模倣騎士、20

「うわぁ……ほんとに湖の匂いがする~っ」


 改札を抜けた瞬間、アヤメが思いっきり伸びをしながら感嘆の声をあげた。


 鼻をくすぐるような湿った空気と、微かに漂う水草の匂い。どこか懐かしくもあり、冒険の始まりを予感させる匂いだった。


「うん……空気も澄んでる……」

 つかさが小さな声でぽそりと呟く。耳をぴくりと動かし、風の向きを読んでいるようだった。。


「意外と静かだな。もっと賑やかな駅前を想像してたんだけど」

 赤坂がフードの影から辺りを見回す。駅前には土産物屋が数軒、タクシーが二台ぽつんと止まっているだけで、人通りもまばらだ。


「観光地っていうより、探索地って感じかな」

 照人がスマホを取り出し、地図アプリを確認しながら呟く。画面には、星燈の湖周辺の探索拠点や施設がマーキングされていた。


「宿泊先は……っと。湖沿いの東区画、歩いて15分くらいだな。行こうぜ」


 一行は荷物を背負い直し、湖畔へと続く遊歩道を歩き出す。アスファルトに靴がこつこつと音を立てるたび、足取りに冒険者らしい実感が宿っていく。


「へー、こっちって有名な宿が多いんでしょ?」

 柊が何気なく問うと、


「安心してよ先生。あたしたちの宿、学生指定のとこだってば」

 綾が得意げに肩を揺らす。「観光ホテルの一部フロアを学校が間借りしてるんだって。制服着てれば割引とか特典もあるし!」


「へぇ……それ、なんか合宿みたいで楽しそうかも……」

 みつきがふわっと笑った。肩から提げた荷物のベルトを直しながら、ちらりと周囲の景色に目を向ける。


 湖はまだ見えなかったが、風の匂いと雰囲気だけで、もう“非日常”の領域に踏み込んでいると分かった。


「ふふ……初遠征って感じしてきたね」

 アヤメが顔を上げて、キラキラと目を輝かせる。


 それに、照人も小さく笑って応えた。


「――だな。これが、ミームカンパニーの夏遠征一日目、ってわけだ」


 こうして、八人の旅路はゆっくりと、“星の降る湖”へと歩みを進めていく――。


 舗装された湖畔の道を歩くこと十五分。ついに、彼らは目的の宿へとたどり着いた。


 湖に面した三階建ての白い建物は、ぱっと見ではどこにでもある観光ホテルのようだったが、玄関脇には小さく――けれど確かに光を帯びた魔法金属のプレートが掲げられていた。


《公立第一職能高等学校 遠征協定校/優先利用可》


「……あってるな、ここで間違いない」

 照人がプレートに目をやり、ふっと息を吐いた。


 ほどなくして、自動扉の奥から宿のスタッフが姿を現す。スーツに身を包んだ中年の男性が、笑顔で一礼した。


「ようこそお越しくださいました。公立第一職能高等学校様、ですね? 予約を確認しております。男子一部屋、女子一部屋でのご利用で間違いございませんか?」


「あっ、はい! お願いします!」

 照人が即座に応じ、他のメンバーもぞろぞろとロビーに入っていく。


 広々としたロビーには、探索者向けの案内板があり、充電ステーションや装備品用の保管ロッカー、パーティ単位で使えるミーティングルームの貸出予定など、便利な機能がきちんと整っていた。


「うっわ……めちゃくちゃちゃんとしてる……!」

 つかさが思わず声を漏らす。風を読んで歩いていたときの表情とはうって変わって、今は完全にお上りさん状態で目を丸くしている。


「だってここ、一般の探索者も使ってる宿だからな。観光客もちらほら泊まってるらしいし」

 縁が手慣れた様子で荷物をカウンターに預けながら、どこかほっとしたように言う。鎧ではなく制服姿のせいか、その佇まいにはいつもより穏やかな雰囲気が漂っていた。


「ほら見て! ミーティングルームとかあるじゃん! 会議できるじゃん!」

 アヤメがロビーの案内パネルを指差してテンション高く言えば、


「テンション上がるとこそこなの!?」と綾がすかさずツッコミを入れる。


「だってなんかこう……パーティっぽくない? こう、遠征拠点!って感じでさ!」


「……わかる」

みつきが、か細い声でぽつりと頷いた。肩からかけた荷物がぶらんと揺れる。


「じゃ、チェックイン済ませたら部屋に荷物置いて、少しだけ周囲の確認しておくか」

 照人が言うと、皆それぞれうなずいた。


 ロビーの天井から吊り下がった、ランタン型の魔灯がゆっくりと瞬き、彼らの夏の冒険の幕開けを、どこか静かに祝っているようだった。




 フロントでルームキーを受け取った一行は、カートをゴロゴロと転がしながらエレベーターへ向かう。チェックインを済ませた安堵感と、冒険前夜の高揚感が混ざり合った空気が、そこにはあった。


「女子は301、男子は302の二部屋ってことだな」

 柊がカードキーを手にしつつ、手際よくみんなに配っていく。


「おっけー! じゃー女子チームは先に行きまーす!」

 綾がノリよく手を挙げると、アヤメとみつきも「わーい!」と小さく歓声をあげ、三人で連れ立って階段を上っていった。


 そして数秒後──。


「ちょ、ちょっと見てこれ! ベッドふっかふかー!」

「シャワーついてる! しかも綺麗!」

「枕が魔法対応してるぅ~っ!」


 女子部屋のドア越しに、テンションの高い声が次々と響いてくる。


「……楽しそうだな」

 照人が苦笑する。


「うん。でも、こういうとき男女別ってありがたいかも。共用部屋だったら……たぶん、黙って端っこにいた」

 赤坂がフードをかぶったまま、ぽつりと本音をこぼす。


「まあ、健全だな。学校としては正解な処置だ」

 縁が重たいザックを肩から下ろし、ベッドにどさっと腰を下ろす。シーツの感触にちょっと嬉しそうな表情を浮かべた。


 男子組はそれぞれ、荷物を解きながら自然とリラックスモードに入っていく。シャワーの順番を決めたり、装備の点検をしたり、寝転がってストレッチを始めたり。


 その中で、柊はひとり、静かにタブレットを開いていた。


「……明日からの行動スケジュール、今のうちに整理しておくか」

 彼は宿泊者用ミーティングルームの予約状況を確認しながら、宿で使えそうな共用施設をマークしていく。


「さすがだな、お前は」

 照人が背もたれにもたれながら、柊の働きに感謝の意を込めて笑った。




 夜七時。チェックインを終えてひと息ついた一行は、ホテル一階の奥にある小型のミーティングルームに集まっていた。


 壁際にはホワイトボードとプロジェクター。木製テーブルの上には、柊が手描きした簡易マップと、印刷された調査資料がずらりと並ぶ。

 空調は快適、室内は静か。まさに“作戦会議のためにある部屋”といった雰囲気だった。


「――明日の動き、ざっくりとだけど方針は決めてある」

 椅子に座ったまま、柊が資料を指先でトントンと叩く。


「まずはパーティを二班に分ける。前衛・殲滅を主軸にする戦闘班と、採取と調査に比重を置いた支援班」

 そう言って、地図の上にペンで二つのルートを描き込む。


「戦闘班は俺、照人、綾、縁。で、支援班は補習組の三人+赤坂。赤坂は斥候兼、必要なときの火力補助」


「なるほど。……まあ、そっちが前で暴れてる間に、こっちは草でもむしってるわけね」

 アヤメがひょいと手を挙げ、茶目っ気たっぷりに笑う。


「むしるって言い方やめなよ……」

 みつきが小声でつっこむと、つかさがこくこくと頷いた。


「……でも、後衛にもちゃんと役目あるって思ってる。やれること、見つけたい」

 控えめながらも力強い意志が、つかさの声に滲む。


「その意気だ。明日は、湖の西にある《蒼藻の入り江》まで行けたら上出来だな」

 照人が地図の端を指でなぞりながら言う。


「敵の出現率は中程度。けど、採取スポットも多い。補習組の三人には、魔素感知や回収の練習にもなるはずだ」


「ふむ……問題は、途中の《光の浅瀬》だな。幻惑効果のある魔力霧がかかってる可能性がある。そこは要注意」

 柊がすっと手元の資料をめくりながら補足する。


「了解。私たちは、戦闘起きたら後ろから魔法飛ばす感じでいいのね?」

 アヤメが指先でエア詠唱のポーズを取る。お得意の“詠唱士アピール”だ。


「くれぐれも、電車の中でやるなよ」

 柊が即座に反応し、場が和やかに笑いに包まれる。


 そんな中、縁がのそっと椅子から立ち上がる。


「――じゃ、いったんメシにしようか。腹、減った」

 いつも通りののんびりした口調だが、タイミングは絶妙だった。


「賛成! ミーティングでお腹すいたの初めてかも」

 綾が手を挙げて笑い、アヤメとみつきもわっと立ち上がる。


「そういえば、この宿の晩ご飯、和洋折衷らしいよ」

 赤坂が小声で情報を付け加え、アヤメが「それ早く言ってよ!」と叫び声を上げる。


「……飯でこのテンションかよ」

 柊が肩をすくめるが、その口元はしっかり笑っていた。



 チェックインを終えた一行が向かったのは、宿の一階にある広々とした食堂。

 探索者向けに設けられた早めのバイキングがちょうど開放されたところだった。


 並ぶ料理は、どれも栄養満点&ガッツリ系。ビーフシチューに唐揚げ、炊き込みご飯、うどん、サラダバーと、腹を空かせた若者たちの胃袋を的確に狙ってくる。


「やっば! カレーも唐揚げもシチューもあるとか……神!」

 アヤメが大皿を両手に、テンション最高潮で戻ってくる。プレートの上は茶色率90%。


「た、炭水化物ばっか……野菜も取りなさい……」

みつきがうっすら呟きつつ、少しだけサラダを取りに行く。


 席に着き、全員が揃ったそのとき――


「……あれ? おまえら、新顔か?」


 食堂の空気をやんわりと切るように、背後からかけられた声。

 振り返ると、数人の先輩グループがこちらを見ていた。


 揃いの赤×黒のクランジャケット、胸には同じ学校のエンブレムが光る。

 中でも一歩前に出た男子は、彫りの深い顔立ちに落ち着いた佇まい。見た目からして、経験の差がにじんでいた。


「おれら、《ブレイザークレスト》。二年。見覚えある制服だなーと思ってさ」


「あ、はい! 僕らは《ミームカンパニー》です。……今回が、初めての遠征で」

 照人がやや緊張した様子で返すと、先輩たちは軽く笑って頷いた。


「《星燈の湖》デビューか。悪くない場所だよ。環境も整ってるし、採取ポイントも多い。宿もあって、管理もゆるいからな」


「ただし――北側、ぬかるみやすいから足元には気をつけろ。滑ったら下手すると川に落ちる。あと、中央部に《野良探索者》が増えてる。深追いすんなよ」

 別の先輩が声を潜めて助言をくれる。柊がすかさずタブレットにメモを取り出す。


「制服、着てたの正解だな。絡まれにくくなるし、変なトラブル回避にはもってこいだ」


「けどまあ、世の中バカもいる。気を緩めるなよ、後輩たち」


「……はいっ!」

 全員が声を揃え、頭を下げた。


 先輩クランは軽く手を振って、奥のテーブルへと移動していく。


 少しだけ、空気が引き締まったような気がした。


「……ね、あの人たち、めっちゃ強そうだった……」

 みつきが小さな声で呟く。


「普通に“本物”のクランって感じだったな。完成度、高い」

 赤坂が落ち着いた口調で続ける。


「……でもさ、だからこそ、こっちも負けてられないじゃん!」

 アヤメがパチンとフォークを握り直す。顔にはいつもの調子じゃない、まっすぐな光が宿っていた。


「そうだな。明日……最初の一歩をうまく踏み出せれば、きっと見える世界も変わってくる」

 照人の静かな言葉に、柊もうなずいた。


「《星燈の湖》――本格攻略、開始だ」


 こうして、ミームカンパニーの初遠征は、夜の帳と共にゆっくりと動き出す。



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