第50話 「やってない!」

 名前を呼ばれた彼女はゆっくりと息を吐く。鞄のショルダーストラップを固く握り、顔を上げる。


「はあ? なんでそうなるの」


 僕も不思議だった。なぜ、彼女がリップを置いたとなるのか。それに何より、なぜ彼女が盗みの犯人だとされるのか。


「あなたが、余計なことをしたから」

「余計なこと?」


 僕も首を傾げる。けれど今の言葉で、澪ちゃんは微かに表情を強張らせたように見えた。


「彼女の立場になって考えればわかる。雫ちゃんが迷子になった時、彼女は相当な恐怖と焦りを感じてた」


 焦りと恐怖……。


「想像してみて。アスレチックルームで盗んだ香水を見せられた時、澪ちゃんはこのままだと確実に騒ぎになると気づいたはず。今まで美波さんがなくしたと思っていたもの……それは使いかけの化粧品なんかの、なくなってもたいして問題にならないものばかりだった。澪ちゃんは騒ぎにならないものを慎重に選んで盗んでいた」

「だけど香水は……」


 お母さんから譲り受けたものだと言っていた。迷子騒ぎがなければ、高瀬さんは必死に探したはずだ。


「あなたは焦り、驚き……澪ちゃんを拒絶した。どうするべきか考えているうちに、雫ちゃんはいなくなった。都合の悪いことに、そのタイミングで父親が戻ってきてしまった」


 慎さんに雫ちゃんの居場所を聞かれ、相当焦っただろう。騒ぎにはしたくない。けれどいなくなってしまった以上、迷子と言わざるを得なかった。


「このまま雫ちゃんが見つかったとして。そのまま香水の件が発覚したら。そして、過去の盗みも雫ちゃんの仕業だという話につながったら。今度は、雫ちゃんの口から、、という話が出てくるかもしれない」


 は?

 雫ちゃんの口から、姉が犯人だと指摘される?

 つまりそれは雫ちゃんは姉の盗みを知っていたということか?


「そもそも、雫ちゃんは盗みが悪いことだと知っていた。だからこそ迷子の理由を言わなかった。だったらどうして、盗んだものを澪ちゃんに見せたの?」


 いや、そこまでおかしな心理だろうか。悪いことをしたあとは、それを誰かに言わざるを得ないものだ。それに、手に入れたものを姉に見せびらかしたいという心理もあっただろう。


「そうかもしれない。だけど私はこう考えてる。……雫ちゃん。あなたはそもそも、香水が欲しかったわけじゃない。あなた自身は香水にそこまで興味はなかった。けれど、香水を欲しがっている人を知っていた」


 泉さんはふっと息を吸ってから続ける。


「澪ちゃんに喜んでほしかったから、香水を盗んだ。けれど彼女はそれを喜ばなかった。それどころか拒絶した。だから香水は必要なくなり、返すことにした」

「なにそれ」


 澪ちゃんが声を荒げる。


「私が盗ませたとでも言いたいの?」

「いいえ。香水の件に、あなたは関与していない。香水を盗んだのは、雫ちゃんの独断。けれど、なぜ盗みと言う悪事をあなたにはすぐに伝えたのか。なぜ盗んだ香水をすぐ返しにいく気になったのか。そもそも、盗みという手段をとってもあなたが喜ぶと考えたのはなぜか」


 舌足らずなその声は、やけにはっきりとその場にいる全員の耳を打つ。


「それは、雫ちゃんが澪ちゃんの盗みを知っていたから」

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