第11話 人を殺す性欲。

 ラブホを出ると、太陽は既に杏子色に染まっていた。

 夕焼けに照らされながらの帰りの電車内。

 蠱惑寺さんは僕の肩、というか上腕に頭を預ける事を忘れなかった。

 僕は彼女の頭を撫でてみたい衝動にかられたが、いくらなんでもやっちゃいけないと思い、必死で我慢した。


「最後の聖地巡礼は――公園ですっ!」


 最寄りの駅から出て、徒歩十数分後。

 僕の家の近くにある、広い公園にやってきた。

 遊具は鉄棒と小さな滑り台程度。

 休憩場所として、大きな木のテーブルとイスがあり、それらは同じく木製の三角屋根に守られている。

 とは言っても、雨が降ったらばっちり濡れるけど。


「ヒロインが告白した公園は、ここですよね? 時間もたしかこのくらいだったかと」

「そうだね。ちなみに、ヒロインがこの場所を選んだのは……ほら。この時間、人気が少ないから」


 閑静な住宅街というのもあって、生活音すらもほとんど響いてこない。

 たまに遠くで車やバイクの走る音が聞こえる程度だ。


「なるほど、確かに告白するのを誰かに聞かれるのは恥ずかしいでしょうからね」

「そういう事」


 蠱惑寺さんは、ぼーっとした目で僕を見つめてきた。


「……なにかな?」

「先生は女の子に、告白されたいタイプですか?」

「まあ……そうだね。僕は陰キャっていうか受動的っていうか、本音は……そのね? 漫画に描いた通りなんだよね。主人公は僕の本音を代弁してるだけなんだ」

「そうなんですか……」


 どこか嬉しそうにしている蠱惑寺さん。


「そういう蠱惑寺さんは、告白されたい方? したい方?」

「告白してみたいですね、それこそその……先生の漫画の主人公みたいな方に」


 描いている本人からするとそれは嬉しいけど、なんか本当勘違いしそうだ。

 だって、主人公の性格や趣味趣向は基本的に僕そのまんまだから。


「少し前にも言いましたけど、ゐくは許嫁が嫌で……彼の視線が嫌らしくて、気持ち悪くて」


 気持ち悪いは初耳だけど、まあそうじゃないと投げ飛ばさないか。


「それで思わず一本背負いして、親からも見放されて…………だから、だから結婚するなら、この漫画の主人公みたいな方が良くて」


 漫画のキャラに恋をする時期ってあるよね。

 という話じゃないのはいくら馬鹿な僕でも分かる。


「許嫁みたいに、親みたいに、自分の欲望だけじゃなくて、彼女の為に色々頑張ってくれている、やろうとしてくれている人が良くて」


 生まれて中二の頃まで全部、親の欲望にまみれて、それに従って生きてきたんだもんね。

 だからこそ真逆にあこがれるって所もあるんだろう。


「別に、頑張って、それが結局駄目になってもいいんです。頑張ってくれるだけでゐくは嬉しくなります。その嬉しさが、ゐくからしたら結果ですから。素敵な結果ですから」


 確かに、ポジティブな感情は結果としても良いかもしれない。


「主人公みたいに、明日死ぬかもしれない、今死ぬかもしれない、だから精一杯今を楽しませてくれようとしてくれる。ゐくの為に動いてくれる人。それがゐくの理想の人なんです」


 やっぱり、勘違いは勘違いだったね。

 僕は絶対そんな男にはなれない。


「相手が一生懸命なら、ゐくだって一生懸命、その人を楽しませたいです。その人の為なら、ゐくはなんだってします!」


 良い子だ。

 とっても可愛い、素敵な女の子だ。


「ですから、先生。……先生の漫画には、ゐくの理想が詰まってるんです」


 なんて嬉しい言葉だろうか。

 漫画描き冥利に尽きるってもんだ。


「先生の理想は、ゐくの理想なんですっ!」


 今この瞬間の為に、漫画を描いてきたんだぞお前はと神様に言われても納得できる。

 それくらいに僕の身体は、感動という麻薬に侵されている。


「だから、先生の主人公が、話が、絵が、漫画が!」


 頭の天辺から足のつま先までが、五臓六腑が、幸福感に満たされ痺れ、身動きが取れない。


「ゐくは、だいすきなんですっ!」


 気が付けば僕は、あまりもの歓喜に涙を流していた。



 蠱惑寺さんと別れて、帰宅後。

 その頃にはとっぷり日が暮れていた。

 僕は、公園で蠱惑寺さんに本気で、如何に僕のエロ漫画が好きかを告白されてからずっと、感動が身体から消え失せず、悶え続けていた。

 元々僕のテンションは、彼女が赤のスカーフリボンをつけてくれたあたりから常に最高状態にあった。

 そこから更に公園での出来事があり、テンションは許容量を突き抜けてしまった。

 耐えられる限界を超えてしまったんだ。

 溢れ過ぎた歓喜はそれでも体内に入り込もうと必死で、僕はそれに耐え続けていた。


「うぐうううううううっ!」


 ベッドにうつ伏せに倒れ、僕は喜びに喘ぐ。

 苦しい以上に幸福感が大きいので、別にそこまで辛い訳じゃない。


「蠱惑寺さん蠱惑寺さん蠱惑寺さん蠱惑寺さん……」


 一番問題なのは、僕の頭が――蠱惑寺さん一色で埋め尽くされてしまっている事だ。

 僕はさっきからずっと、蠱惑寺さん以外の事を考えていられない状態になっている。


「か、描きたい。描いたら絶対に発散できる。でも、それは……だめだろ。けど……」


 なんだかんだ誘惑に負けて、僕は机に座って白紙にペンをぶちまけた。


「可愛い、可愛すぎるんだよ蠱惑寺さんはっ!」


 僕は、蠱惑寺さんを二次元の絵に堕としてしまった。

 ものの数分で、蠱惑寺さんの正面と背中、そして側面が描けた。

 しかも裸バージョンと服を着ているバージョンの二つをだ。

 勿論、服は今日着ていたジャンパースカートと囚人服。


「蠱惑寺さんのエロ漫画、描きたいっ!」


 だが、今は描く事は出来ない。

 なぜなら自宅だし、おまけに今の僕は自分の感情をコントロール出来ていないからだ。

 きっと、描き出したら止まれない。

 お母さんにまた見つかって、今度こそ最低でも一回は追い出されるだろう。

 そんなみっともない事はしたくない。

 でも……。


「描きたい描きたい描きたい描きたいっ! ううううう゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛っ!」


 しかし、いつまでもこんな風に悶えていられない。

 蠱惑寺さんの絵を描き、多少冷静さを取り戻した僕は、トイレで賢者に転職してきた。

 子供の種を、水の上に無駄にまき散らしてきた。

 どえらい出た。


「……ふう」


 すっきり。

 完全にではないけれども、結構すっきりした。


「いやでも、やっぱ描きたいよ蠱惑寺さんがヒロインのエロ漫画……」


 そんな漫画、描ける訳がないんだ。

 唯一エロ漫画が描ける薔薇園さん宅でも、無理なんだ。

 何故なら蠱惑寺さんも一緒に居るんだから。

 描きたくても、描ける訳が無い。

 キモがられるに決まってるんだ絶対。

 僕が描きたいエロ漫画は、薔薇園さんが描いていたBLとは明らかに違くて。

 薔薇園さんのBLは、主人公が薔薇園さんじゃなかった。

 薔薇園さん本人の感情や情熱は、あくまで僕と外見君の関係のみに注がれていた。

 けど僕のエロ漫画は、主人公は僕そのままだ。

 僕と蠱惑寺さんが恋仲になってから、純粋にえろえろする話だ。

 そんなん、本人の目の前で描ける訳が無い。


「描く場所が無いんだから、諦めろ僕……」


 諦める以外に選択肢は無い。

 また、別の蠱惑寺さんみたいな人が出てきて、蠱惑寺さんをヒロインにした漫画を描く場所提供してあげます、みたいな事は絶対に起きないんだから。

 ありえないから。

 てかまだ何も描いてないから。

 描く前に、諦めておけ僕。


「ただいまー!」


 少し泣きそうになりながらも諦める事を決意した時、お母さんが帰って来た。


「おかえり。なんだか嬉しそうだね?」


 最近あまり見ないレベルで良い笑顔をしているお母さん。

 お母さんが嬉しそうにしていると僕も嬉しくなってきてしまう。


「ふふ。結構良い事あったのよそれが。ねえ、聞いてくれる?」


 靴を脱いで家にあがるなり、お母さんは僕の意識外を突いてくる様な発言をした。


「お母さん――再婚しようと思うんだけど、どう思う?」


 天国から一気に地獄に堕とされた感覚に陥った。

 は? 再婚? お母さんが? 誰と? ショッピングモールの時に居た、あの男と?


「どうって、言われても……」

「賛成してくれないかな?」


 いや、賛成なんて、出来る訳が無い。

 あんな女の顔をした、僕の知らない顔をしたお母さんなんて、受け入れられる訳が無い。

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

 ほんっとにやめてくれ。

 ……なんて、僕には言えない。

 言える立場にはない。

 お母さんに養われているだけの僕に、お母さんの幸せを反対する権利は無い。

 けど……。


「もしかして、……嫌?」

「あ、え、……と…………」


 何も喋れなくなった僕は、俯いてしまった。

 多分、嫌という言葉が顔に出ていたんだろう、お母さんはどこか残念そうな表情をして、僕の頭を撫でてくれた。


「そっかあ……お風呂、入って来るわね?」

「う、うん……」


 お母さんは、とぼとぼとバスルームに向かっていった。

 本当は、息子である僕がちゃんと賛成してあげるのが一番良いんだと思う。

 そんな事分かってる。

 でも……。


「気持ち悪い……」


 あんなお母さん、気持ち悪い。

 知らない男と一緒に暮らすなんて、気持ち悪い。

 再婚なんて、気持ち悪い。

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

 お母さんなんて、気持ち悪い。


「それに、なにより……」


 エロ漫画を一方的に禁止にしている癖に、自分は再婚とか……そんなのズルい。

 ……なんて、なんて思うのは…………。


「全くもってとんでもない。悪い息子だよ、僕は……」

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