封じられ祟り神の幸せな結婚契約

山田あとり

第1話 祟り神と化け猫


 みおは永い眠りの中にいた。

 いくつもの春・夏・秋・冬を越え、魂がぼんやりと揺れる。


 哀しみ。苦しみ。恐れ。

 そんなものに塗りつぶされていた心が、やっと凪いだ頃――――。


「にゃあ――ぉ!」


 大好きだった飼い猫の鳴き声が聞こえ、澪は目を覚ました。



 ✿ ✿



 ふわり。澪は地に足をついて立った。草履の下で落ち葉がカサと音をたてる。


「――白玉しらたま!」


 澪が目を開けると、着物の裾に白猫が頭をすり寄せていた。

 澪を見上げる猫の目は珍しいことに青と黄。左右で違う。ならばこれは澪の猫、白玉で間違いなかった。


「白玉、本当に白玉なの? 生きてたの?」

「なぁーうー」


 のどを鳴らす白猫を抱き上げ、澪の目に涙が浮かんだ。

 この白玉の亡骸を抱いて池に身を投げたはずだったのに。これはなんの幻だろう。


「――澪姫みおひめ、なのか?」


 いきなり男の声がし、澪はぎくりと後ずさった。顔を上げると数歩離れたところに若い男がいる。彼は澪が良く知る人に似ていた。


「……とうご、さん?」


 呼びかけた相手は凛々しく男性的な顔立ち。鋭い目をしてにらんでくるが、軽く青ざめていた。


(ううん、あの人じゃない)


 澪は小さく後ずさった。

 背が高いし、いつもの着物ではなく異人さんのような服だ。ラフなパンツでジャケットの下はTシャツ――こんな格好は澪の生きていた明治の御代・・・・・にはない。猫を抱く腕にちょっと力が入った。


「ごめんなさい……人違いだわ」

「いや。何故、俺の名前を知っている?」


 とうご、と呼ばれて男は眉間にしわを寄せた。久世桐吾くぜ とうご。それが彼の名前だ。

 桐吾にしてみれば顔色が変わるのも仕方なかった。あたりがもやに包まれたと思ったとたん目の前に着物姿の女が現れ、そのうえ名を呼ばれたのだから。


「え、本当に冬悟とうごさん? ――嘘、あの人は死んだはず」


 澪は目をまん丸にして桐吾を見つめた。


(そういえば、ここどこ? それに白玉や冬悟さんだけじゃないわ。私どうして生きてるの?)


 ――今、澪がいるのは明るい林だった。さらりとした風が秋を告げている。梢が揺れるたび落ち葉がハラハラと澪の上に散りかかった。

 すぐ後ろを見れば、祠が壊れていた。低い石の台座から崩れ落ちた祠は古く、木製の屋根も扉もボロボロだ。

 うろたえる澪を見返しながら、桐吾は落ち着いた声を掛けた。


「俺は死んでない。澪姫の知る〈トウゴ〉というのは、別人じゃないか」

「……あの、さっきからその〈姫〉って。やめてくださいな」


 澪は落ち着かなげに視線をさまよわせた。


「私、ただの名主なぬしの娘だし……」

「名主……本当に澪姫なんだな?」


 桐吾はあらためて澪の全身をまじまじとながめた。

 やわらかな柿色の地に流水文様の着物。川の流れに白や黄檗きはだの小菊が散る意匠だ。和服姿は令和でもあり得るが――澪は日本髪を結っていた。となると、やはり。


 ――澪姫。それはこの地に伝わる祟り神の名。

 百五十年ほども前、明治初期の没落名主の娘だという。池へ身投げして死に、家を乗っ取った男を祟った末に調伏された伝説が残っていた。

 祟り神〈澪姫〉は祠に封じられたはず。その祠が壊されたことで、この世に顕現したのだろうか。


「だから〈姫〉って呼ばないで? そんなの恥ずかしい」


 やや頬をふくらませて澪は抗議した。その様子は親しみやすく、とても祟り神と怖れられた女には見えない。


「じゃあ――澪、というのが君の名前か?」

「そうよ。森沢澪もりさわ みお。森沢の家は――落ちぶれてしまったのだけど。御一新ごいっしんの後の世の中についていけなくって」


 澪はほわほわ笑いながら肩をすくめた。「御一新」というのは明治維新のことだったかと桐吾は記憶を探る。


「みゃう」


 澪が腕に抱いたままの猫――白玉が飼い主へ頬をすり寄せた。まるでなぐさめているみたいだ。


「んふふ。ありがと白玉」

「ふみゅう」


 いちゃいちゃする澪と猫をながめ、桐吾は思い出した。


(澪姫が世をはかなんだのは、嫁ぐ相手に飼い猫を殺されたからだと文献に書かれていた)


 となると澪と白玉は――〈祟り神と化け猫〉。

 だが不思議と恐ろしくは思わなかった。むしろ可愛らしくさえある。そして何故か胸が締めつけられるのは――懐かしさ?

 その意味不明な感情を振りはらい、桐吾は決意した。


「――澪姫」

「あん、姫はやめてってば」

「ならば澪――君に祟ってもらいたい連中がいる」

「――は? 祟る?」


 桐吾の言う意味がわからずに、澪は小首をかしげた。その困惑にかまわず桐吾は続ける。


「澪は祟り神だろう? その力を見込んでの願いだ」

「祟り神だなんて……私よくわからない」

「いや。君は久世の家を祟り、調伏され封じられた祟り神のはず」

「久世――」


 その名前に澪の胸が凍りついた。

 森沢の土地と商売を乗っ取った家が久世だ。結婚しろと言われた久世の跡取り息子の下卑た顔を思い出して怖気が立つ。


 金に物を言わせる強引な縁組だった。森沢の娘である澪と久世の息子が結婚すれば、乗っ取りなどではないと冷たく笑われた。その話は結局、澪の自死でご破算になったけれど。


「そう――そうだったかも。祟り神――」


 死んだ澪は、幽霊になったのだと思う。久世のものにされた屋敷にあらわれては夜な夜な人々を恐怖におとしいれ――あげく調伏された。

 封じられるまでのことを思い出した澪の目が揺れる。その瞳を真っ直ぐ見据え、桐吾はあおった。


「久世家は今でも景気よく生き延びている。森沢家はなくなったのに、腹が立つよな? 今度は逆に久世を潰してやれ」

「……あなたは、そんなに久世を憎んでいるの? 人を呪うなんて」


 おそるおそる澪は尋ねた。

 悪意はみずからに返ってくる。憎しみは人を狂わせる。

 祟り神とまで呼ばれたらしい澪が言うのもなんだけど、お勧めはできない気がした。


「あんまり思い詰めない方がいいんじゃないかしら……」

「まあ確かに。俺は君ほどひどい目にあってはいない――君は家が没落し、祝言を強要され、猫を殺されたんだったか」

「ふしゃ――ッ!」


 話題にされたのがわかったのか、白玉が桐吾を威嚇した。


「あん、よしよし。白玉も痛かったわね」

「そんなことがあった君だ、祟る資格はあるだろう。なんなら俺のこともまとめて祟ってくれてかまわない」

「――え?」


 猫をなだめる澪の手がとまる。桐吾は嘲笑あざわらうように吐き出した。


「俺も、久世を名乗る人間だからな。久世桐吾。それが俺の名前だ」


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