第5話

<週末/七緒の部屋>

 七緒は着飾ってどこかへ出かける準備をしていた。胸元にレースがあしらわれたブラウスに、ミディ丈のプリーツスカートを身に纏い、置き鏡の前でメイクを施す。

 身長は一六一センチの上、目は大きく比較的小顔なのもあり、メイクをすれば女装も違和感なく七緒に馴染んだ。

 一通り準備を終えると扉の向こうの気配を探るように耳を澄ます。

 この日は両親が出掛けるのだと言っていたため、その後に家を出られるよう支度を進めていた。予定ではもうすぐ両親が家を出る。

 しばらく様子を窺っていると二人の話し声が聞こえ、玄関の扉が開閉する音が聞こえる。そして、家の中が一気に静まり返る。

 七緒は鞄を肩に掛け、箱に仕舞っている靴を持って部屋を出る。明るいブラウンのブローグシューズは唯一で、それだけはサイズが合わずおさがりがもらえなかった。

 七緒には姉がいた。優しく明るく穏やかで、ほとんど喧嘩したことがなかった。

 むしろ、七緒のよき理解者であった。

 七緒はファッションに興味を持っていたが、そのジャンルは性別を越えたものだった。それを親や周囲の友達に理解されず、否定さえした。

 しかし、姉とゆらだけはその嗜好を肯定してくれた。とはいえ、その姉は大学進学と共に実家を出ており、ゆらも別のユニットに所属している。

 もう自分の居場所はない。


<昼/ショッピングモール——イベント広場>

「じっとしててね~」

 千歳は永翔を椅子に座らせると、テーブルに広げたメイク道具を慣れた手つきで使う。永翔は目を閉じたまま優しく触れられるたびくすぐったくて逃げたくなるのを必死に堪える。

「はい、おしまい~。目開けていいよ」

「…………わぁ!」

 永翔が目を開けると、千歳が鏡を向けて立っていた。

 春らしい明るいブラウンのアイラインとアイブロウで柔らかい雰囲気に仕上がっている。だが、リップは鮮やかな赤でノーメイクの時と比べて大人っぽくも凛とした印象になっていた。

「凄いですね! メイク好きなんですか?」

「う~ん、嫌いじゃないけど必要だったから覚えたって感じかな~」

 そう言って自身にもメイクを施していく。

 今回の仕事は千歳の親が経営する、古雪ホールディングス傘下の化粧品メーカーの新作PRイベントのモデルだ。永翔と千歳はメンズコスメのコーナーでその化粧品でメイクをして登壇する。

 広報の人が紹介をする隣に立ってその顔を、化粧品を見てもらうのだ。

 イベントの開始時刻も近づき、広場に人が集まり出し辺りが賑やかになっていく。

 永翔も千歳も用意された衣装を身に纏い、手作りだという桜モチーフのイヤリングとヘアピンで飾り付ける。

「うぅ、人いっぱいだな……」

 流れで引き受けてしまったがいざその時になると緊張が込み上げてきて胸がぎゅうっと締め付けられる。

「緊張してるね~。だいじょーぶ、だいじょーぶ。何にもしなくていいから、ただ堂々としてればいいからさ~」

「堂々と……」

 氷見先輩も同じことを言っていた。

 正直、どういう立ち振る舞いをすればいいかは分からない。けれど、お客さんを不安にさせず商品をいいなって思ってもらえるよう堂々と立っていること。それが今の自分にできることだ。

「はい、それならできる気がします」

「うん。エイちゃん、カッコいいから見せつけちゃえばいいんだよ~」

「か、かっこいい!? それは古雪先輩のメイクが上手だからで……」

「ふふ。お世辞かと思いきや結構本気で思ってくれてるんだね~。ありがと。でも、ボクちんもほんとにカッコいいと思ってるよ~?」

「あ、ありがとう、ございます……」

 千歳は恥ずかしげもなさそうにストレートに褒めるため、永翔は居た堪れない気持ちになる。

 だが、他愛無い雑談をしているうちに永翔の緊張も解れていた。

「千歳」

 不意に背後から知らない男性の声がした。

「兄さん、お疲れ様」

「え、お兄さん……?」

 見るとスーツを着た真面目そうな男性が立っていた。

「君が永翔くんだね? 話は千歳から聞いている。イベントに出演してくれてありがとう」

「いえ、こちらこそ……。その、未熟なのにこんな機会をいただき、ありがとうございます」

「そう固くならなくていい。誰だって最初は未熟者だ。少しでも学びを得られるよう頑張ってくれ」

「は、はい……!」

 仏頂面で一見すると怖い印象だが、声音は静かで優しさが感じられた。

「千歳も協力してくれて助かる」

「ううん、ボクはこれぐらいしかできないから」

「……そう卑下するな。永翔くん、これからも弟と仲良くしてくれると嬉しい」

「はい、分かりました…………?」

 いつもの調子のいい感じとは違った千歳を気がかりに思うも、イベントが始まり騒然となる広場に自分の出番へと意識が切り替わる。

「——続きまして、我が社初のメンズコスメ『Gallant Rose』です!」

 いよいよ出番となり大勢の人の前へ繰り出す。

 定位置まで来ると千歳から教わったポーズを取る。棒立ちにならないようにと予め千歳がいくつかポージングを教えてくれていた。

 お客さんは興味津々で永翔たちを見る。その目はキラキラしていて、ワクワクした笑顔を向けている。

 不思議と高揚感を感じてさっきまでの緊張も忘れてしまっていた。

「エイちゃ~ん」

 千歳は小声で話しかけながらすり寄ってくる。

「うひゃ……っ。古雪先輩、驚かさないでください。というか、お客さんの前ですよ……」

「あれ~? 思ったよりも緊張してないね~。ま、いいことだけど」

 そう言いつつ何やら肩に手を置き顔を近づけてきている。

「きゃあああ!」「かわいい~」「千歳くーん!」

 すると、歓声が聞こえ千歳がそういうパフォーマンスをしているのだということに気付く。しかも、初仕事で不安な自分の心配をしながら。

 凄いな……。これがアイドル”古雪千歳”なんだ。

 皆が千歳に釘付けとなっていた。その盛り上がりからさらに人は集まり、通路も滞留し始めている。

 人を惹きつけるプロなのだと実感した。永翔自身、千歳に魅了されていた。

 普段はふんわりとした空気を纏っていてまるでクラゲのような人だが、実際かなりミステリアスで魅惑的なところがある。

 現に今の千歳は、いつものマイペースな様子とは違い、蝶のように美しく華麗であった。

「古雪先輩、おれをこの仕事に誘ってくれてありがとうございます」

「え……? お礼言われるとは思わなかったな~。むしろ巻き込んだのに付き合ってくれてありがとうね。おかげでいつもより楽しかったよ」

「おれも楽しかったです」

 おれはアイドルだ、なんていう自覚はまだない。けど、アイドルに、人を笑顔にできる人になってみたいな、とは思えた。

 他にできることは今のところない。これが夢なのか、自分は何者なのか、それを確かめる術は知らない。これからどうなるのかも分からない。

 それでももし、もしこれを第二の人生とするならば、アイドルを目指すのもいいかもしれない。

「——以上がメンズコスメ『Gallant Rose』の紹介となります!」

 MCの人の言葉を合図に永翔と千歳は動き出す。

 マイクはないため声を届けることはできないが、笑顔で手を振り”またね”を伝える。

 永翔も千歳に倣って手前から奥まで見渡しながら手を振る。

「えっ……」

 端の方でじっと永翔を見ている人と目が合う。

 しかし、それは一瞬だけで相手は慌てた様子で目を逸らし逃げるようにその場を去っていく。

「……七緒?」

 スカート姿ではあったが顔は七緒そっくりだった。

「エイちゃん?」

「あっ、今行きます」

 急ぎ足で舞台を降りると、裏からさっき見た人がいた方の通路に出て辺りを見回す。

 休日で人通りが多く、その姿をもう一度確認することは叶わなかった。

「ちょっと、エイちゃん。衣装のまま出て行かないで」

「すみません……」

「どうかした? 誰か知り合いでもいた?」

「クラスメイトに似た人がいたような気がしたんですけど、見間違いかもしれません」



「はぁ、はぁっ……!」

 最悪だ。終わった。一番見られたくない人に見られた。

 多分、向こうは気付いてた。

 引いたよね。変だよね。気持ち悪いよね。

 こんな自分が嫌いだ。

 なんでオレはこんななんだろう……。

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