第22話『鋼の乙女、ハダカを守れなかった夜』

夜の鍛冶小屋は、炉の火と虫の音が交互に響く静寂の世界だ。

 湊は無言で、クラリスから預かった剣を眺めていた。


 それは、長年の戦場を共にしたであろう名残を漂わせる、美しくも無残な刀剣だった。

 柄の巻き革は解けかけ、鍔には細かい刃こぼれ。刀身はまるで呻くように、金属の軋む音を上げる。


「……限界か」


 クラリスが差し出した時、その目に宿っていた微かな哀しみを思い出す。

 

「お願い……彼女を、救ってほしい」


 そう、クラリスは“この剣”にまるで人格があるかのように語った。まるで相棒の死に顔を見るかのような表情で。


 湊は柄に触れ、そして、剣の中心にそっと意識を重ねるように指先を這わせた。


 刹那──。


 空間が歪み、炉の音が遠ざかる。視界が滲み、代わりに現れたのは……。


 雪原。


 白銀の大地に、少女がひとり膝をついていた。

 

 クラリス。

 

 ──その姿は、見間違いようがなかった。

 だが、鎧も、布すらも身にまとっていない。

 白い肌が雪の冷気に晒され、傷だらけの身体が震えている。


 両手に抱くのは、壊れかけた──今、湊が持っていた、あの剣。


(これは……記憶……?)


 湊の意識はその場に固定される。動けない。息も、声も、ただ見ていることしかできない。


 クラリスは歯を食いしばり、震えながら剣を抱きしめていた。


「……ごめん。私、また守れなかった」


 彼女の言葉は、真冬の夜気に溶けて消える。

 

「貴女は、私の全てだったのに……」


 頬を伝う涙が、氷のような剣の表面にポタリと落ちる。

 その涙すら、刃を蝕むように音を立てた。


 湊は思わず、目を逸らそうとする。

 が、視界は強制的にそこに引き戻される。


 少女の裸身。

 その肩の細さ、胸の輪郭、腹部に走る古傷の痕。


 全てが、剥き出しで──脆く、あまりに美しかった。


(おい……やめろ……これは……)


 理性が軋む。


 クラリスは、雪の上で剣を胸に押し当てたまま、瞼を伏せる。

 その姿は、まるで祈りにも似ていた。


「──私の、すべてを込めた。なのに……」


 そのまま、意識を失ったように、クラリスは剣に身を預ける。

 

 雪が舞い、風が吹く。


 そして……その記憶は、スッと、断ち切られた。


 湊は、鍛冶場の床に膝をついていた。

 

「……っは、ぁ……っ……」


 荒く息をつき、額から冷や汗が流れる。

 剣は、炉の隣に静かに横たわっていた。


 湊はその刃を見る。

 まるで彼女の悲しみと肌の温もりすら、まだそこに残っているかのようだった。


「……事故だ。これは……事故だったんだ」


 そう何度も呟く。呪文のように。

 誰にも責められてはいないのに、自らの正気を繋ぎ止めるためだけに。


 だが脳裏には、あの白い背中と震える瞳がこびりついて離れない。


 湊は立ち上がり、炉に火を足した。


 クラリスの剣は、叫んでいた。

 「再び立ち上がりたい」と。


 彼女の剥き出しの魂が刻まれたその刀身に、湊はただ、正面から向き合う覚悟を決めた。


「……修復じゃねぇ。打ち直してやるよ、お前の“魂”ごと」


 その声は、鍛冶場に満ちる火花にかき消された。

 

 翌朝、クラリスは無言でその様子を見つめていた。


 湊は彼女と目を合わせなかった。合わせられなかった。

 

 だがクラリスは、いつもよりほんの少しだけ柔らかい声で呟いた。


「……ありがとう」


 それが、誰に向けた言葉かは──まだ湊にも、わからなかった。

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