1章 3日目
朝、私は少し憂鬱な気分で目を覚ました。伯父の言葉が頭の片隅に引っかかっているものの、まだ事態を深刻には捉えていない。今日は、相続に関する手続きをいくつか済ませる必要がある。
まず、母に頼んでおいた税理士に電話をかけ、午前中の早い時間にアポを取った。次に、父の銀行口座の引き落とし先を変更するため、銀行へ向かい、窓口で必要な書類を確認し、手続きを済ませる。その後、市役所で窓口をめぐり、手続きを進めた。
午後は、母と一緒に税理士事務所へ向かった。私は、そこで渡された想像をはるかに超える量の必要書類と、容赦なく迫る期限のリストにようやく事態の深刻さに気づき始めた。隣に座る母は、私が書類の山に呆然とする傍らで、税理士の説明に穏やかに頷いている。彼女は、祖父の相続時にも似たような経験をしているはずだ。父が病気で動けなくなった後も、恐らく一人で、これらの煩雑な手続きに立ち向かっていたのだろう。父の他の兄弟、特に伯父が何も手を貸していないことに、腹立たしく思った。伯母は既に亡くなっていたのだが、その時の母の苦労を思うと、さらに心が締め付けられた。伯父は葬儀後すぐに兵庫へ帰宅したと聞いてる。
「こんなにたくさん……」私は、そのリストを前に、ただ呆然とするしかなかった。税理士は、淡々と説明を続ける。相続税、不動産登記、遺産分割協議……。聞いたこともない言葉が次々と飛び交い、頭の中が混乱していく。「これらの手続きを、期限内に終わらせなければなりませんが、今回、分割協議で揉めることはなさそうですね。市役所での手続きはほぼ終わっているようですから、後は頑張りましょう」
税理士によると、配偶者控除や小規模宅地特例を使っても相続税がかかるかもしれないとのことだった。「正確には精査してからですが、納税額50万は必要かもしれません。」という言葉が重く響いた。東京に戻るまで、あと5日。土日があるから平日は3日しかない。私は、この短期間で、一体どれだけのことを終わらせなければならないのだろうか。税理士事務所を出るともう夕方という時間になっていた。運動したわけじゃないが妙に疲れた。夕食は外で食べることにした。世間では遺産分割で揉めることも多いと聞くが、我が家の場合は母に全て任せるので問題ない。とはいえ、目録作成には多くの書類が必要で、専門家に頼むにしても時間と労力がかかる。そんな話をしながら、父とも来たことのあるカレー屋さんで夕食を済ませた。
4日目
翌朝、私は朝食を済ませると、佳子さんから預かった「大分銘菓ざびえる」の包みを手に、伯父の名刺に書かれた携帯番号に電話をかけた。兵庫にいるだろうと思いながらかけたのだが、コール音の後に聞こえてきたのは、意外にも伯父の陽気な声だった。
「おお、廣か!どうした、何か用か?」 「伯父さん、お疲れ様です。実は昨日、大分から佳子さんという方がお土産を持って訪ねてきまして、伯父さんにお渡しするよう頼まれたものですから…」
「佳子?ああ、多紀ちゃんの娘か。そんなこと要らんのにな。廣には面倒なだけだな。それでな俺はまだこっちにいるんだ、温泉宿でゆっくりしててね。どうだ?時間があるなら、今夜、うちの奥さんと飯でも食わないか?皆でくればいい」
朝食を終え、片付けをしている母に、私は伯父との電話の内容を何気なく伝えた。
「伯父さん、まだ近くの温泉にいるらしくて、今夜、奥さんと一緒にご飯に誘ってくれたんだけど、母さんもどうかって。」
母は、顔を洗いながら少し動きを止めた。鏡に映るその表情は、はっきりと不快感を滲ませていた。
「……うちはええわ。おじいちゃんのお葬式で喧嘩して以来、お兄ちゃんの口調がえらいきつうなったがね。それに、くたびれとるけん、あんたが行きたいんなら行ったらええよ。渡すだけでええんやない?」 母はそれ以上何も言わなかったが、その口調には明確な拒絶の響きがあった。
伯父への返事をどうするか考える間もなく、私は再び電話口で伯父に言った。
「ありがとうございます。嬉しいお誘いなんですが、母はちょっと疲れてしまっていて。もし差し支えなければ、私一人で伺ってもよろしいでしょうか?」
私の言葉に、伯父は少しの間を置いてから、豪快に笑った。
「そうかそうか、麻美さんもそういう歳になったか。わかった、じゃあ廣、お前一人で来い。場所は判るか?楽しみにしてるぞ」
電話を切った後、伯父がまだ近くにいることに驚きつつも、彼の誘いに応じることに、漠然とした予感が私を捉え、気が重くなった。 午後から母と菩提寺に49日法要の打ち合わせと年金事務所へ。ついでに祖父母の墓参り。いったん帰宅してから伯父の宿に行くことにした。
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