顔……赤い?」
クラリスが不思議そうに覗き込んでくる。
湊は目を逸らす。
「なんでもない。寝不足だ。あとな……記憶映像って、意外と……えぐいな」
「え?」
「いや、こっちの話!」
湊は顔をそむけたまま、必死で炉の火に集中する。
(見たのは、事故。完全なる事故。絶対に言わない。墓まで持ってく)
だがその背中は、いつもよりほんの少し、優しさに満ちていた。
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