第15話:夢の裂け目に、彼女は還る

光が、世界を反転させた。


祠の封印扉からあふれ出した“記憶”の奔流に飲まれるようにして、九重紗雪ここのえさゆきの意識は沈んでいく。深く、さらに深く――彼女は再び“縷々の夢”へと引き込まれていった。


そこは、以前と同じようでいて、決定的に異なる場所だった。


「……ここは……?」


霞がかった空間。廃墟のような教室、歪んだ黒板、開かない窓。だが、何よりも異質だったのは――その空間が“静音の描いたAGNI”によく似ていたこと。


(あの展示室と同じ……いえ、それよりももっと……)


何かが、うごめいていた。目に映るすべてのものが、天神縷々てんじんるるの心象の断片――夢と現実の境界を失った“記憶の残滓ざんさい”なのだ。


「縷々……あなたは、ここにいるの?」


そう呼びかけた瞬間だった。


ギギギ……という不快な音と共に、視界の端に“それ”が現れた。


歪んだ制服。裂けた顔。瞳のない笑顔。――“名無し”の影。


『……どうして来たの?』


それは、縷々の声で問いかけてきた。


『戻って……もう見ないで。ここにあるのは、壊れた名前。私が壊した……全部……』


「縷々……!」


紗雪は一歩踏み出した。恐怖に震えながらも、その声を追って。


「私は、あなたの“名前”を取り戻すって、決めたの!」


――そのときだった。


足元に、光が走った。


彼女の胸元にある縷々からもらった御守りが、かすかな鐘の音と共に振動した。かつて縷々が高僧から授かったそれは、実は真観の手によって護摩の修法しゅほうが施された“結界護符”だった。


(護摩の祈りが……ここでも響いてる?)


地面に浮かび上がった光輪は、曼荼羅まんだらのような形をとり、紗雪の足元を守る。


“AGNI”の絵が呼び出した“偽りの神性”に対し、それを祓うために備えられた真観の結界が、ここでも作用していたのだ。


そして――その光の中に、縷々の姿が浮かび上がる。


制服のまま、涙を流す彼女。だが、その姿は朧げで、不完全だった。


「……縷々……」


『ごめんね、紗雪……わたし、あれに“名前”を与えてしまったの……』


『ただの作品だったのに、あれを見たとき、わたし、ふと思ってしまったの。“これは神さまだ”って……』


紗雪の息が詰まった。


それは、ただの無意識の一言――しかしその“信仰”こそが、神を顕現けんげんさせた。


『“信じたこと”が現実になるなんて、思わなかった……でも、名前を与えたのは、わたし』


『だから、あれは“わたし”になったの』


縷々の言葉と共に、闇の中から“もうひとつの縷々”が姿を現した。


笑う縷々。泣く縷々。怒る縷々。――名を喰い、詐った“縷々もどき”。


『――私こそが、縷々。名前を持つ者。それ以外は、全部消えるべき。』


「それは違う……!」紗雪は叫んだ。


「“名前”は、与えられるものじゃない! 縷々は、縷々! あなたじゃない!」


その瞬間、彼女の三鈷杵さんこしょが光を帯びた。


三鈷杵の握り手部分が少し伸び、中心の鬼目きもくが輝き、そこから分かれた。


両手に握られ分かれた三鈷杵の突起の中心部分が伸び、二本の三鈷剣さんこけんへと変化する。


「な……なにこれ……!」


真観から授かった法具。いまやそれは、紗雪自身の“信”と“意志”によって、仏法の光を宿していた。



「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン!」



何処からともなく聞き慣れない真言が、空間に響き渡る。


真観の唱えた光明真言こうみょうしんごんがこの意識空間に到達していた。


光明真言とは金剛界こんごうかい曼荼羅の主仏。大日如来だいにちにょらいを中心とする五智如来ごちにょらいの五つの光明。

この光明の光で唱者しょうしゃ及び受者じゅしゃに五智の力を授ける。


所謂いわゆる。ゲームで言うところの“チートバフ”である。


紗雪はこの状況を瞬時に悟り、無言のまま二刀の三鈷剣を振り下ろす。


「……!」


その光は“偽りの縷々”を焼き、彼女の形を崩し、周囲の闇を切り裂いた。


『ああああ……ッ、わたしは……わたしだったのに……!』


崩れゆく影。


そして残ったのは、本物の縷々――名を取り戻そうとする、少女の姿だった。


紗雪は、そっとその手を取る。


「戻ろう、縷々。あなたの“本当の名”を、取り戻しに」


そして――光が、ふたりを現実へと引き戻した。


◆  ◆  ◆


祠の中、封印扉の前。


光の奔流が収まり、紗雪はその場に膝をついていた。


「……終わった、のかしら」


「いえ」真観が、静かに言った。


「今のは、ほんの前段階。貴女が見たのは“影”――これから、“名を滅するもの”との対峙が始まります」


紗雪は目を見開いた。


「これからが、“本当の儀式”です。縷々だけでなく、“あなた自身”もまた、その渦に巻き込まれる」


ふと、地面に目線を落とすと三鈷剣が元の三鈷杵に戻っていた。


三鈷杵を拾い上げる紗雪。


彼女の手の中――三鈷杵が、静かに脈打っていた。


(私も、“試される”のね……)


そう覚悟を決めた瞬間、扉の奥で“何か”が動いた。


それは、最奥で待つ“本当の敵”の、胎動たいどうだった――。

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