第12話 白紙のエロ小切手発行。

 翌日。

 まだエロ漫画を処分してすらいない低品質な息子である僕に対し、お母さんは朝からどこか申し訳なさそうな顔を向けていた。

 あれからずっと、お互い少しぎこちないが、これはきっと時間が解決してくれるだろう。

 またしても僕が原因でお母さんと一緒に居辛くなったが、これは仕方ない……訳じゃないか。

 僕がお母さんの再婚をただ受け入れれば良いだけの事だ。

 そうしたらぎこちなさは一瞬で解決できるだろう。

 でも僕は……なんか、嫌だ。

 あのお母さんの、いかにも女ですって顔を見るのは嫌だ。

 そもそも、知りもしない男と一緒に暮らすなんて嫌だ。

 というか、そんな男とこれから知り合っていくのもなんか嫌だ。

 なにもかもが嫌だ。


「ほんっと、なんて嫌な子供だよ……」


 自己嫌悪に陥りつつ通学路を歩み続ける。

 教室にたどり着くと、既に蠱惑寺さんが居た。

 ちなみに、蠱惑寺さんの右隣の席が薔薇園さんの席だ。

 つまり、僕の前が蠱惑寺さんで、右前が薔薇園さんとなる。


「おはようございます、せんせっ!」


 蠱惑寺さんは、僕に気が付くなり小走りで近寄ってきて、顔いっぱいに笑顔を咲かせて朝の挨拶をしてくれた。

 その様子が、ただただ可愛らしくて。

 今すぐにでも抱きしめたいくらいだった。

 けどそれ以上になんか罪悪感があって、彼女を直視できなかった。


「お、おは――」


 挨拶を返している最中、僕は期待を込めて彼女の後頭部を見たのがいけなかったんだろう。

 昨日買わせてもらった赤いスカーフリボンが、蠱惑寺さんの髪の毛を一つにまとめていた。

 その事実を目の当たりにした僕は、胸をぎゅっと締め付けられる感覚を覚えた。

 もう、今すぐにでも描きたくて仕方がなくなってくる。

 蠱惑寺さんのエロ漫画を描きたくて描きたくて描きたくて、しょうがなくなってくる。


「――よう」


 胸をつまらせながら、なんとか挨拶を返しきった。


「はい! おはようございますっ!」


 二度目の挨拶は、まるで蠱惑寺さんに後光が差しているかの様に見えた。

 もう、胸が苦しくて苦しくて、たまらない。

 小学生の頃はこうなった時、エロ漫画を描いて解消していた。

 だけど今の僕には、そんなエロ漫画を描く場所は無い。

 薔薇園さんの家も自宅も、蠱惑寺さんの漫画を描ける場所じゃない。

 僕が描きたいと心から願う漫画を描ける場所は――今現在、どこにもない。

 ありはしない。

 その事実が、僕をより苦しめてくる。


「……せんせ? 大丈夫ですか?」


 苦悩が顔に出ていたのだろう、蠱惑寺さんは心配する言葉をかけてくれた。

 僕は頭を振って、なるべく穏やかな笑顔を振りまく様に心掛けた。


「うん? 大丈夫だよ?」

「そ、そうですか?」

「そうだよ?」


 心の苦しみを笑顔で塗りつぶしながら、堂々とダイジョブ宣言をした。


「ご無理はなさらないでくださいね?」

「しないしない。ありがとうね」


 でも実際は、蠱惑寺さんをヒロインにしたエロ漫画なんて描けないから、無理してでも我慢するしかないんだ。

 絶対に描けないのなら諦めるしかないんだ。

 まさか本人の前でなんて描ける訳が無いんだから、今すぐにでも諦める必要があるんだ。


「師匠、ゐく、おはよう」


 いつの間にか登校してきた薔薇園さんが現れた。

 僕も蠱惑寺さんも挨拶を返す。


「……ゐく、そのリボン見た事ない。新しい?」

「そうなんです、聞いてくださいよ明日子ちゃん! これ、昨日先生に買って頂いたモノなんです!」


 蠱惑寺さんは、スカーフリボンを愛おしそうに撫でた。


「…………へえ?」


 薔薇園さんのクチが、不服そうにとがった。


「師匠、弟子におみやげは?」

「ごめんなさい買ってません」


 思わず敬語になってしまったし、思わず頭を四十五度くらいピッシリ下げてしまった。


「そう……」


 しょんぼり顔の薔薇園さんは席に座り、聞こえるか聞こえないかギリギリの威力の軽いため息を吐いた。

 BL描きたいからって昨日ついてこなかったクセに、なんて突っ込みたくもあるけど。

 ここまでガッカリするなんて、しまった何か買ってくれば良かった。


「……なんでも一つだけ言う事聞くっての、どうだろう?」


 よく考えずに白紙の小切手をきってしまった気分だった。


「いいのっ!?」


 ぎゅるっと勢いよく首だけまわし、ランランとした瞳で僕を見つめて来る薔薇園さん。


「い、いいよ?」

「やたっ。今度みせてもらうっ」


 喜ぶ薔薇園さんの言葉に若干の不安を感じる僕と、ちょっとずるいですと頬を膨らませる蠱惑寺さんだった。

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