模倣騎士、17
「……“星燈の湖(せいとうのみずうみ)”、気になってた。水中と浮遊。環境ギミック多め……ミームナイトの機動力、活かせそうなんだよね」
「悪くない選択だ。あそこは空間認識を狂わせるタイプの敵が多い。俺の補助術も有効になるはず。補習組の育成が済んだあとなら、十分挑める」
柊がうなずきながら、資料のページをパラパラとめくっていく。
「じゃあその前に……」
綾が腕を組み、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「“熾熱の炉底”もありじゃない? あたしの炎術、火耐性持ち相手に使わなきゃ伸びないし。あそこ、打撃系向けって噂でしょ?」
「やっぱり火力ぶっぱの綾はそっち行きたがるかー」
照人が苦笑しつつ視線を戻す。
「でも、まずは補習組の進化が先だな。今あいつら、すごいやる気だから。次の周回が終わったら、本格遠征って感じか。……決めようぜ、最初の“外泊ダンジョン”」
その言葉に、自然と三人の視線が交差した。言葉にしなくても、気持ちはひとつだった。
ページのめくれる音だけが静かに響く資料室で、彼らの“夏”が、ゆっくりと動き出していた。
深緑の巡回路・第二区画
昼下がりの森には、木漏れ日がやわらかく降り注いでいた。
葉の隙間を縫って差し込む陽光が、足元の苔を照らす。揺れる影、さざめく風、鳥の声。静けさと、命のざわめきが共存するこの深緑の回廊を、五人の小隊が進んでいた。
「よし、この辺で一回、周囲確認する」
そう告げて足を止めたのは、先頭を行く斥候――赤坂忍。小柄な体に似合わぬ鋭い目が、周囲の空間を冷静に見渡す。
「……罠なし、敵反応あり。三体。森猿。こっちに向かってる。間もなく接敵」
低く、しかし確かな声が小隊に伝えられる。
「おっけー! こっちも準備万端だよ!」
元気な声で返したのはアヤメだった。手元でくるくると魔力の渦を指先に集めながら、どこか楽しげに笑っている。
その隣では、みつきが小さな光球を手のひらに浮かべていた。照り返す光の輪郭は安定し、以前より魔力制御の精度が増しているのがわかる。
つかさは周囲の空気に意識を集中し、風の流れを読むように目を細めていた。彼の頬をなでる風が、敵の動きをささやいている。
「前に出る。三人は下がって」
盾役の天野縁が、どっしりと一歩前へ進み出た。陽を受けて鈍く光る重厚な鎧が、後方に立つ魔術師たちを守るように構える。
その瞬間だった。
──ギャアアッ!!
鋭い叫びとともに、木々の上から獣たちが飛び降りてきた。全身を緑毛に覆われた“森猿”の群れ。鋭い牙を剥き、理性のない攻撃衝動のままに縁へと飛びかかる。
「来いよ……こっちは、守るって決めてんだ!」
吼えるように言い放つと、縁が構えた盾で正面から森猿の跳躍を受け止めた。
ドシンッという衝撃音が、地面を振動させる。
「今のうちに詠唱して!」
赤坂がすかさず声を飛ばし、横から草陰に隠れていた別の個体にナイフを投げる。
刃が草をかすめ、敵の動きが一瞬鈍った。
「うっし、カッコいい詠唱いくよーっ! えっと……!」
\《火よ、我が心の剣とならん!紅蓮の――…》/
「あ、ちょっと待って、最後なんだっけ……?」
アヤメが杖を掲げ、魔力を解き放つ。だが――
「……あ、ちょっと待って、最後なんだっけ……!?」
頭が真っ白になったのか、詠唱の最後の語を思い出せない。しかし、焦りながらも彼女は強引に詠唱を縮めた。
「《ファイア・スパーク!!》」
ドンッ! と弾けるような火花が敵の一体を焦がす。威力は大きくなかったが、牽制には十分だった。
「えいっ、まぶしくなれ~!」
みつきが詠唱した瞬間、目の前が白く光る。
「《ライト・フラッシュ!》」
ピカァッ!
強烈な閃光が爆ぜ、森猿たちが目を押さえながら転げ回った。
「風の流れ……こっち、寄ってくる……えっと、風、押して!」
つかさも恐る恐る声を上げ、空気を裂くように風を集める。
「《ウィンド・プッシュ!》」
小さな突風が生まれ、敵の一体を後方に押し戻す。距離が取れた。
「いいね、狙い通りに混乱してる! 縁くん、今!」
赤坂の指示が飛ぶ。
「おおおっ……らああああッ!!」
縁が体ごと突進する。重鎧が地を蹴り、森猿の一体をそのまま地面に叩き伏せた。
チームの動きがかみ合っていた。まだ派生職ではない。それでも、工夫と連携で戦える――それを証明するような連携だった。
「う、うまくいった……! やったよ、三人とも!」
アヤメがハイタッチを求めて手を差し出し、みつきとつかさも照れながら応じる。
「ふふ……うれしい。ちゃんと役に立てたかも……」
みつきが小さく微笑み、つかさも照れ笑いを浮かべる。
「風の流れ、読めた気がする……!」
その言葉に、赤坂が頷いた。
「その調子なら、もうすぐ転職できるよ。……自分たちの力で、ここまで来れてるんだから」
縁も静かにうなずく。守る価値のある背中を、確かに感じていた。
【第四区画:湿りの根道】
――ぬかるみ、虫、そして終わりの兆し
ぬちゃっ、と鈍い音が足元から響いた。
「ぬわ~~っ! またスライム踏んだぁぁっ!!」
アヤメの絶叫が、じめついた空気の中にこだまする。
その足元では、泥の中からぬるりと這い出してきた半透明のスライムが、彼女のブーツを包み込んでいた。
「ひぃっ!? ちょ、やめてやめて!? 絶対肌に悪いやつだからぁああっ!」
バタバタと足をばたつかせるが、逆効果だった。泥と粘液がさらに跳ねて、制服に黒っぽい斑点を作る。
「アヤメ、暴れないで……。もっと沈むよ……」
みつきが、落ち着いた声で諭しながら、手のひらに光を灯した。
指先から放たれた《ライト・フレア》がチカチカと点滅し、スライムの注意を逸らす。
「つかさ、いける?」
赤坂が声を飛ばすと、つかさは小さく頷いた。周囲の風を読むように、じっと目を閉じる。
「……このへん、空気重いけど……風、通す!」
風読みの声とともに、つかさが杖を突き出した。
「《ウィンド・スラスト!》」
ぬかるんだ空気を切り裂くように、鋭い風がスライムの中心を貫いた。
ぬるっとした粘液が四方に飛び散り、アヤメの足元の圧が一気に消える。
「……うぇぇえ……泥まみれじゃん……」
縁が不満げにぼやきながら、腕についたスライムの液体を鎧の端で拭き取る。
彼の銀色の胸当てには、既に何層もの泥がこびりついていた。
スライム、虫、虫、またスライム――。
この区画に入ってから、もう何体目の相手だろうか。
それでも、誰一人として「帰りたい」とは言わなかった。
風は湿っていた。空気は重く、気温も低くない。
だがその中で、五人の足取りは確かだった。
自分たちの力で進んでいる、という手応えが、体の奥で熱を灯していた。
苦戦しながらも、誰ひとり欠けずに辿り着いた。
薄暗かった湿地帯の出口には、かすかな陽光が差し込んでいた。
ぬかるみを抜け、五人はまっすぐに《帰還の環》へと向かった。
そして──
──夏の夕暮れ。金色の光が校舎の窓を染める頃。
スキャナーのある校門前に、泥と汗にまみれた五人の影が並んでいた。
誰もが疲労困憊だが、その表情には充実感と、ほんの少しの緊張が混じっている。
「さーてと!」
ぴょんと飛び跳ねたアヤメが、両手を広げて宣言した。
「ついにこの瞬間が来たのではないでしょうかーーっ!!」
「そのテンションで失敗してたら……めっちゃ恥ずかしいよ、アヤメちゃん……」
みつきが心配そうに呟くが、アヤメは気にした様子もなく、にっこりと笑ってパネルの前に立った。
手をかざす。
ピピッ、と短く音が鳴る。
《江藤 アヤメ:Lv10》
\職業:初級魔術師 → 転職可能/
「キターーーーッ!!」
アヤメがその場でぐるぐる回りながら飛び跳ね、泥を勢いよく撒き散らす。
他の生徒が少し距離を取る中、彼女はひときわ高らかに笑った。
「よぉし! これでやっと私も一人前って感じじゃん!? ギャル式魔術爆誕ー!」
「まだ“転職するだけ”だよ……」
みつきが小声で突っ込みながら、パネルの前に進む。
手をかざすと、同じく短い電子音が響いた。
《杉下 みつき:Lv10》
\職業:初級魔術師 → 転職可能/
「……やった、ちゃんと届いた」
安堵の息を吐いて、ほんの少しだけガッツポーズ。
その手のひらに浮かぶ小さな光球が、嬉しそうにくるくる回っていた。
そして最後は、つかさ。
ほこりまみれの髪を耳にかけ、そっと手を掲げる。
ピピッ。
《長谷部 つかさ:Lv10》
\職業:初級魔術師 → 転職可能/
「……うん。これで、ぼくも……!」
その目にぱっと光が差した。
つかさは思わず両手を上げて、小さく飛び跳ねる。
喜びが全身からあふれ出すのを、止めることができなかった。
それを見ていた縁と赤坂が、同時に小さくうなずく。
二人とも、声には出さなかったが、確かな達成感を胸に感じていた。
日が暮れる寸前、校庭に響く笑い声が、風に乗って消えていく。
こうして、補習組三人の《転職条件》は、ついにすべて整った。
──夕暮れの鐘が、どこかで小さく鳴った。
「じゃ、行くぞ。転職しに」
縁のその一言に、誰もが静かに頷いた。
制服の裾はまだ泥にまみれ、靴底には湿地の土が重たくこびりついている。
でも、その歩みはまっすぐで、誇らしかった。
進路指導棟――そこは職業を定める、生徒たちにとって大きな節目の場。
補習組と呼ばれた三人が、ようやく自らのクラスチェンジを迎える時が来た。
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