第30話 白玉のお部屋
✿
伯父の告発という重苦しい話を終えた桐吾から呼ばれ、澪は忠親にいとま乞いするため顔を見せた。だが応接間には入らず、控えめに廊下から軽く手をついて頭を下げる。
「――また立ち寄らせてくださいませ、お爺さま」
親しみが透き通るようなその声に忠親は目を上げた。
今まで話していたのは実の息子の裏切について。不愉快だった空気が澪の出現ですうっと入れ替わる気がする。「そばに置いてホッとする人だ」と桐吾が言っていたのを思い出した。ふと気が向いて忠親は澪に声を掛けた。
「うむ。次は少し話そう」
「お忙しいのにお会いくださって、ありがとうございます」
今日は時間がなくて澪と話せなかっただけ。そういうことにし、澪は遠慮がちに笑う。
なるほど良い嫁かもしれん。忠親はうなずいた。
✿
「――驚いた」
久世家の門を車で出てすぐ、桐吾はつぶやいた。狐につままれたような顔だ。
「何がですか」
「爺さまが軟化したぞ。最後のあれはなんだ」
「何って……変でした?」
めちゃくちゃに変だった。その日会ったばかりの孫嫁に愛想良くするだなんて。
「え……あれ愛想いい方なの?」
「まあ、そうだ」
一般的にはまったく友好的ではない態度だが、忠親としては仰天するレベル。その前の苛立ち具合からいって澪のことなど無視されると思っていたのに。
桐吾との会談は、内容が内容だけに忠親も非常に不機嫌だったのだ。
報告を信じないわけではない。状況的に忠親自身も疑ってはいたが、実子による背任――となると、とにかく不愉快。そのひと言に尽きる。
だがさすが忠親、「疑われるあやつが間抜けじゃ」と一喝し、証拠固めを桐吾に命じたのだった。息子だろうが忖度はない。事実であると証明できれば即刻解任するだろう。
「まあそう簡単にはいかないだろうが……」
「私に何かできればいいのに」
仕事に関しては協力のしようがない澪はしょんぼりした。
桐吾は横目でチラリとし、こっそり微笑む。今日の澪はいちだんと可愛くて、目にするだけで和むのだった。
「爺さまを懐柔しただけで十分だ。澪のひととなりが伝わったんだろう」
「私の?」
「……のんきで悪気のかけらもない所とか、かな」
「それ、ほめてます?」
馬鹿にされたようにも聞こえる。澪が難しい顔をしてしまうと、桐吾はたまらず笑い出した。
(――桐吾さんが、笑ってる。声をあげて)
出会った頃には考えられなかった桐吾の笑顔。
それがとても嬉しくて、澪は一緒になって笑った。
✿
帰宅した澪と桐吾は、リビングに入るなり立ち止まった。
奥の一点に目が釘付けになる。桐吾のワーキングスペースに畳敷きの一角が出現していたのだ。
「おう、帰ったな」
二人をニヤリと出迎える白玉は小学生の姿だった。つまり、きちんと現代風に着替えている。なんの必要があったのかといえば――もちろんこの改装のためだ。
「白玉、あの畳はどうしたの?」
「うむ、ポチってみた」
「ぽち?」
通販で注文するというのを澪はまだよくわかっていない。だが邪気とともに知識を吸収する白玉にかかればお手のものだ。
桐吾のPCから澪のマットレスなどを購入した時の履歴に侵入し、支払いは桐吾のクレカ引き落としにした。配送は桐吾たちのいない今日を指定。受け取りのために普通の小学生ぶったというわけだ。とことん家主を馬鹿にしている。
澪は白玉のやらかしたリフォームを見に行った。
半畳の縁なし畳を四枚、二畳分のスペースが確保されている。そこを軽く隠すことができるついたてまであり、さらに猫ちぐらが澪の部屋から移動されていた。白玉は自慢そうに胸を張る。
「我の部屋の完成というわけよ」
「ちょっと待て、俺のハンガーラックが」
「リビングに移動した。別によかろう?」
畳を敷いた場所はもちろん、これまで空いていたわけではない。桐吾の会社用のスーツとワイシャツが掛かったラックがあったし、床に通勤鞄が転がっていた。それを強制排除して白玉部屋が作られたのだ。
リビングとワーキングスペースは境い目が半分ほど仕切られている。そのリビング側に有無を言わせず移動させられているラックと鞄に桐吾は情けない顔をした。
「……いちおうリビングでは仕事の物が目につかないようにしていたんだが」
彩のない私生活、せめて仕事とのメリハリをつけた方がいいかと思ってのことだった。
「かまわん。澪が目に入っていれば他に何があろうと気にならぬだろうが」
「お、おまえ何を勝手な」
「ちょっと白玉、神棚ってどういうことなの?」
桐吾の焦りに気づかず、澪はしゃがみ込んだ。ついたての陰に神棚が置かれていたのだ。澪のあきれ声にもかかわらず白玉は余裕綽々。
「それか。壁にくっつけたいのだが、我ひとりではできぬゆえ帰りを待っておった」
「神棚だと? ……これ何を祀るんだ」
「何を? 猫神に決まっとろうが!」
ドヤァ。
ふんすと鼻息を荒くする白玉を桐吾はにらみつける。
「おまえ自身が祟り神の猫のくせに?」
「別によかろう、我ら猫たちの魂に幸あれじゃ!」
朗々と宣言する白玉に桐吾は頭を抱えた。
白玉は澪の飼い猫。家主の領域を荒らされても、「出ていけ」と怒鳴ることもできない。それを見透かされての乱暴狼藉だ。
ニヤニヤする白玉と桐吾はひっそりにらみ合った。だがたぶん、猫の勝ち。
「しかし澪、今日の着物はまた愛らしいのう。写真は撮ったか?」
「あ、うん。髪結いさんに勧められて」
髪結い、とは美容院のことだ。そこで着付け終わりに桐吾のスマホで撮影してある。こんなに気軽に姿を残しておけるなんて、と現代の写真技術に澪は感激していた。
「そうかそうか。眼福よな、桐吾」
「まあな」
白玉の所業に腹を立てつつも桐吾の頬がゆるんだ。
澪の着物姿は正面だけでなくたくさん撮った。髪のまとめ具合も撮ってやると言って斜め上から撮影した一枚もある。キラキラした髪飾りとともに、澪のうなじと抜いた襟足が最高だった。写真のどれかは後で待ち受けに設定するつもりだ。
白玉も愛おしげに澪をながめては、うなずいている。
「いつまでも見ていたいぐらいじゃ。だが澪も疲れたであろう。着替えてはどうだ?」
「うん、そうね。せっかくの新しい帯を汚してしまったらいけないし」
白玉の誘導はなんだかわざとらしい。だが素直な澪は自室に引っこんだ。その隙を狙い白玉は桐吾にそっと近寄る。桐吾は不審な目で見た。
「……なんだ」
「我は澪の部屋を出てやったゆえ、もう気兼ねするでないぞ」
「……は?」
何を言われているのかわからない。だが白玉にしてみれば男同士で通じている気分なのだった。桐吾の腹をウリウリ、と肘で小突く。
「澪の寝ている部屋とここは離れておる……となると音も揺れもここにいれば気にならん。存分にいけ」
「……? ……っ! おまっ」
夜這いをそそのかされているのだと気づき、桐吾は絶句した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます