17話 帰宅

「ん……」


 窓から差し込む朝の光がまぶたをなでるように差し込む。僕はうっすらと目を開けた。見慣れた自室のベッドの風景がぼんやりと像を結んでいく。昨日は戦い通しだったけど、不思議と体の調子は良かった。激しい戦いを経たが、幸い怪我ひとつ負わずにすんだし、なにより聖水の癒しが効いている。

 僕はまだ寝ぼけた頭、でサイドテーブルに置かれた聖水の瓶と、空になったグラスをぼーっと眺めた。瓶には黄色い液体がまだ残っている。昨夜のノーミアとの別れの場面を思い出す。



 闇の聖水に関与した者たちは警察に捕らえられた。シエル先輩とタスク先輩は警察に同行し、事件の経緯などを供述することとなった。

 現場に残された闇の聖水は、大聖堂の司祭に預けられた。後日成分を調べるらしい。

 そうこうするうちに日は暮れミドルの街は夜の闇につつまれた。夜の街は閑散とし、人の姿はほとんどない。巡回する兵士の松明の明かりがちらちらと見えるが、人通りはほぼ皆無だ。店は閉まり、民家の明かりもまばら。蝋燭は高級品なので、夜になればほとんどの住民は暗くてやれることがない。だからさっさと寝るのだ。

 そんなミドルの街を、僕はノーミアとレイブンと共に歩いていた。僕たちは全員夜目がきくようで、暗い町並みをランタンもなしで問題なく歩けていた。

 感覚が鋭い僕はともかくなんでふたりも見えてるんだろう?


「私、辺境生まれで目がいいんです」

「うちも。辺境の夜は暗いからかな。なんや夜目がきくんや」


 ふたりとも意外と逞しいのだ。歩くうち、僕の家が近づいて来た。

  

「今日はさすがに泊まるわけにはいきませんね」


 とノーミアが言った。ここでお別れなのか。少し残念な気がした。


 そんなこと言わずに今日も泊まっていきなよ、と言いたくなった。

 夜道は暗いし、逃げた闇の聖女はまだこのあたりに潜んでいるかもしれない。闇の聖女に操られた敵が、闇に紛れてノーミアたちに襲いかかる可能性は十分にあった。それは建前で、もっとノーミアとしゃべりたいという下心のような気持ちもあった。


 ノーミアは空を見上げた。

 

「星がきれいですね」

「ほんまやな」


 僕も「ホントだね。きれいだね」とふたりに同意する。と、さっきまで僕の喉から出かかっていた言葉は奥にひっこんでしまった。


「大変な1日でしたね」


 タスク先輩との対決、ノーミアとのデート、そして闇の聖女との対峙。とても濃い1日だった。

 

「でも有意義な1日でした。シエル先輩もタスク先輩も頼りになるってわかったし、」


 背中を預けるに足る先輩たちを思い浮かべつつ、僕は軽く息を吸った。そして未練がましい視線をノーミアに向けた。


「ノーミアと街を歩けて楽しかった」


 ノーミアは「はい、楽しかったです」と息を吐き、唇を少し突き出した。昨日いちじくの果汁で汚れたノーミアの唇。それをハンカチで拭いた時の、何とも言えない感覚が蘇った。


「うちは? うちは? 頼りになったやろ?」

「もちろん頼りになりました!」


 レイブンは「せやろ!」とフフンと鼻をならし胸を張った。


「その、」


 僕は意を決して言った。


「もう遅いですし、夜の街は危険です。良ければ今日も泊まって行きませんか」

「……お気持ちはうれしいのですが、」


 とノーミアはすぐに断りの言葉をいれた。僕は、がっかりを通り越して、心が傷ついているのを自覚した。


「明日は出発の前日。何かと準備があります。ミリア様に報告しなければならないこともあります。なにより、」


 とノーミアは道の向こうに視線を向けた。


「大聖堂から迎えが来ていますので」


 闇の中を1台の馬車がトロトロと車輪をまわしながら近づいて来ていた。きっとあの馬車が大聖堂からの迎えなのだろう。ノーミアは鞄から、聖水の瓶をひとつ取り出し、僕に渡してきた。


「私の聖水です。必ずお飲みくださいね……カード様にも分けてください」

「わかりました。家族で大事に飲みます」

「はい」


 馬車がノーミアのそばで止まった。ノーミアは御者の女性に「お疲れ様です」と一礼をした。御者の服装はノーミアと全く同じ白い制服だ。


「闇取引の制圧、お疲れ様でした。ノーミア様。お手柄ですね」


 と御者が言う。ノーミアは首を横に振った。

 

「いえ、私の手柄ではありません。私の護衛を引き受けてくださった皆さまが優秀だったのです」 

「そんじゃ帰ろかあ」

 

 とレイブンが馬車の扉を開けて、さっと中に入り、僕に手を振った。


「そんじゃあな、ツキさん。また今度!」

「はいレイブンさん! また!」


 レイブンがノーミアに向けて手を伸ばした。ノーミアはレイブンの手を取って、レイブンに引っ張られるような格好で馬車に乗り込んだ。


 ノーミアも僕に手を振る。


「ツキ様、また!」

「ノーミア様! またね!」


 馬車の扉が閉まった。僕はミドルの街を去ってセントラルへ帰る彼らの姿が見えなくなるまで、手を振っていた。


 


 僕はノーミアとの別れを思い出しながら、空のグラスに聖水を注いだ。グラスの中の黄色い液体を、朝日が差し込む窓に透かした。ノーミアの聖水に光が透過してきらきらと輝いた。僕は聖水をちびちびと舐めるように飲んで、甘くてしょっぱい聖水の味を時間をかけて味わった。それから、服を着替えた。


「おはようございます。ツキ様、朝食の準備ができました」

「おはよう。すぐ行くよ」


 ドア越しの執事の声に応え、僕は部屋を出た。


「今日の予定は?」

「特に。明日の出発に備えて、荷造りでもするよ」

「それでしたら、私に命じてください」

「ありがとう。でもお前は荷物にきわどい下着を入れてきたりするからな……」


 以前、執事に荷造りを任せたとき、それでびっくりしたことがある。まあきわどい分動きやすかったけど。


「ツキ様の用途に応じた服装を選ぶこと、それも執事の務めでございます」

「それがあの下着か。変態め」 

「ツキ様を想ってのことでございます」

「ふん。まあいい、荷造りは任せた。僕がいない間、父様のことを頼むぞ」

「かしこまりました」

 

 食卓に着いて、執事と会話をしてきた時だった。頭の中に『ザ……ザ……』と砂利を手でかきまぜたような雑音が響いたのだった。


(これは……ノーミアの通信か?)


 僕は通信に意識を向ける。ノーミアの涼やかな声がぼくに挨拶をした。


『ツキ様、おはようございます。突然の通信、失礼します』


 おはよう、ノーミアと頭の中で念じる。それがノーミアに届いたかはわからない。僕に通信の能力があるとは思えないから、たぶん届いていないんだろうな。


『昨日はお疲れさまでした。エヘ……あ、昨日のデートを思い出しちゃって笑ってしまいました。ごめんなさい、手短に伝えますね』


 執事がテーブルに朝食のパンと豆のスープを置いた。僕は「うん」と頷く。


『昨日の事件の報告をしますね。捕らえた男たちは、あの後意識を失い、現在も回復していません。闇の聖水を飲んだものは、自由意志を奪われ、闇の聖女の操り人形になる。そして闇の聖女の制御を離れると、魂の抜け殻のようになってしまうようなのです』


 闇の聖水は、やはり普通の聖水ではなかったのだ。飲んだら自由意志を奪われ、闇の聖水に体を操られてしまうなんて、おぞましいやり方だ。


『そして成分を分析した結果……闇の聖水は、魔女キールの体液をもとに作られたことがわかりました』


 魔女キール。ガスト兄を裏切って死なせダルトン卿に寝返った元聖女。そのキールが、今回の騒動を仕掛けていたんだ。廃聖堂にいたあの女は、おそらくキールだったんだ。僕たちは魔女を取り逃してしまった。


『大聖堂は闇の聖水を“呪水じゅすい”と呼称変更し、民に危険性を周知し、警察と連携し厳しく取り締まることを決定しました。シエルさんとタスクさんにも伝えましたが、大聖堂の認可を受けていない聖水は絶対に口にしないでください』


「わかった」


 と僕は頭の中で念じた。ノーミアは『通信を終わります』と伝えて、それで通信は終わった。


(聖女の聖水と魔女の呪水か……)


 僕は頭の中でノーミアとキール(らしき女)の姿を交互に思い浮かべた。片や反乱を鎮圧する聖女、また片や反乱に加担する魔女。対照的なふたりだが、出自は同じ聖女。そしてノーミアはキールのことをおねえさまと呼んでいた。ふたりはどういう関係なんだろう。


 もともとダルトンの反乱鎮圧を任されていたのはキールだ。前任者と後任者、もしかしたら師弟関係にあったのかも。それも不意に“おねえさま”と呼んでしまうような親密な関係だったのではないか……。


「ツキ様、先ほどから独り言が多いようですがどうしたのです」


 と執事に呼びかけられ、物思いに入りかけていた僕は急に現実に戻された。


「ああ、いや。独り言ではないんだ……聖女様から通信が入っていたんだよ」

「ふうん?」


 あ、通信って言っても伝わらないか。執事は首を傾げたけど、僕はそれ以上の説明はしなかった。 


「そういえば、出発まではどう過ごされるつもりですか?」

「そうだね……」


 学校とか各所への連絡はすでに済ませてあるし……。


「槍の訓練でもしていようかな」

「勤勉ですねえ。それもいいですがツキ様。私からひとつ提案が」

「なんだ?」

「カード様とゆっくりお話をされてはどうですか」

「父様とか」


 そういえば父が病に臥せってからあまり話していない。ノーミアのおかげで具合もよくなったようだし、出発までに話をしておこうか。


「わかった。訓練が終わったら父と話すよ」

 

 と僕は槍を手に、庭へと出て行った。

 

 


 

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