8.決闘

 姉様はそう言うと、津島の背後に手を伸ばした。津島は振り返って、そのときはじめて、自分の背中に大きな黒い塊が貼りついているのに気づいた。よく見ると、その黒い塊には蜘蛛のような手足が生えていて、能面のようなものをつけている。男の顔にも見えるし、女の顔にも見える、というより、半分が女の顔で、半分が男の顔になっている。化け物が首をおかしな方向に曲げて、津島を見た。瞬間、津島は金縛りにあったように、身動きが取れなくなった。

『……死にたい……死にたい……』

 姉様が津島の肩を左手でつかんで言った。

「会いたい人がいるなら、ここから六つ目の駅の、星の底に行けばいい。でも、その前にこいつをもう少し小さくしてからじゃないと」

 姉様はそう言って、右手で化け物に触った。すると、水が焼けるような音がして、触れたところが黒く爛れた。化け物が苦しそうに身を捩った。

『……痛い……痛い……』

 化け物が津島の背中から転げ落ちた。津島はとっさに身を避けた。姉様がすばやく津島の前に立って、津島をかばった。

 化け物が八本の足で立ち上がり、尻をあげて津島たちを威嚇した。姉様は胸の前に手を合わせて目を閉じた。すると、姉様の周りに小さな流れ星が火花のように散って、やがてそれが星の子になった。星の子たちは化け物の周りを軽やかに駆け回りながら、歌のようなものを歌った。


    ほしはまわる


     ほしの小川で


      太陽の出る晩に


       小さな男の子が


        お姉様と一緒に


         からだを洗った


 化け物の能面の目から涙があふれた。ひどく苦しそうに身をくねらせた。星の子たちははやくはやくまわった。と、そのとき、化け物の手足の一本がすばやく長く伸びて、姉様の胸を貫通した。心臓を鷲掴みにして、引き抜いた。津島は唖然とした。姉様は生気が抜けたように、ゆっくりと力なく膝から崩折れた。

「姉様!」

 津島は咄嗟に姉様を抱きかかえた。姉様の身体は胸から溶け始めていて、そこからブルーベルの花があふれていた。表情は苦しそうだった。声をかけても、しばらくは答えることもできそうになく見えた。

『……死にたいのに……死にたいのに……』

 津島の目から雫がこぼれて、姉様の頬をつたった。やがて、姉様は口を震わせながら耳元に近づけて、小さな声で囁いた。

「私は大丈夫だから気にしないで」

「でも、身体が溶けてる」

「大丈夫。また会えるから」

 姉様は津島の目のふちに溜まった雫を拭った。

「私は葉くんを止めない。行きたいなら行きな。でも、これだけは覚えておいて。見て、触れて、感じられるものだけが全てじゃない。思い出は色褪せて、やがて思い出せなくなったとしても、あなたも彼らも、思い出があなたの胸の底にあることは、きっと知っているから」

 そう囁くと、姉様の身体は跡形もなく消え、津島の腕の中にはブルーベルの花が残され、やがてそれも消えると、手のひらの中には姉様の紫の蝶の飾りがついた髪留めだけが残った。

 津島は化け物を睨みつけた。化け物は怖がるように手足を縮めて、腹のあたりに避けた口から、真っ赤な心臓を吐き出した。心臓は地面に落ちると、白い塵になって消えた。津島は髪留めを咥えて、髪をまとめて、髪留めでとめた。ポケットからナイフを取り出した。化け物は身構えて後ずさった。津島はナイフを握りしめ、化け物に向かって走った。化け物の柔らかい腹に体当たりして、刃が、深く刺さった。

『……痛い……苦しい……死にたい……』

 津島はナイフをさらに強く握り、力まかせに切り裂いた。化け物の腹が裂けて、中から黒い霧が出て、あたりいっぱいにあふれた。目もつぶり、口を覆い、咳込みながら、しばらくたつと、霧が晴れて、しかしそこには、化け物の姿はなかった。その代わり、化け物のいたところに、芋虫ほどの大きさの黒い塊が小さな能面をつけて、横たわっていた。津島が近づいて、拾い上げると、黒い塊は苦しそうに身を捩った。そのまま腹を指で潰そうとすると、黒い塊は飛び上がった。驚いて目で追って、宙を見上げると、さあと音を立てて天の河が津島の目のなかへ流れ落ちるようであった。

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