18話 出発

 出発までに僕は父と話をすることにした。呪水の注意喚起がしたかったのもあるし、父の様子を見ておきたかったのもある。執事によればノーミアの訪問から父の体調は良くなっているとのことだ。

 訪室すると、父は相変わらずベッドで臥せっていたが、体を起こして僕を出迎えた。

 僕らは親子としてしばらく会話をした。闇の聖水の取引を潰したことなどを話すと父は「よくやった」と褒めてくれた。父はたしかに調子が良かったらしく、普段よりも口数が多かった。


「明日は旅立ちだな。ランセリアの当主として聖女様を守れよ」

「はい。そしてダルトンとキールを討ちます。兄さんの仇を僕が討ちます」

「うむ。それを成したなら、ランセリアの名声はわしの全盛期も超えるかもしれんな」

「はい!」


 それから父は少し考え、


「戦いが終わったら、この家はどうするつもりだ?」


 と聞いてきた。当主として、僕が家の存続をどう考えているのかを確かめてきた。それは僕にとってもっとも聞かれたくない質問だった。


「……まだ、考えている途中です」

「お前の男嫌いはわかっているつもりだ。だがお前が子を成せなければ家は途絶える。こたびの遠征を成功させ成功させても、この問題は解決せん」

「はい、それはそうです」

「当主はお前だ。この家を存続させようが、潰そうがお前が決めればいい。だがお前がランセリアを存続したいのなら、婿を取る選択も考えてみてはどうだ?」


 父の提案に間違いはない。家の存続は当主として当然考えないといけないことだ。


(僕は男が嫌いです。婿は取りません。子供も成しません。この家は僕が潰します)


 なんてことは言えるわけがない。僕が好きなのは……僕は頭に浮かんだノーミアの顔を振り払うように、言った。


「大聖女ミリア様も、遠征が成功した暁には僕に男の人を紹介してくれると。僕の男嫌いは、僕がまだ理想の男性に出会えていないせいだと」

「そうか。ミリア様の紹介する男なら間違いないだろう。お前にもようやく春が来るな。孫を見るのが楽しみだよ」


 父は久しぶりに笑顔を見せた。僕は父を騙しているようで、とても居心地が悪かった。

 

「はい。僕も楽しみです。しかしその殿方が僕のお眼鏡にかないますかどうか」


 しかし僕は心にも思っていない言葉を、冗談めかして口に出していた。

 

「ワハハ! よほどの男でない限りわしも認めてやらんぞ!」

「はい。ですから父様。僕が戻るまで体を大事に。執事の言うことを聞いて、元気でいてくださいね」

「孫を見るまでは死ねんよ。幸いなことに遠征中、わしらへの聖水配給が増える。お前が帰るころにはすっかり元気になっているかもしれんな」


 僕と父はしばらく笑い合った。楽しいひとときであったが、父を騙しているようで、後ろめたかった。


* 


 その夜、旅の支度を終えた僕は、ベッドに潜り込んだ。明日の朝、僕たち5人はダルトン卿の反乱鎮圧のために旅立つ。

 聖女の旅立ちは、当初秘密裏に行われる予定だったが、急遽、式典とともに盛大に送り出されることになった。

 魔女キールと呪水が引き起こした「操り人形」現象は、噂となって市民の間を駆け巡っていた。その下地があった上に大聖堂から呪水への注意喚起が公式に発表されたのだ。


 これにより社会不安は深刻化した。これを重く見た大聖堂は、式典によって聖女ノーミアをダルトン打倒のシンボルに据え、社会不安を軽減しようと企図したのだった。

 式典には僕たち護衛隊も当然参加しないといけない。

 社会の不安を僕たちで軽減するなんて、改めてノーミアは大きな役割を背負っているんだなと自覚した。


(もしかしたら、ノーミアが僕に好意のような感情を向けていたのは、この重圧に耐えるために縋るものを作りたかったのかも)


 そんなふうに考えた自分を、僕はすぐに否定した。


(なんてノーミアの心の内を勝手に決めつけて、ノーミアのこと、悪者にしようとしてるな)


 自分を無理やり納得させようと。僕は、戦いのあと、誰だか知らない男の人と結婚しないといけないから。

 男の人と結ばれないといけないのはノーミアにも言えること。聖女の素質を持つものの血を絶やさぬよう、聖女には天使様が決めた相手と結ばれる決まりがあったはず。


(ノーミアはあくまで護衛の対象だ。それ以上でもそれ以下でもないんだ。だから――)

 

 僕は枕に自分の顔を深く埋めた。

 

(――これ以上、彼女のことを考えちゃダメだ)


 頭に浮かびつづけるノーミアの顔、唇を拭いた感触を打ち消すべく、僕は別のことを考えることにした。モロの下卑た表情を思い浮かべ、空想のモロに何度も槍を突き入れた。


 そうしているうちに僕は眠りに落ちていた。



「よく寝たみたいだなツキ、羨ましいぜ。俺は緊張で寝られなかった」

「意外に繊細なんですねシエル先輩」

「なんで式典なんてやるんだろうな。もっと気楽に旅立ちたかったぜ」


 式典用の正装に着替えた僕とシエル先輩は軽口を叩いた。と、その時

  

「よう、おふたりさん。これからの旅よろしくな」

  

 レイブンがひょっこり現れ、いつもの皮肉っぽい笑みを浮かべながら手を振った。彼女の声は軽やかだが、どこか鋭い目つきが旅の重みを隠しているようだった。

 

「レイブンさん! 正装はどうしたんです? 前と同じに見えますが」

 

 僕が大げさに眉を上げ、レイブンの白い制服を指さす。

  

「うちは美人やんか? 正装なんかしたら、ノーミア様より目立ってまうやん? せやからいつもの制服なんや。はあ、美人はつらいな~」

 

 レイブンは肩をすくめ、ふざけた口調で返すが、ちらりとシエル先輩の方を見てニヤリ。


「シエルさん、なんか顔赤いんやないか?   ツキの正装に見とれたんとちがう?」

「なっ、んなわけねえだろ!」

 

 シエル先輩は慌てて否定しごまかすように咳払い。重い空気が一瞬で軽くなる。

 

 そこへ、タスクがドタドタと駆け込んできた。

 

「よお! お前らなにをちんたらやってんの!?  ノーミア様、もう馬車んとこで待ってるぜ! 式典始まるぞ、急げ急げ!」

 

 タスクの声はいつもより弾んでいる。弓を背中に揺らし、式典用の青いマントが少しズレている。


「タスク、俺たちはお前を待ってたんだぜ、遅刻魔め。マント直せって」

 

 シエルが呆れ顔でタスクの肩を叩き、マントを直してやる。タスクは「へへ、細けえことはいいじゃん!」と笑い、レイブンが「子供かいな」と一言。


 4人のやり取りに、僕の口元が緩む。呪水の混乱や前線の重圧があっても、この仲間とならやっていける。そう思えた。

 

 

 ミドルの街の広場は、朝日を浴びてざわめいていた。大聖堂の尖塔が遠くそびえ、聖女の旅立ちを祝う垂れ幕が風に揺れる。民衆が詰めかけ、衛兵が槍を手に整列している。

 

 呪水の噂で不安が漂う中、希望の光を灯すべく式典が執り行われる。

 

 広場の中央、4頭の馬に引かれる巨大な馬車が鎮座する。5人乗りの馬車『クラウソラス』。ノーミアを守るための要となる乗り物だ。馬車には聖堂の紋章が刻まれ、巨大な車体と相まって大聖堂の威光を示している。


 そしてノーミアが馬車の前に立った。白い聖女の衣装に金の刺繍が朝日を反射し、まるで光そのものだ。彼女は静かに微笑み、民衆を見渡す。その姿に、ざわめきが少しずつ静まる。誰もが彼女の清らかさに引き込まれている。

 

「ツキ、行くぞ。ノーミア様のそばに並ぶんだ」

 

 シエルが僕の背を軽く押し、護衛隊の位置へ促す。僕はゲイボルグを握り直し、ノーミアの右側に立つ。シエルが左、タスクとレイブンが後ろ。5人でノーミアを囲み、護衛隊の誇りを示す。

 

 大聖堂の司祭が前に進み、太い声で宣言する。

 

「この聖女こそがノーミア様である! かの聖女は呪水の邪悪を浄化し、ダルトン卿の反乱を鎮めるため、護衛とともに前線へ旅立つ! ダルトン卿は反乱を起こすにあき足らず、天使様のお力の象徴、聖水を穢した。きゃつのばら撒いた呪水は社会に混乱をもたらした! ノーミア様は必ずやかの大罪人に天使様の鉄槌を下すであろう。民よ、聖女の力を信じよ、希望を捨てるな!」

 

 民衆から拍手と歓声が上がるが、不安な目もちらほら。呪水の恐怖はまだ消えていない。

 ノーミアが一歩踏み出し、両手を広げる。

 

「皆さん、私が聖女ノーミアです。私は新人ではありますが、天使様のお力を借り、必ずダルトン卿を倒します。そして戦乱で乱れた皆さまの暮らしを取り戻します。皆さまも呪水の闇に負けず、天使様のため共に頑張りましょう」

 

 その声は柔らかく、でも力強い。彼女が小さな瓶を取り出し、聖水を地面に数滴垂らすと、土がキラキラと光る――ノーミアの聖水はこんな使い方もあるんだ。民衆が「おお!」とどよめき、子供が「聖女様、きれい!」と叫ぶ。

 

 私はノーミアの横顔を見る。彼女の瞳は決意に満ち、民を救いたいと願っている。でも、どこかで重圧に耐える影も感じる。


「それでは出発!」

  

 司祭の合図で僧侶が聖歌を歌いはじめた。民衆が手を振る中、シエルが御者席に座り、4頭の馬の手綱を握る。


 タスクは補助席に飛び乗り、ノーミア、僕、レイブンが馬車に乗り込む。馬車の幌が風に揺れ、聖水タンクの水音が小さく響く。

 

「クラウソラス――行け!」

 

 シエルの声に、馬が一斉に動き出す。馬車がゆっくり広場を進み、民衆の歓声が背中を押す。

 ノーミアは馬車の窓とカーテンを開け、手を振ってみんなの声に応えている。僕とレイブンも一応、ノーミアの真似をして手を振った。

  

 ミドルの街門をくぐる。未舗装の道が地平線まで続き、前線の戦いが待っている。

 レイブンが「2か月かあ、長い旅やな~」と呟き、タスクが「手柄を立てて美人の嫁さんもらうぜ!」と拳を上げる。シエルが「手柄か。俺は全員無事で帰れればそれでいい」と達観したようなことを言った。

  

 僕はノーミアの隣で、

 

「キール、ダルトン――兄さんの仇をとる。そしてノーミア様を必ず守る」

「……はい」

 

 心の中で誓い、馬車の揺れに身を任せる。ミドルの街がゆっくりと遠ざかる。僕たちの旅が始まる。



***


 あとがき

 ここまで読んでくださりありがとうございました。

 これにて第1章完結となります。

 以後、2本の番外編を挟み、第2章を公開します。

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