1章 1日目 夜
1日目の夜
その夜、父の遺影が飾られた居間で、母と三人、葬儀場で渡された弁当を広げた。昼間の疲れと、父を失った悲しみが混じり合い、食欲はあまりなかった。普段は滅多に口にしない酒を、母は少しだけ飲んでいた。 「お母さん、疲れたろ。今日はほんまに大変だったね」私が声をかけると、母は小さく頷いた。「ええ、もうね、最後の方はちょっとね……。お父さん、呆けがね」母は言葉を選びながら、父の晩年の苦労を滲ませた。
「電話では大丈夫だと思ってた、ごめんよ」 「大丈夫やったけんね。えらいこともあったって話なんじゃけん。」
「なんとなく呆けない家系だと思ってたよ」 「お爺さんも最後はボケて大変じゃったんよ。あんたもう向こうにおったけん、知らんだけぞね。」
「なんとなくは聞いてたけど、学生の頃でしょう、あんまり連絡しなかった頃だよね。でもあの頃は父さんの兄弟3人いたでしょう」 「お姉さんは、おじいさんの介護しよった頃に、またがんになってしもうて、すぐ死んでしもうたけんね。」
「ごめん、伯母さんの葬儀にも私、出てないね」
「続けてじゃったけんね。それに、お父さんに会いたなかったんじゃろ。コロナのせいにしとるけど。」
「まあ、それもあったけど…」
「お兄さん、今日の政夫伯父さんはの、兵庫におるけんよ。交代を頼んだんじゃけど、日曜しか無理じゃて言うて、それをお父さんが怒ってしもうて。」
「近くはないよね。怒るのもわからないではないけど」
「とにかく色々あったんよ」
「母さん、ちょっと訛ってる?」私は尋ねた。 「そうなん?えらいこと長う住んどるけん、自分ではわからんわいね」母は少し恥ずかしそうに笑った。 「訛ってるね。そういえば、ここに来ると私も少し言葉が戻るんだよな」
東京に戻るまで、あと数日。まだ大丈夫だろうと思っていたが、少し焦りを感じ始めた。
その夜、私はなかなか寝付けなかった。頭の中では、母の疲れた顔と、伯父の余裕を秘めた笑み、そして「覚悟がいりそうだぞ」という言葉がぐるぐると渦巻いた。父の晩年の認知症、祖父の認知症、そして伯母の癌。それとは別に、伯父が口にした家とアパートの件。伯父の言葉が引っかかり、漠然とした予感が私を捉えて離さなかった。父が抱えていた問題は、認知症の進行に伴い、家や財産、人間関係にまで複雑な影響を及ぼしていたのかもしれない。
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