第一章 将軍の立志
第1節 モスクワの落日
1945年1月16日 午前6時15分
ドイツ軍占領下旧ソビエト連邦首都 モスクワ
ドイツ軍占領下のソ連の首都、モスクワに当時15歳だったアレクサンドル・イワノフ少年はいた。数年にわたる食糧不足で痩せこけた碧眼の少年はみすぼらしいアパートから冬のモスクワを堂々と闊歩するナチス党員たちの群れ、そして街路に放たれたままの餓死体を見つめていた。モスクワが占領された1941年のクリスマスから始まったこのような光景に、当時11歳だった少年は愕然としたものだったが、人間というものは恐ろしいもので彼はすっかりこのような状況を俯瞰して見ていた。
「なぁ、母さん、父さんは……ミーシカは今どうしてるんだろうなあ?」
その声に耳を傾けたアレクサンドルの母であるアリョーナ・イワノヴァは台所で調理を進める手を止めて息子に応えた。
「分からないわ……戦死報告は届いてないけれど……きっとヴォルガ川で今も戦ってるはずよ。あの人のことだもの、きっと生きているわ。」
目を濁らせながら放ったその声は震えていた。。彼女もまた息子と同じように41年のクリスマスのモスクワ陥落から続く食糧不足で痩せ細っていたのだ。アレクサンドルは母を見やった。
彼女は息子と同じように碧眼で、金色の髪を持っていた。三十代半ばで若さの全盛を過ぎているように見えながらその顔立ちは見事に整っていた。
だが彼女の目を濁らせるのはそれだけではないこともアレクサンドルは分かっていた。
アレクサンドルは床に伏す時聞いていた。家のドアが叩かれる音、母の怯えた声、聞き慣れない言語を話す男、朝方の母のやつれた表情、たまに家のテーブルに置かれているライヒスマルク紙幣。
これらの事象からアレクサンドルは母がナチス党員、あるいは国防軍人の情婦になって金を稼いでいることを確信していた。
実際、彼の家庭は貧しいとは言え、他の極貧家庭よりははるかにいい暮らしをしていたからである。
母の精神的不調を慮ったイワノフは窓外を見つめるのを止め、台所に向かった。
「母さん、良いんだ。俺が料理するの変わる。休んでてくれ。」
「ありがとう……頼むね、サーシャ。」
母が煮込んでいた鍋を受け持った彼は内面に持っていたある違和感について想いを巡らせていた。
――ここ数日、ドイツ軍の奴らを見かけないな。何故だ?この街は人口400万を超える大都市、更には奴らは圧政を敷いているから反乱の危険がある。軍を置かないなど秩序を乱すだけじゃないのか?何故だ……?
その時、アレクサンドルは微かなエンジンの音を聞いた。反射的に飛び出した彼は空にある黒い機体を捕捉した。
――空襲!奴ら俺たちを爆撃で処分する気か!なるほど、軍人がいなかったのは同士討ちを避けるためか!
「母さん!空襲が来るぞ!早く逃げよう!」
……その瞬間、目を焼かんばかりの閃光が彼の視界を埋め尽くした。
そしてまばゆい光が晴れた時、人類空前の悲劇が彼の人生を覆うのだった。
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