第18話 赤城凛3
「神原くん!」
昼休憩の喧騒が終わり、午後の授業が始まるまでの短い休み時間。教室の窓からグラウンドをぼんやりと眺めていた俺に、甲高い声が飛んできた。
声の主は予想通りというか、やはりというべきか、赤城凛だった。今朝のホームルームや授業中、チラチラとこちらに視線を寄せてソワソワしていたから何か用事があることはわかっていたが……。
この間言っていた、周りにバレたくないという話はどこのバスケットコートに置いてきたのか。
彼女は息を弾ませ、頬を上気させて俺の机の前に立っていた。その紅色の髪は今日もポニーテールにまとめられている。
「……どした。というか、良いのか?」
俺が表情を乱さず問うと、赤城は拳を握りしめ、その鬼気迫る表情で声を張り上げた。昼間グラウンドで見せる劣等感に苛まれたものとは異なり、純粋な不満に満ちた顔だ。
「どした、じゃないよ! この間から全然公園に来てくれないじゃん! 私、待ってたんだからね!」
公園。夜。バスケ。おまけに赤城の汗の香り。
よく覚えている。あの場から逃げるように帰ったのは正解だったと、今でも思っている。あの後、白石が待っていたこともあったし。
「シュート入るようになったんだし、もういいと思うんだが……後は他のバスケ部とか、顧問も教えてくれるはずだ」
むしろ俺がしたあのお節介は教育的に邪魔だった可能性すらある。
俺が淡々と返すと、赤城はさらに頬を膨らませた。
「だって、せっかくシュート入るようになったのに! 神原くんが教えてくれたら、もっと上手くなれる気がするの!」
何も話を聞いていない……。
「私、今度の大会までにレギュラーになりたいの! だから、神原くんの力が必要なの!」
まっすぐな瞳で訴えかけてくる赤城。その焦燥感と熱意は、昼間にグラウンドで見る彼女そのものだ。
その時だった。
「へぇ。赤城さん、神原くんとそんなに仲良かったんだ?」
会話に割って入ってきたのは高瀬だった。佐藤と談笑していたはずの高瀬が、いつの間にか俺たちのすぐ隣に立っている。その顔にはいつもの太陽のような笑顔が、いつもより控えめな明るさで湛えられていた。しかし、その瞳の奥には、探るような光が宿っているように見える。
言わんこっちゃない。
赤城は高瀬の登場に一瞬怯んだように見えたが、すぐに気を取り直した。
「え、ええと……この間、ちょっと」
言葉を濁す赤城に、高瀬はさらに笑顔を深めた。
「ふーん? 神原くんがわざわざ誰かの相談に乗ってあげたりするなんて珍し……くもないか。なんだかんだ優しいし」
高瀬の視線が俺に向けられる。なんだ、この……なんだ? 特に親しくもない人間にお前のことをよくわかっていると言われるこの感覚。
語彙力が乏しいせいで、この微妙な感情を表現する言葉が見つからない。
「……少しバスケのことを話しただけだ」
俺がそっけなく答えると、高瀬は肩をすくめた。
「そっかー。確かに赤城さん、バスケ部のコートでずっと練習してるもんね。神原くんは暇なときいつも窓からグラウンド見てるし」
高瀬の言葉に赤城はびくりと肩を震わせた。彼女が公園で秘密の自主練をしていることを、高瀬が知っているとでも思ったのだろうか。だが、高瀬の視線はあくまで学校のグラウンドに向けられているようだった。
恐ろしいまでに隠し事に向いていない人間だな、赤城。少し可哀そうなくらいだ。
「実は神原くんって運動もできるの?」
声を小さくして、高瀬は俺にそう尋ねてきた。
「自分ではそこまで大したもんじゃないと思ってる」
俺はこれ以上会話を広げたくなくて、適当に相槌を打った。高瀬も赤城も、俺にとっては異なる種類の面倒事である。
「もー、神原くんは素直じゃないんだから……」
高瀬は楽しそうに笑い、赤城の肩をポンと叩いた。
「そうそう、頑張ってね。赤城さん。……お姉さんのこと気にしてるのかもしれないけど、赤城さんは赤城さんなんだから。そこまで気にしなくてもいいって、私は思うけどね」
「なっ、なんで……!?」
「まぁ、私にも人脈とそこそこ人生経験ってやつがあるのですよ。……別に言い触らしたりしないから。そんなに驚かなくていいよ。誰かに言わないって約束する」
高瀬は最後ににぱっと笑って、満足したように佐藤の元へと戻っていった。
高瀬が去った後も、赤城は数秒間、その場に立ち尽くしていた。
「……神原くんって、高瀬さんと仲良いんだ……というか、何なら神原くんよりあたしのことわかってるんじゃ……コワい!」
ぽつりと、赤城が呟いた。その声には、先ほどの不満げな色とは異なる、複雑な感情が混じっているように聞こえた。
「……高瀬が怖いのは同感だ」
俺はそれ以上何も言わなかった。赤城もそれ以上、俺に話しかけてこなかった。彼女の不満や焦燥感は、高瀬の介入によってどこかへ押しやられてしまったようだった。
ふむ。
あまり明言しないようにしていたが……やはり、そういうことなのだろう。
「っいたーい! 白石ごめん!」
「……痛そう。大丈夫、?」
「だいじょぶ! ありがとね!」
自分の席に戻る途中で白石の机にぶつかって、悲鳴を上げている赤城。
赤城凛。
やつは――――マジのバカだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます