たのしい音が聴こえる

風と空

第1話 「たのしい」「音」

 現在の時刻は01:56分。

 本来であればこの時間、家主は寝静まり静かな夜のはず……だったが、今宵のリビングは事情が違うらしい。


 「そろそろいいと思うよ」


 次女佳奈(19)から目の前に差し出されたちょうど良い焼き加減の肉。これはどの部位なのか……?


 私がパクッと口にする間もホットプレートの上でジュージューと滴る肉汁の音に、肉が焼ける香ばしくも芳しい匂いが部屋中に広がり更に食欲をそそる。


 ん?この噛み締めると味が増す、とろけるような旨味……!もしや……牛肉!


 「美味しいでしょう?ふふん、丸屋のみっちゃんが色々用意してくれたんだぁ。因みに上カルビだよ!」


 ふむ……丸屋と言ったら近所の焼肉屋だったか。佳奈のバイト先の隣の店で、店主が三ツ谷という苗字の親父だな。


 佳奈の肉好きが高じて知り合い気があったとか言っていたような……年が離れていても話しが合うのは、ひとえに佳奈の人懐っこさと親しみ易さからだろう。


「くぅー!焼肉とコーラの相性の良さよ!」


 タンっとコップをテーブルに置き、コップに更に氷とコーラを注ぐ佳奈。


 ……しかし、1.5ℓのコーラの一人で飲み切るとは……!恐るべき相性の良さよ……!最早体重は気にしない事にしたのだろうか?


「んーー!!この肉肉しい肉!堪らん!」


 肉肉しい肉とはなんぞや……?……いや、待て!その厚切り肉はなんだ!


「ん?へっへー!厚切り牛タンはみっちゃんからのサービスだからねー。仕方ないなぁ、分けてあげる」


 おお!すまないな。ふむ、これも良い焼き具合……!して、味は?


 むおお!これもまた良い!旨味が口の中で迸る!噛みごたえもあり、これはもう一つ頂きたい!


 などと佳奈と肉を楽しんでいたら、リビングの扉が静かにカチャ……っと開く。


「……ちょっと、佳奈?……何やってんの?」


 パジャマ姿で現れたこの家の長女志帆(26)。どうやらこの時間に佳奈が一人焼肉をしているのを信じられない様子。ほんの少し開けた扉の隙間から声をかけてきた。


「ん?焼肉」


「……あんた、何時だと思っているの……?」


「えっと、2時過ぎかな」


「……我が妹ながら呆れるわ……!」


「めっちゃ美味しいよ?」


 パクっと肉を食べるマイペース佳奈の姿に、額に手をあてて呆れる志帆。これは須賀原家の日常である。


「……ん〜?志帆姉と……佳奈姉?……なにそれ?焼肉?」


 おそらく匂いに釣れられて起きたのであろう。そこに登場、三女の美恵(17)。目を擦りながら志帆の背中からヒョコっと薫を出してこちらを凝視している。


 立ち尽くす志帆と美恵に、佳奈は焼き上がった厚切り牛タンをこれみよがしに見せ、あーんと自らの口に入れて頬を手を当て「ん〜!!」と身悶えて見せている。


 おい!私にはないのか?


「美恵も食べる?」


「食べる!!」


 私の催促をわざと無視をし、美恵に焼き上がった牛タンを持ち上げて見せる佳奈。そして、すぐさま目を覚まし皿と箸を準備して席につく甘え上手な美恵もやはり姉妹である。


「ほれ、たーんとお食べ」


「きゃー!佳奈姉好き!」


 ジュウッと味付き肉を焼いてあげる佳奈に、焼きあがったカルビを頬張る美恵。


 寝起きとは思えない美恵の胃袋。起きたてにそんなにすぐ食えるとは驚きである……!


 キャッキャッと肉を焼く二人の妹の様子に、「はぁ……」と志帆は大きなため息を吐いている。うむ、さすがはしっかりもの長女。雰囲気に流されないのだな。





 ……なんて思っていたが、そこは須賀原家三姉妹。いつの間にか全員が席についているではないか。


「んーーーー!!なんて贅沢!」


「ああ!美恵!それ、私が楽しみにしてたイチボ!」


「佳奈、あんたよくお金あったね」


 遠慮を知らない三女は、次女の本命をサッサと焼いてしまったようだ。しっかり者の長女は我関せずの態度で他の肉を焼き始める。


 む。気になっていたその肉も焼いてくれないものか。


「え、ちょっと佳奈。牛の他にモツや豚トロや焼き鳥まであるって、あんた一体いくらかけたのよ……?」


「ふっふー!1ヶ月分の給料注ぎ込んださ!」


「ば、バッカじゃないの!?てか、もしかしてお肉用意したのって三ツ谷さん!?また迷惑かけて……!」


「志帆姉。佳奈姉の人徳だよ、人徳」


「さっすが美恵。わかってるぅ!」


 ……この三姉妹の器用さは相変わらず見事である。話しながらも食べたり焼いたりをおろそかにしないのだから。


「ほら、ハラミあげる」


 む!流石は長女!気が効く!

 うむ、このジューシーで且つ柔らかくも脂っこさの丁度良いこと!美味すぎる!


 噛み締めて味わう私を横目にスッと立って冷蔵庫に向かう志帆。戻ってきたその手には缶ビールと追加コーラの⒈5ℓがあった。……コーラを買いだめしたのはおそらく佳奈であろう。


「で?何があったの?佳奈?あんたがこんな時間に焼肉するのって理由あるんでしょう?」


 席につきプシュっと缶ビールを開ける志帆の視線の先には、「さっすが志帆姉」と持ち上げる佳奈。美恵はその隙に焼き上がったイチボをモグモグと噛み締めている。


「それがさぁ……バイト先の迷惑カップルにさっっすがにイライラしちゃってさぁ……」


「ああ、仕事中に隙あらばイチャつくあの二人?」


「そう!今日もこっちが真面目に仕事してるのに、ピッタリくっついて補充してんの!片方はウォークイン(コンビニのドリンク棚の裏側の呼び名)へ行って来いっつーの!」


 トクトクトク……とコーラをコップに注ぐ佳奈はさっきまでのご機嫌な様子から一変し、イラつきながらクイッとコーラを飲む。案の定むせこんでいる佳奈。……言わんこっちゃない。


「あー。それで佳奈姉、婆ちゃんの教え実行してんだ」


「そ!『嫌なことはたのしい事に置き換えろ』ってね!」


 どうやらむせこむのは治った佳奈は、イチボを更に食べようとしている美恵の肉を箸で押さえ込んでいる。ふむ、なんとも醜い争いを箸で始めたものだ。……焦げるぞ?


「『たのしい』かぁ。婆ちゃん曰く大和言葉って言ってたっけ?」


「ああっ!志帆姉まで!!後は私の!ってしまった……!」


「もーらいっと。で、『たのしい』は『食べ物が手にいっぱい』だっけ?志帆姉」


「美恵……あんたは少し遠慮しなさい。そ。婆ちゃんはよく『たのしい』事を『いっぱい好きな食べ物を手にしなさい』って意味で使ってたね。本来の『たのしい』って、『たくさんの実りに恵まれて、お腹いっぱい食べれる状態の事らしいし」


「志帆姉、よく覚えてるね。あ、佳奈姉。モツも取って。それで佳奈姉は肉をお腹いっぱいに食べる事にした、と。因みに『満ち足りていて愉快な気持ち』って意味でもあるよね」


「そ、美恵も覚えてるじゃん。だからこそのお肉!だからこその焼肉!肉の焼ける音って愉快な気持ちになるでしょう?だから君は大人しく並カルビでも食べてなさい」


「えー、やだ」


「ほらほら。佳奈も美恵もこっちで焼けたの食べなさいって。で、給料日で明日……もう今日か。土曜でバイトも休みだからお肉好きな佳奈は、一旦寝たにも関わらず起きて肉を食べ始めたって訳か……」


「そ。イライラは持ち越しちゃいけないし!」


 ……普通は寝て忘れるものではなかろうか?どうも須賀原家というのは、思いついたら実行型が多い気がするのだが……


 更に志帆からハラミを貰い、食べながら三姉妹を見ていると話は変わりーーー


「そう言えばまた面白い話見つけた」


「佳奈、あんた暇あれば探してるよね」


「何何?」


 次女の佳奈は変な話を探すのが趣味らしい。よく二人にその報告をする光景を見る。


 「投稿者の友達の話らしいんだけど、お婆さんの法事があったんだって。仏壇のある部屋で静かに待っていたら、お坊さんが到着して法事が始まったらね。


 お経を唱えていたお坊さんの後ろで、『ウィーン……』って言う音が聞こえて来たんだって。

 友達が顔を上げたら音の発生源はルンバ。そのルンバが動き出して、どこに行くのか見ていたら、真っ直ぐお坊さんの座布団に向かうじゃない。


 横では静かに慌てる友達の叔母さん。ゴンッと音と共に声が一瞬高くなるも続けるお坊さん。そして立ち去るルンバと急いで回収する叔母さん。


 黙っていなきゃいけない法事で全員の肩が震えてたんだよねーって思い出し笑いしながら教えてくれたんだって」


 「「……わかる!」」


 佳奈が話し終えると、どうやら笑いよりも同調した二人。思い出したように志帆が今度は話し出す。


 「法事といえばアレでしょ。回って来た線香の先を手であおいで消そうとして燃えた先っぽを飛ばしたあの事件」


 「お経を唱えていたお坊さんが『あ”あ”あ”あ”あ”あ”!』って声をあげたから、燃えた先っぽがどこに行ったかわかったんだよねぇ。……うん、アレは腹がよじれそうだったよ。法事故に」


 美恵も思い出してクッと笑いながら話に加わる。どうやら実話らしい。……うむ、それは坊さん災難だったろうに。


 「それにさ、これはちょっと違う意味で面白い話なんだけど」


 おや?佳奈がまだネタを持っているらしい。


 「友達のお姉さんの話だけど、出張で新幹線に乗って移動していたら、なんとも場をわきまえない大学生の男子二人が大声で話していたんだって。


 お姉さんも嫌だなーって思っていたらしいけどその時にね。近くに座っている30代くらいのサラリーマンが大学生達に声かけたの。


『すいません、聞こえてくる話がおもしろくて、続きが気になって眠れません。もう少し声のボリュームを絞ってください』


って言ってくれて大学生のボリュームも下がったんだけどさ。お姉さん曰く『この人何者?惚れる!』って思ったんだって」


「佳奈姉もそうおもったんでしょー?」


「当然!あの閉鎖空間で声をあげるだけでも勇気いるってのに、なにそのスマートな提案!実際に見てたら私突撃して行っただろうね!」


「あー、佳奈ならやりかねないわ。あ、ほら肉焦げるよ?」


「ん?志帆姉、いつの間にイチボ取ったのさ。もう!ってか二人はなんかないの?」


「んー、私の場合は社長かなぁ。朝礼で社員一致団結してって言うところをさ、社員一糸纏わずになんて言うもんだからざわついちゃってね。社長気付かないで話進めるから参ったよ」


 志帆の言葉にああ、と頷く佳奈とブハッと笑い出す美恵。おい、肉が飛んできたぞ?む?肉をくれるのか?……仕方ない、今回だけ許そう。


 チョロい私が肉を食べていると、美恵も何か思いついたらしい。


「あ、私はさ、同級生の話なんだけど、ほら心理テストってあるじゃない?『恋人と親友が溺れてます。どちらを助けますか?』ってやつ」


「ああ、あるね」


「佳奈姉なら泳げないし誰かを呼びに行くだろうけど。その友達は一味違ったのさ。こう言ったの。


 『なんでお前ら二人が一緒にいるんだよ』って」


「「修羅場じゃん!」」


「まさかの拗れが発覚して笑った笑った。あ、友達は本当に修羅場にはなってないからね」


「ブハア!その返しは予想外だわ。あ、親しい友人に相談したら『親しい友人に相談したら?』って逆に言われてショックを受けた話も知ってる」


「うわぁ、佳奈。それ実話じゃないよね?」


「失礼な!そんな志帆姉にはブラック会社であった怖い話しをしてやる!」


「いらん」


 ーーーとまあ、女が集まると話題が尽きないらしい。須賀原家はしっかり食べもしているから流石だと毎回思うが。


「シマちゃんもう肉要らない?」


「にぁ」


 志帆に気遣われたが猫の身でも食べ過ぎたようだ。クアッと欠伸をし、毛並みを整え私の好きなソファーの上に飛び乗る。


 須賀原家の『たのしい』にはいつも笑い声が絶えない。


 クッションの上で丸まりながら、今日も気持ち良く眠りに誘われていく私。


 ……明日のゴハンは遅くなるだろう、と諦めながらーーー




 

「……なんて思ってんのかなぁ」


「ん?佳奈?なんか言った?」


「なんでもなーい」

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