模倣騎士、18
校舎の裏手に位置する《進路指導棟》は、どこか聖堂のような雰囲気を持っていた。
普段は静かなこの建物も、夏の遠征期だけはにわかに活気づく。
特に今は──生徒たちが“職業”を変える、人生の分岐点。
「うわぁ……めっちゃ静か……」
アヤメが小声でつぶやくと、隣のつかさがこくりと頷いた。
自動扉をくぐると、ひんやりとした冷気と、柔らかい木の香りが出迎えた。
廊下の奥には、生徒ひとりひとりの魔力量や成長傾向を分析する《適性評価装置》が並び、
その手前に立つのは──事務的な口調と機械のような笑顔で知られる、進路担当の教師。
担当の先生――眼鏡をかけた冷静そうな女性が三人を見回して言った。
「おや、三名様ご一行ですか。補習組の皆さんですね」
彼はすっと端末を操作し、三人の名前と現在の職業データを呼び出す。
それを確認してから、ひとつ頷いた。
「条件達成、確認。現在のLv10、魔力指数も基準値突破。よって──転職可能です」
◆江藤アヤメの選択
【候補職】
・詠唱士(チャントマスター)
・爆裂術師(ブラストメイジ)
・幻語使い(ファントムリンガー)
「うわ、どれもカッコよくない? 爆裂術師とか名前が爆発してる!」
アヤメの目が輝く。
だが、即座に教員が冷静な口調で告げる。
「正直に申し上げて、あなたの現時点での詠唱速度では、爆裂術師の高出力魔法は暴発の恐れがあります」
「……そ、そんな……」
みつきとつかさが苦笑するなか、アヤメは再びパネルを見つめ直した。
「……じゃあ、“詠唱士”。
詠唱が長い分だけ強い魔法が撃てるんだよね。私、かっこつけすぎって言われるけど、ちゃんと意味あるってところ見せたいんだ!」
「詠唱士を選択ですね。承認します」
ぱあっと魔法陣がアヤメの足元に浮かび、青白い光が彼女の身体を包む。制服の上から淡いローブの幻影が差し重なるように浮かび、彼女の魔力がゆるやかに膨れ上がる。
\ 江藤アヤメは「詠唱士」に転職した!/
◆杉下みつきの選択
【候補職】
・光術士(ルクスキャスター)
・幻光導師(イリュージョナリスト)
・目潰し師(フラッシャー)
「……目潰し師、って職業としてどうなんだろ……」
みつきが不安そうに首をかしげる。
「あなたは光操作において、学院でも上位の適性を示しています。他の属性への伸びはほぼありません。特化職が適しています」
「う、うん、それはわかってる……」
みつきは目を伏せる。
「でも……逆に、それだけ得意なら……私、“光術士”がいい」
「理由は?」
「目潰ししかできないって言われてたけど、うまく使えば、戦いを変えられるって……思ったから」
「確認しました。光術士として承認します」
金色の光がみつきの周囲に渦を巻き、身体の周りにふわりと光の羽が現れる。眩しさをコントロールする力が、彼女に宿った。
\ 杉下みつきは「光術士」に転職した!/
◆長谷部つかさの選択
【候補職】
・風術士(ウィンドキャスター)
・風水士(ジオエアロ)
・気流探知士(フロウリーダー)
「……風の名前ばっかりだけど、ちょっとずつ違う……」
つかさは真剣な表情で、指先をパネルに添えながら職業説明を読んでいく。
赤坂の言葉が、頭の奥に残っていた。
──「風の流れ、よく読めてるな。つかさ、そこは武器になるぞ」
「風を“読む”ことに特化したいなら、風水士が最適です。環境と気流を結びつけて、補助にも妨害にも強くなれます」
「……うん。それにする。“風水士”、なりたい」
魔方陣が揺れるように浮かび、つかさの足元から涼しい風が立ち上った。樹々の間を通る風のように優しく、それでいて芯の通った力が彼の小柄な体を包む。
\ 長谷部つかさは「風水士」に転職した!/
三人が転職の儀式を終えたその瞬間だった。
カツン、とどこかで足音が響き、進路指導棟の重たい扉が、風に押されたようにわずかに開いた。
差し込んできたのは、茜色に染まった放課後の光――。
その光に照らされて、まるでそれぞれの新たな装いが、ほんの少しだけ輝いて見えた。
「……これが、私たちの“始まり”なんだよね」
ぽつりと、アヤメが呟いた。けれどその声はどこか震えていて、心の奥底に湧いた“誇り”がそのまま言葉に宿っていた。
「またレベル1に戻っちゃったけど……次は、ちゃんと役に立てるように、なる」
みつきも静かに前を向き、柔らかく微笑む。細い肩に、淡い決意の光が宿っていた。
「がんばろ。次の遠征に向けて、みんなに追いつくんだ」
つかさが、そっと拳を握る。その小さな手のひらに、確かに灯っていた――三人分の意志が。
沈む陽光の中、まだ淡い光を纏った三人の影が、ひとつの線として未来へと伸びていった。
傾きかけた午後の陽が、訓練校舎の裏庭に差し込んでいた。
わずかに風が吹き、砂の舞う広場を金色に染める。照人たちは地図とメモを片手にラウンジから出てきて、軽い調整運動を始めていた――そのとき。
「おーい! みんなーっ! ちょっと見てーっ!」
勢いよく駆け込んできたのは、もちろんアヤメだ。
制服の裾をひるがえし、泥が乾いて粉になった袖を振りながら、彼女は両手を高く掲げて広場の真ん中でぴたりと止まった。
「アタシたち、ついに! 転職、完了しましたーっ!」
「マジかよ!」
照人が目を丸くする。後ろで柊がふっと笑った。
「そりゃ……すごいな。あの泥だらけだった三人が、よくぞここまで」
口調は相変わらず皮肉混じりだが、その声には確かな称賛がにじんでいた。
「俺と縁がレベル上げ引率してたけど、三人ともちゃんと仕上がってる。動きも前よりずっと良かった」
赤坂が珍しくきっぱりと言って、補習組がふふんと胸を張った。
◆江藤アヤメ:詠唱士(チャントマスター)
「私はね、詠唱士! 詠・唱・士! 語感からして強そうでしょ!」
自信満々に胸を張り、アヤメはくるりとその場で回転する。
その指先には、ふわりと青白い魔力が灯り、淡い残光が尾を引いた。詠唱前の“溜め”だ。空気がわずかに震える。
「詠唱長いけど、そのぶん威力バツグン! しかも、詠唱ってロマンじゃん? ちゃんと意味のある言葉で、仲間を守れるって証明してやる!」
「アヤメが言うと……妙に説得力あるな、いろんな意味で」
縁が苦笑混じりに肩をすくめると、アヤメは「それ褒めてるってことでいーよね!」とウインクを返した。
◆みつき:光術士(ルクスキャスター)
「……わ、私は……光術士になったの」
みつきが小さく手を差し出すと、掌に集まった微光が淡い蝶の形を象り、ふわりと宙に舞う。
ひらひらと風に乗るように揺れるその光は、柔らかく、けれど確かにその場の空気を変えた。
「まだ……攻撃は苦手だけど……。眩しさで目をくらませるの、ちょっと得意になってきたかも……」
「“ピカッと光る”の一発芸じゃなくなってきたな。上出来だよ」
柊がぼそりと口にすると、みつきはぷくっと頬を膨らませた。
「う……それ、ちょっとだけ傷つく……けど、がんばるから」
言いながらも、みつきの瞳には迷いがなかった。
◆つかさ:風水士(ジオエアロ)
最後にそっと前に出てきたのは、長谷部つかさだった。
風に撫でられるような仕草で胸元を押さえ、彼は静かに告げる。
「ぼく……風水士になったよ。風の通り道とか、地面の感触とか……ちょっとずつ、分かるようになってきた」
その言葉に呼応するように、つかさの足元からふわりと風が立つ。
草の香りをまとった柔らかな風が彼の髪を揺らし、ほんの数秒、広場の空気が澄んだ。
「いいね、つかさ。まるで……風と話してるみたいだ」
照人の言葉に、つかさははにかんだ笑顔を返す。どこか、風そのもののような柔らかさがあった。
「ちゃんと、自分で選んだんだな」
柊が腕を組み、三人を見渡す。
その目には、いつもの冷静さ以上に、“仲間”としての信頼が浮かんでいた。
「……それが一番大事だ。教科書より、よっぽど信じられる」
「いいじゃん! アタシも炎術士になったとき、暴発ばっかだったし!」
綾がケラケラと笑い、アヤメがすかさず拳を突き上げた。
「爆発は正義ーっ!!」
「まったく、これから先が思いやられるな……」
柊の小声がかき消されるほど、広場には明るい笑い声が満ちていた。
「じゃあ、今度は転職後の実戦テストだねっ! ダンジョンで大暴れしようよ〜!」
「……お前が一番不安なんだよな……」
柊のぼそっとしたツッコミに、全員が笑い声を上げる。
木目のぬくもりが残る大きなテーブルに、資料とノート、そして地図が広げられていた。ラウンジには穏やかな風が流れ、窓の外では茜色の空がゆっくりと色を変えていく。
「んで、そっちは?」
補習組を引率していた縁が戻ってきて、照人の隣に腰を下ろしながら問う。
照人はペンをくるりと回し、テーブルの中央を指差した。
「ちょうど、次の遠征先を決めてたとこ」
視線の先、広げられた地図の上には、いくつもの候補地が付箋で示されていた。書き込みだらけのメモ、チェックマーク、細かい補足情報。そのすべてに、彼らが本気で「次」を考えていた証が詰まっている。
「……いよいよ、“本番”って感じだな」
柊が腕を組み、静かにうなずいた。
「じゃあ……いよいよ本格的な遠征先を決めようか」
照人が声を落ち着かせて言うと、柊と綾がそれぞれの椅子に腰をかけ、手元のノートを見下ろす。
「行ける範囲としては、今のところ――」
柊が指を折りながら、淡々とリストを読み上げる。
「霞の洞(かすみのほら)、古庭の遺構、旧王の訓練所、星燈の湖(ほしびのうみ)、熾熱の炉底、灰燼の旧市街……この六つだ」
■候補ダンジョン一覧
・【霞の洞(かすみのほら)】
→霧が濃く、索敵が重要。不意打ち多数。初心者にはやや不向き。
・【古庭の遺構】
→崩壊した屋敷と庭園。罠だらけ。物理系前提の攻略が必須。
・【旧王の訓練所】
→亡霊化した騎士たち。白兵戦多し。魔術師には荷が重い。
・【星燈の湖(ほしびのうみ)】
→水辺と光の幻想空間。幻惑・浄化・光属性多め。魔術職向け。
・【熾熱の炉底(しねつのろてい)】
→高温地帯。熱耐性必須。装備整備が必要で、夏には不向き。
・【灰燼の旧市街】
→アンデッド系の巣窟。長期戦・浄化能力が必要。
「全部、移動に丸一日かかる場所だよね」
綾がノートにさらさらとメモを取りながら言う。
「日帰りできる“深緑の巡回路”と“灰の坑道”はもう行ったし、そろそろ別のタイプも見たいけど……どこもクセが強そう」と、ため息まじりにつぶやいた。
「だな。炎地帯の“熾熱の炉底”は魔術師多めの今じゃ逆にリスク高いし、“旧王の訓練所”や“古庭の遺構”は物理寄りの編成向けって印象だ」
柊が冷静に補足する。
「でさ、やっぱ今のメンツ考えると――これかな?」
照人が開いたページを指差す。
ページの見出しには、淡い青でこう記されていた。
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