第49話 「犯人は、あなたです」

「……じゃあ、雫は本当に返しに行ったんだね」


 それだけが、今の救いであるかのような安堵の声だ。泉さんは頷きつつも、まっすぐな視線を別の人物へと向ける。


「だけど……澪ちゃん。あなたは雫ちゃんが香水を盗んだことを知っていたよね」

「は?」

「あなたの身体から、美波さんの香水と同じ匂いがする」

「え……」


 僕は驚き声を上げる。香水の匂いが……? そんなわけ……と思い、けれど僕は思い出した。一階で、澪ちゃんと高瀬さんと合流した時……石鹸とバニラが入り混じった甘い香りがした。その時背後にいたのは、高瀬さんではなく澪ちゃんだった。あの香りは……お昼に高瀬さんから香った匂いと同じものだ。

 意識してみると、今の澪ちゃんからは確かに甘い香りがする。いや、それだけじゃない。雫ちゃんからも同じ香りがする。


「あなたはアスレチックルームにいた時、雫ちゃんから香水をかけられた」

「そんなわけ……ない」


 澪ちゃんの語彙は弱々しい。彼女が香水をつけるタイミングがあったとすれば、アスレチックルームにいた時なのは間違いない。

 だけど僕はふと疑問を感じて尋ねる。


「いや……でもさ。僕が迷子の知らせを聞いてアスレチックルームに行った時、澪ちゃんからは今みたいな香りはしなかったよ」

「香水は、どんな香りがするか時間で変わる。雛子君が会った時は、つけて三十分程度……トップノートって状態。今よりも香りはずっと弱いし、中身も違う」


 なるほど。たしかに僕がアスレチックルーム前で合流したのは迷子の直後。そして再び一階で澪ちゃんと会った時はさらに時間が進み、お昼の高瀬さんと同じような匂いになったというわけか。

 澪ちゃんは深々と溜息を吐くと、鋭い目つきで見返す。


「……だったら、なに?」

「澪!」


 高瀬さんが悲痛な声を上げる。


「知ってたなら……どうして」

「言えるわけないじゃん。雫が盗んでた、なんて」


 それはそうだ。妹を庇う気持ちがあれば伏せるしかない。

 けれど泉さんの視線は厳しいままだった。


「では、雫ちゃんが香水を持ち出したことを知って、あなたはどうしましたか?」

「それは……」


 澪ちゃんは雫ちゃんに視線をやる。雫ちゃんは一瞬顔を上げ、けれどまたすぐに俯く。手にしたペンギンのお腹をさらにきつく押さえつける。


「……知らない。馬鹿なことに関わりたくなかったから、無視した」


 アスレチックルームでふたりきりになった姉妹。雫ちゃんは、持ち出した香水を姉に見せ、さらに姉にかける。澪ちゃんは驚いただろう。母の形見のはずのものを勝手に持ち出したのかと。怒ることもできたが、それよりも彼女は無視することを選んだ。かといって、姉に告げ口することもなかった。そして目を離した隙に、雫ちゃんはいなくなった。


「雫ちゃん。あなたも同じ認識?」


 雫ちゃんはこくりと頷く。


「じゃあ聞かせて。どうして盗んだ香水を、急に返しに行く気になったの?」


 なにか考え込みながら、雫ちゃんはゆっくりと答える。


「やっぱり……よくないって思って。お姉が悲しむし、怒られる。だから、見つからないうちに戻そうって思った」

「そう。……だとしたら、不自然なことがある」


 泉さんは断言する。その言葉に、雫ちゃんは驚き肩を震わせた。


「不自然って、どういうこと?」

「このリップクリーム」


 泉さんがポケットから古びたリップを取り出す。控室で拾ったものだ。


「これは美波さんが以前になくしたもの。なぜ、これが控室に落ちていたのか」

「それは……」


 雫ちゃんが盗んだからじゃないのか? 美波さんの話では、以前から頻繁にものをなくしていた。それがなくすのではなく、盗まれたんだとしたら。いささか出来すぎている気もするが、香水を返しに行った際に、雫ちゃんが落としてしまったのではないのか。

 泉さんは首を横に振る。


「それはない。私は、このリップに雫ちゃんは触ってないと確信してる。そして、このリップが出てきたのは、私と美波さんがバイトを終えて着替えて……もう一度控室に戻ってくるまでの間。つまり、十五時十五分から十五時四十分までの間」


 えっと、彼女の言葉を信じるなら、その間に出入りしたのはここにいる慎さん以外の全員。だけど雫ちゃんが違うって言うなら……。


「このリップを置き……そして、今まで美波さんの私物を盗んでいた人物――」


 泉さんのまっすぐな視線が少女を射抜く。


「高瀬澪ちゃん、あなたですね」


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