第8話 涙の雨 中

  -締詩沫暦-1019年2月27日-冬-中心城東部入口


  隙間すきまは城内の路地ろじに繋がっていた。一つの壊れた提灯ちょうちんが地面に叩きつけられ、雨水の中で消えかかった蝋燭ろうそくの火が揺らめいている。これが少女が遠くから見た明かりだった。苦難の末、少女はついに城内へと辿り着いた。最初に考えていた方法ではなかったけれど。


  少女は壁に手をかけ、よろめきながら地面から立ち上がった。雨は彼女の汚れきった体を丁寧に洗い流すと同時に、容赦なく体温を報酬として奪っていく。全身が震えていた。ついに目的を果たしたこの瞬間、彼女はもう耐えきれないほどだった。


  だが、彼女は歩み続けなければならない。


  今すぐ雨宿りできる軒下のきしたを見つけなければ。さもなければ、低体温症で本当に死んでしまう。


  路地には、城外のような腹を満たす果物はない。雨が降っているので、暖を取る火も起こせない。薬湯すら作る手段がない。最後の力を振り絞ってここまで来たため、彼女の持っていた荷物、金、食料はすべて城外の湖に沈み、二度と陽の目を見ることはなかった。


  何もかも失った。


  壁にすがりながら、一歩また一歩と進む。路地を抜けても、相変わらず冷たい雨が降っていた。


  どしゃ降りの雨。今日、多くの店は早々に開店しないだろう。だから、彼女のみすぼらしい姿を見かける者もいない。彼女は一人、通りをよろよろと歩いていた。鉛のように重い足を引きずり、亡霊ぼうれいのように。


  顔面蒼白がんめんそうはく、全身ずぶ濡れ、震えながら、それに空腹で。通りを少し進んだ右手に、一軒だけ変わった家があった。早々にドアが開き、窓から焼きたてのパンの香りが漂ってくる。彼女にはわかった。ヨーおばあさんが作ってくれたことがあるからだ。


  ——「ああ……ヨーおばあさんの作ったパンが食べたい」

  そう感慨深く口にしたいところだったが、できなかった。残されたわずかな力は歩くため、前へ進むために使わねばならない。もし話せば、息が乱れて雨の中で倒れ、これまでの努力が水の泡になるかもしれない。


  刹那せつな、空に稲妻いなずまが走った。神罰しんばつのように少女に激しい苦痛をもたらした。四肢しし包帯ほうたいの下から、ありとあらゆる痛みが押し寄せ、彼女の脳を支配した。


  普段なら、この一時間前に薬湯を飲んでいた。それから出発したものだ。しかし、昨夜から今日まで、一滴も飲んでいなかった。


  ——「痛い……」


  骨が巨大な岩で何度も何度も砕かれるような感覚。全ての傷口が刺すように痛み、声なき、凄惨せいさんな泣き声を上げているかのようだった。


  彼女は丸くなり、地面に倒れた。水たまりに波紋はもんが広がる。手足が痙攣けいれんし、視界はほとんど黒いベールに覆われようとしていた。


  だが。


  彼女は拳を握りしめた。


  歯を食いしばり全身の激痛を耐え、再び地面から這い上がった。そして、目の前に残された温もりの影の前まで、一歩一歩、踏みしめて進んだ。


  心地よい灯火が彼女の顔に降り注ぐが、慰めにはならなかった。ついに、彼女は耐えきれなくなった。無力に倒れ込み、あの強い意志は深淵へと完全に墜ちていった。


  万籟ばんらいせきとして、何もない闇の中。彼女の視覚は遮られ、触覚は封じられた。ただ、どこからともなく響く声だけが反響し続ける。


  彼女はかすかな囁きを聞いた――

  …………

  ……………………

  ■■渦巻く■■帰る場所なし■■静寂せいじゃく

  ■命じる■■の■■存在■■■;

  ■以て■■滅びと■■個の■■;

  ■■生■ただ■死へ■■■;

  …………………………………………

  ■象の■魂■■目覚めず■■;

  ……………………

  …………


  どれほど経ったか。独り言のような囁きはしばらく前に消えていた。代わりに、少女の体にじわじわと広がってきたのは、温もりだった。烈火のように熱くも、灼熱しゃくねつでもない。蝋燭の火のように、心を落ち着かせ、精神を鎮め、彼女の意識を呼び戻す。


  少女はゆっくりと目を開けた。傍らには、さきほど出会ったあの大柄な獣人が心配そうな顔で彼女を見つめている。彼のそばにはもう一人、低く垂れた獣耳を持つ女性の獣人がいて、夫の陰から少女をのぞいていた。


  「あり……がとう……」


  これが少女が目を開けて最初に口にした言葉だった。彼女の息遣いはかすかで、この親切な獣人が彼女がドア前に倒れているのを見つけ、すぐに家の中へ運び込み、妻が服を乾かした後、暖炉だんろのそばの寝床に寝かせてくれなければ、彼女は本当に外で死んでいただろう。


  そして今、彼の親切心と暖炉の火が少女を温め、彼女の命を繋いでいた。


  彼女は再び、他人に救われたのだ。


  しかし、少女がゆっくり休む間もなく、四肢の精神的な痛みが、まるで毒蛇どくへびのように再び彼女の精神に絡みつき、傷口を噛みちぎった。


  ピクッと体が跳ね、目の前の獣人を驚かせた。そして彼女は激痛をこらえ、目の前の獣人に告げた。


  「……くすり……お願い……」


  獣人は最初は少し戸惑ったが、よく考えてすぐに理解した。少女のポケットには少し薬草やくそうが入っていた。これが彼女の命綱いのちづなに違いない。妻が服を乾かしていた時に気づいていたのだ。


  彼はすぐに薬草を取り出し、店の鍋で薬湯を煮立て始めた。その間、少女はベッドの上で必死に自分を抱きしめ丸まり、激痛に耐え、できるだけみっともない姿を見せまいとしていた。およそ三、五分後。


  大柄な獣人は薬湯の入ったわんを妻に渡し、ゆっくりと少女に飲ませるようにした。


  獣人は所詮しょせん料理人であって医者ではない。この処方箋しょほうせんも本来のせんじ方ではなかった。普段ならすぐに効く薬湯も、今となっては少し待たねばならなかった。


  薬湯を飲んでしばらくすると、少女の体は次第に落ち着き、震えも止まり、表情も苦痛にゆがむことはなくなった。彼女の精神に絡みついた毒蛇は、再び医者が処方した薬でしずめられた。痛みも震えもなくなったが、少女はもうこれ以上の傷つきに耐えられる状態ではなかった。傷口と包帯は水と砂塵さじんひたされ、すでに汚れきっている。自分の意志だけでここまで持ちこたえたが、精神は極度に衰弱しており、彼女はしばらくの間、十分に養生する必要があった。


  獣人が安心した声をかけると、店の外からにぎやかな声が聞こえてきた。通りに人影が増え始めていた。


  その音を伴い、彼女は安らかに眠りについた。暖かい暖炉のそばで、柔らかいベッドの上で。呼吸は落ち着いていた。


  この店はかつてこの地区で人気の店だった。毎日早く開店し、様々な人々に朝食や軽食を提供していた。毎日、様々な人々、衛兵、精霊せいれいが訪れ、焼きたてのパンを朝食や軽食として買っていった。しかし、家族の事情で彼は城を出て家族の世話をしなければならなくなり、店を友人に任せていた。獣人が今、城に戻ってきたのは、この店を再び自分で経営し、城内で暮らす子供たちを養うための小銭を稼ぐためだった。


  早朝の熱気あふれる営業を経て、またしても朝のうちに大繁盛した。その間、少女はおとなしくベッドに横たわり、深い眠りに落ちていた。子供の指先がそっと彼女の頬をつつくまで。


  少女が目を開けると、小さな猫耳の少女が彼女の頬をつつき、見知らぬ訪問者を好奇心いっぱいに見つめていた。彼女はゆっくりとベッドから起き上がった。意識はまだ少しぼんやりしていたが、一時的に痛みは感じなかった。良いことだ、そう思った。


  「パパ! 彼女、起きたよ!」


  少女は叫びながらドアの方へ走り、ゆっくりと近づいてくる大柄な獣人の後ろに隠れた。


  「目が覚めたか、しばらく眠ってたな。体は……まだ痛むか?」

  獣人は布で手を拭い、淡い白い小麦粉をきれいにした。少女は一瞬呆気あっけにとられ、首を振り、かすかに言った。


  「ありがとう……」


  「お腹空いただろう。まず何か食べろ。ついでに、どうしてうちの前に倒れていたのかも話してくれ」

  少女はふわふわのパンを食べながら、獣人にこの短くも波乱に満ちた経験を話した。

  「身分証明書がないから城に入れず、雨の夜に無理やりこっそり入った……言っておくが、坊や、知らなかったかもしれないが、この行動は違法だ……」


  彼女は明らかに獣人の言わんとしていることを理解していたが、目をそらし、その事実を認めたくない様子だった。


  「城内に他に行くところはあるのか?」


  獣人が問い詰めると、少女は首を振った。彼女はここに頼れる者はいなかった。獣人は少し困った。目の前の少女は体が弱く、しかも病気を患い、身分証明書もない。


  当初、みすぼらしい彼女が晶化病しょうかびょうにかかっているのを見て、彼女のことを思いやり、一瞬心が弱って医療関係者にすぐに通報しなかった。

  しかし、入城口の警戒が極度に厳しい今、もし衛兵が彼の家を捜索し、この少女を見つけたら、家族全員が不審人物をかくまったとして巻き込まれる可能性がある。

  だから、家族の安全のために、この見知らぬ少女をここに留めておくわけにはいかない。しかし、彼女をそのまま衛兵に引き渡すのは、あまりにも残酷だった。彼女は虚弱で、とても一人で城内で生きていけるようには見えなかった。


  ふと、彼は良い考えを思いついた。彼は一人の老いた工匠こうしょうを知っていた。自分の包丁が壊れた時はいつも彼のところへ鍛造たんぞうを頼みに行ったし、器械が壊れても彼は直せた。そのため、彼らは比較的親しかった。


  彼の知る限り、老工匠は気性が荒いため、弟子もおらず、後継者もおらず、ずっと一人で暮らしていた。そして、何らかの理由で、老工匠の家には衛兵が訪れることは決してなかった。目の前の少女にとっては絶好の隠れ家だ。


  少女にこの計画を話すと、彼女はおとなしくわずか二つの所持品を身につけ、獣人に身を隠すマントを羽織らせてもらい、老工匠の家へと向かった。


  ……


  「アティサ? 在宅か?」


  獣人が人通りもまばらな通りの一軒家の前に来た。そばにはフードを被って人目を避ける少女が立っている。彼女は獣人の後ろにひっそりと隠れていた。獣人はドアを叩き、工匠の名を呼んだ。


  すると、ドア枠ほども背が高く、褐色かっしょくの作業服を着た、非常に威厳のある白髪の老人がドアを開けた。白いひげを生やし、やや老けて見えたが、右目にある刀傷かたなきずは彼の知られざる過去を物語っていた。陰気なまゆの下、彼は深く、傲慢ごうまんな眼差しで、目の前の獣人と少女を一掃した。


  「店、つぶれたのか? 孤児みなしごを預けに来たのか?」


  澄んだ金色こんじきの瞳は輝くほどだったが、極めて冷たく、人を遠ざけるものだった。


  「ああ……朝っぱらからそんなに刺々とげとげしいな、まったく。真面目な話だ。この少女を養子ようしにしてほしい」


  「養子? 自分の子は育てられず、俺に押し付けるのか?」

  老人は非常に驚いた。表情は変わらなかったが、その驚きは明らかに聞き取れた。獣人は首を振った。


  「この子は俺の子じゃない」


  獣人が少女のフードを外すと、老人は気づいた。彼女には獣人のような耳はなく、普通の人耳だった。そして彼女の左首から頬の下にかけて、目を引く結晶けっしょうがあった。彼が最もよく知るものだ。


  「このやまいの子を養子にしろと? なぜだ?」

  老人が問うと、獣人は彼が知る少女の全てを老人に話した。

  「わかった。お前は厄介やっかいを俺に押し付けて、さっさと解放されたいんだな」


  「彼女の前でそんな言い方をするな。とにかく、俺は家族にそんなリスクを負わせられない」


  老人は少女を見た。彼女は周囲の環境を静かに観察しており、彼らの話に何の意見も述べなかった。彼は沈黙し、しばらく考えた後、獣人に返答を与えた。


  「お前の頼みは受け入れよう」


  「報酬は必要か?」


  「いらない。養子にするだけだ。俺にとって、大したことじゃない」


  彼はしゃがみ込み、少女を見つめた。

  「名前は?」


  少女は少し考えた。頭の中で自分の名前を探しているようだった。


  「……慕火ムーカ。私の名前は、慕火ムーカ


  「慕火ムーカか……」

  小さな彼女の首にかけられた首飾りが目を引いた。さっき遠くからではわからなかったが、今、彼はどこか見覚えがあると感じた。

  「これ、見せてもらえるか?」


  「うん……うん」


  アティサの指先がその十字架じゅうじかをつまみ、じっくりと観察した。何かを思い出したかのようだった。それから瞳をそらし、それを頭から追い払おうとした。


  「ど……どうかしましたか?」


  彼女は探るように尋ねた。


  「……何でもない」


  彼は十字架を離し、立ち上がった。これ以上気にかけるまいとした。


  「あの、お名前は?」


  慕火ムーカが老人に尋ねた。


  「俺か?アティサだ。好きなように呼べ」


  「じゃあ、頼んだぞアティサ。俺は行く」


  「待って―――」

  少女は獣人の服のすそを引っ張り、急いでこの命の恩人を引き留めた。


  「どうした?」


  「うん……お名前?……」


  「俺は……」


  アティサがドア枠に寄りかかり、黙って二人を見ていた。気持ちが通じ合わず、どちらも口に出しづらい。どちらも言いづらい。ため息一つが、彼の口から沈黙を破った。


  「慕火ムーカ、彼は名前を教えないだろう」


  「お前……」


  「間違っているか?慕火ムーカ、自身もなぜかわかっているはずだ」


  「…………うん……」

  獣人はひたいに手を当てた。彼はこんなにストレートに自分の考えを暴かれたくなかったが、アティサの言うことは確かに間違っていなかった。


  慕火ムーカもそれを理解していた。これが一番安全なのだ。たとえ……後悔が残っても。


  「悪いな慕火ムーカ、確かに彼の言う通りだ。俺は……君に名前は教えない。これを俺の願いとして受け入れてくれ、頼む」


  少女は服の裾をぎゅっと握りしめた手に力を込めた。だが、これ以上続ければ彼に迷惑をかけるとわかっていた。名残惜しそうに手を離し、黙ってうなずいた。


  「じゃあ、行くぞ?」


  「……うん……」


  彼は最後にしゃがみ込み、別れに彼女の頭をそっと撫でた。まるで自分の子供に対するように優しく。それから立ち上がり、来た道を歩き去り、少女とアティサをそこに残した。


  「入ってこい。外は妙に寒い」


  アティサは家の中へと歩いていった。慕火ムーカは獣人が遠ざかっていく後ろ姿をぼんやりと見つめていた。彼の姿が完全に人混みに溶け込むまで。


  「もう一度、ありがとう……」


  胸に手を当て、声をひそめて再び感謝した。それは美しい祈願きがんのようだった。それから振り返り、アティサの後を追って家の中へ入った。



  ……時は早く過ぎた。


  少女が目覚めたときから、もう五ヶ月近くが経っていた。ここに来て一ヶ月余り、少女はアティサ老工匠の家で暮らし、二人は名目上も生活上も、まるで本当の親子のような関係になっていた。


  アティサの住まいは三階建てだった。最上階はもともと空っぽの屋根裏部屋で、ガラクタが山積みになっていたが、片付けて今は少女の部屋になっている。その下の階が普段の生活空間で、台所、浴室、老工匠の部屋、居間兼食堂がこの階にある。


  そして最下層の地下室が、老工匠の仕事場だった。少女が真夜中にこっそり起きて何か食べている時、よく地下から工具の打ちつける音が聞こえてきた。


  少女がここに長い間住んでいたが、彼女はうまく偽装していた。アティサとあの獣人の家族以外、ほとんど誰も彼女がここで生活していることを知らなかった。


  彼女は見て、老工匠の仕事を学んだ。老工匠は根気強く、ゆっくりと彼女を教え、指導した。学習能力の高い彼女も老工匠の丁寧な指導に応え、工匠が教えることのほとんどを学んだ。ただし、術式じゅつしきを発動させる必要がある場所や、非常に細かい加工が必要な場所は除かれた。前者は、彼女が言うところの燦能を導くことができなかったためで、これはアティサと全く同じだった。


  後者は、彼女の手がいつも無意識にわずかに震えてしまうため、不可能だった。しかし、理由はわからないが、工匠はそれでも労をいとわず彼女を教え続けた。まるで他人のように大切にするものを持っていなかったかのように、彼は少女に百パーセントの細やかさと愛情を注いだのだ。


  一緒に過ごす日々が一日一日と過ぎ、アティサは養女ようじょが日に日に成長し、毎日新しいことを学ぶのを見た。時には、彼女が誰もいない真夜中にこっそり衛兵の目を盗み、城内の蔵書庫ぞうしょこに潜り込み、探検のように知識を懸命に探しに行くこともあった。あるいは、彼が気づかなかったり、何気ない時に、少女が歓声かんせいを上げて花束をいっぱい差し出すこともあった。


  一人暮らしの男は、何度も彼女に温められ、毎日驚きがあり、毎日変化があり、生活は笑い声に満ちあふれたものになっていた。


  しかし、時が経つにつれ、アティサも所詮は腕利きの工匠だった。微細な変化は彼の目を逃れなかった。


  彼は少女の笑顔が消え、口元にわずかな痕跡を残すだけになっていくのを見た。少女の体の傷口は何の変化もなく、放つ微かな光が次第に恐ろしい黒へと変わりつつあった。しかし、少女自身は全く気づかず、痛みを感じることすらほとんどなくなっていた。彼は少女が自分の体の変化を感じ取れないとは信じたくなかった。どんな生物でも、痛みを感じることは生きているかどうかを測る唯一の基準に違いない。しかし、少女の様子は本当に、本当に見ていられないものだった。


  何度か少女の過去を尋ねる時、彼女の記憶が日に日に曖昧あいまいになっていることに気づいた。彼女は自分がなぜ城に入ったのかさえも思い出せなくなり、何度かは自分の名前すら忘れてしまうこともあった。


  彼は心が痛んだ。そして少女に内緒で、彼女が肌身離さず持っている薬草を調べた。詳しく調べると、全部で六種類の精神麻痺しんけいまひ薬草と二種類の致死的なレベルの毒薬どくやくだった。幸い少女は毎回の使用量を非常に慎重にしていた。さもなければ、結果は想像を絶するものだっただろう。


  そして、彼は少女が自分に言った言葉を突然思い出した:決まった時間にこれらの薬草で作った薬湯を飲まなければ、必ず発作ほっさが起き、痛みに溺れ、ひどい時には命さえ奪われるかもしれないと。


  ——「……それは嘘じゃなかった」


  これらの薬を飲み続ければ、彼女の脳は最後にはこれらの薬の麻痺成分に導かれ、完全に停止する―――脳死のうしだ。


  彼は受け入れられなかった。絶対に受け入れられない。彼女の過去が何であれ、自分には調べる手段もない。しかし、それでもなお、彼は少女が死へと一歩一歩進む道を歩ませたくなかった。


  それは生きた命だ。彼女を養子にした以上、当然最後まで面倒を見る責任がある。


  彼は一つの方法を知っていた。全てをいやすことができる一つの方法――――――聖泉せいせん


  答えはもう明らかだった。


  彼女の命を繋ぐ方法は、ただ一つしかなかった。

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