第1話 鱈と油断と私
夜ごはんに、鱈(タラ)と細切り野菜の蒸し煮を作った。
野菜はしんなりとして食べやすく、鱈はふっくらとしていて、いい感じに脂がのっている。完璧な蒸し加減。
思わず夢中でかぶりついた、その瞬間だった。
「ん?……あ、これ、刺さったかも」
たぶん気のせいだ。ちょっとチクっとしただけ。
そう思って、続きを食べる。
ダメ。まだいる。
水をごっくんしてみる。
ダメ。全然動かない。
ご飯を丸呑みしてみる。
やってはいけないと有名な対処法なのに、なぜかやってしまう。
当然、ごはんでも抜けない。
このへんでようやく、私の脳は事の重大さに気づき始める。
「これは……ガチのやつかもしれない」
試しに鏡で喉を覗くが、何も見えない。
そもそも自分の喉の奥をしっかり見たことがない。
(なんであんなに暗くてヌルヌルしてるんだろう。もはや洞窟。)
時刻は20時半。近所の耳鼻科がやっているわけもなく途方に暮れる。
一緒に食卓を囲んでいた娘に、なぜか
「ダイジョブダイジョウブー」と苦笑いでごまかす私。
全然大丈夫じゃない。骨がいつまでも喉にいると、ごっくんしにくく、
自然と唾液がたまってくる。意を決してごっくんすると、
ヂクリンと痛む。
こういうことが起こって初めて、日ごろから喉を無意識に動かしていることに気づく。のどを動かさないと、呼吸もしにくいのだ。
「このままでは呼吸すらできなくなってあの世行きかもしれない」
「葬儀で、死因は鱈の骨が喉に刺さり・・・って故人のバカ具合を披露されるのか」
となると、今できることを一つずつやっていくしかない。
「救急病院に行ってくる」と娘にこれからの挑戦を宣言し、
車で20分かけて、市がやっている夜間救急センターへ駆け込んだ。
夜間救急センターに来る人は、病人である。そらそうだ。
具合が悪そうな乳児・幼児を連れた心配そうな親世代が多い。
その反面、私はいたって健康。喉に骨が刺さっていることを除いては。
シャキシャキと歩き、ササッと受付票を記入する。
場違い感半端ない。
「こう見えて私は、もうすぐあの世に行こうとしていますよー」と脳内で唱える。
受付では、事務員さんと思われる中年男性が対応してくれる。
もうすぐ骨から解放される喜びが顔に出ないように、ポーカーフェイスで受付をしてもらう。
「・・・・・・こちらでは、骨を取る処置はできません」
(は……?)
私「どちらではできるのですか?」
事務員「市内ではできません」「県内のどこか探せばあるかもしれません」
(は……?)
この夜に、すべての用事を投げ捨てて、県内のどこかの病院を探して、車を運転していく能力と体力はない。
でもダイジョウブ!私には耳鼻咽喉科のかかりつけ医という強いドクターがいる。
明日の朝いちばんに行って診てもらおう。救急センターに来れる体力があるなら、きっと私は明日まで生きているだろう。
翌朝、今日こそ喉の骨から解放される!お赤飯を炊いてお祝いだ!
の勢いで、ルンルンでかかりつけ医の耳鼻咽喉科ドクターに診せに行った。
受付の5分後、診察椅子の上に座り、のどにライトを当てられる。
「うーん……ないなあ」
(え?まさか骨なんか刺さっていないのでは?いや、違和感は続いている)
次に、ドクターは鼻カメラを入れて喉の奥を診始めた。
「うーん……ないなあ」
(え?鼻カメラにも映っていない?)
鼻カメラの映像を私も同時に見ることができるのだが、確かにきれいな喉をしている。
ドクターは明らかに困り顔である。打つ手がなさそうである。
患者が骨が刺さったという限り、骨を取る任務がある。
でもない。いくら探してもない。ないものはない。
ないものは取れない。
「うーん……耳鼻科で見れる範囲はここまで。もっと奥まで見れるカメラがある病院に行ってもらおうか。」
ということで、大きい病院へ送られることになった。
(は……?)
かかりつけ医から自転車で10分ほどの、総合病院に行くことになった。
(私これから仕事なんですけど。せめて10時には仕事に行きたいんですけど)
(総合病院アルアル待ち時間めっちゃ長いコースに変更?)
自分で医療の門を叩いたくせに、思っていたよりも面倒なことになって苛立つ。
当初、骨をピッと取ってもらうだけのことだと思っていたのだが、
そもそも骨を見つけるところからのスタートであった。
まさか、魚の骨ひとつで病院を“はしご”することになるとは。
しかも次の病院では、さらに奥まで見れる鼻カメラでも見つけられず、CTを撮られ、
「あったあった、大きな骨が刺さってるわー」とドクターも宝探しで宝を見つけたような喜びよう。
私は『骨アルアル詐欺女』から、『大きな骨が刺さっている女』に昇格した。
骨がある場所はCTで確認できた。ある場所が分かればあとは引っこ抜くだけ。
しかし、再度鼻カメラをしても骨は写らない。
鼻にカメラを通すプロかよというくらい何度も何度もカメラを入れる。
でも写らない。
つまり、のどの表面に骨がないために、つまんで引っ張りだせないのだ。
そういえば・・・・
魚の骨が刺さったときに、もうちょっと食べたからだ、きっとそうだ。
骨が刺さってから12時間以上時間が経っているからというのも考えられる。夜中に遠方の病院を駆け巡ればよかったのかもしれない。
そんなわけで、次のカメラは胃カメラらしい。レベルアップしていく。
人生初めての胃カメラ。苦しいという噂はよく聞くので恐怖しかない。
胃カメラは点滴で鎮静剤入れながらやるらしい。その副作用として、呼吸が浅くなり、血圧が下がりふらつくために1泊入院する必要があるらしい。
ドクターが言った「今日は泊まりましょう。1泊だけね」ニコニコ。
この言葉を信じた私がバカだった。
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