確信

 十一月十七日。雨宮さんに会ってほしい人がいると伝えられたので、会うことにした。


 一応、鳩山君ではないことは確認済みで、どうやら上祇園高校のサッカー部の鳩山君の同期であり、雨宮さんの息子でもあるらしい。

 時計の針は十九時半を刺している。ここから一時間面会するそうだが、それほど話は続くだろうか。

 いいや、鳩山君の話なら、私だって自信がある。たった、三か月のことだけど。


 その時、ピーンポーン。と、インターフォンの音が鳴った。


「はーい」


 私はロックを解除する。そこには一人、鳩山君と同じくらいの身長の男の子がいた。

 何と言うか、鳩山君と似ている雰囲気のように思えた。部活終わりなのだろう。少し土臭い。


「こんばんは。母さんから頼まれて、来ました」

「こんばんは。えっと、側の椅子に座ってください」


 雨宮君。きっとそう呼べばよいのだろう。

 雨宮君は雨宮さんが座っていたところと同じ椅子に座って、体をこちらに向けた。そして、いきなり言葉を発す。


「翔についてですよね」


 雨宮君は目を細めるが、笑顔でないのだろうと感じた。どんな心境なのかは分からない。


「はい。そうです」


 雨宮君は「やっぱりか」と呟いた。そして、一つ察した様に私に繋がれている点滴スタンドを見る。次に、私の頭蓋骨、そして、食べられていない夕食まで。


「あの、そんなにじろじろ見られたら……」

「あ、ごめんなさい」


 雨宮君は瞳を大きく開いて、謝罪した。けれども、その刹那また瞳は落ち、目が細まる。


「どんな、病気なんですか」


 重々しく言った。最初から、この質問をされるとは思っていなかった私は動揺する。しかし、すぐに平常を保った。


 彼は、鳩山君じゃない。雨宮君だ。でも、聞いてきたっていう事は、彼は病気のことを聞かされていないはず。


 でも、私は正直に答えた。


「膠芽腫です。脳腫瘍の、いわゆる癌です」

「そう……ですか」


 雨宮君は肩を落とし、再度上げる。


 次見た彼の表情は、澄んだ青空のような笑顔になっていて、その様子を見た私は、きちんとした笑顔を向けた。


 でも、きっと雨宮君の笑顔は偽りなのだろうと、私は薄々感じてしまっていた。


「母さんからは、翔と斎藤さんを会わせるためのステージを……」

「ステージ?」


 私が一言呟くと、雨宮君は瞬時に口を塞ぎ、代わりに「メンタルケアだったり、スケジュールとか」と紡いだ。


「なるほど」と、私は納得する。


 瞬時沈黙が流れた。しかし、雨宮君はすぐに質問を続投する。


「治るんですか」


 答えは、分かっている口調だった。恐らく察しているのだろう。


 でも、先に言っておけばよかった。雨宮君に、こんなに重苦しい質問をさせてしまうなんて。

 私は頭を横に振る。そして、雨宮君が自分を責めてしまう前に、


「余命一年。あと、敬語でいいからね」


 答えを軽くするために、あえてそれが、どうでもいいことのように付け足した。雨宮君は目を伏せて、「わかった」と軽く返事をした。


「じゃあ、何か話そうか。ほら、翔の最近の事とか聞きたい!」


 沈黙が怖い私は、すぐに話題を作る。余命とか、会ってしまっていいのか、そんなことは考えてはいけない。考えたくない。


「そうだね」と、雨宮君は伏せた目をこちらに向ける。改めて、自分の頭を見られているような気がして、後ろめたさというか、恥ずかしさを覚えた。けれど、恥じてしまってはいけないのだと、強くその感情を封じる。


「最近の翔は、部活に励んでる。多分、斎藤さんのためだと思うよ」


 雨宮君はそう言った。私は心がほっとする。やっぱり、夢を追いかけているんだ。と感じるけれど。


「嬉しい。私はね、この前花火大会でね」


 私は、雨宮君の言葉をそれ以上聞きたくなかった。きっと、このままだったら鳩山君の部活の話になってしまう。


 ……考えたくない。やめてよ。これ以上、葛藤をさせないで。


「花火大会でね……」


 言葉が詰まる。いやだ……やっぱり、やっぱり好きなんだ。

 雨宮さんの励みがあっても、私は酷い女になれない。死人の癖に、鳩山君の人生を壊してしまうのが怖い。

 いい人でありたい。美しく、死にたい。


「大丈夫……?」


 雨宮君は俯く私に声をかける。


 頭を見ないで…見ないで……。


 そんな心の嗚咽も、今や涙に落ちるだけ。


「だいじょうぶ」


 私は嗚咽しながら言う。雨宮さんの言葉だけに、ただ縋る。


 違う。生きている。私は生きている。

 我儘に鳩山君を求めたい。愛したい。

 愛している……から。


 雨宮君は、きっと私の泣き始めた理由が分からないのだろう。

 感情の防波堤が崩壊して、葛藤が濁流に混ざる。


 こんな頭、何が美しいんだ。

 こんな私が、我儘になってしまっていいわけがないだろう?


 いやだ。死なせてよ。

 いやだ。翔に会いたい。


 明らかに大丈夫じゃない様子に、雨宮君は戸惑っているように見える。しかし、しばらくして雨宮君は言った。


「俺、翔と一緒に大会で優勝したいんだ」


 私は頭を上げる。雨宮君の顔は、県大会決勝の、あの時の鳩山君の表情をしていた。


 真っすぐだ。輝いている。そんな表情を、私に見せないで。


「だから、正直言うと、翔には大会だけを見てもらいたい」


「えっ」と、私の涙は止まる。今、何を言われたの?

 私に、遠回しに鳩山君と会うなって言ったの?


 雨宮君は続ける。


「翔は今、やっともう一度、レギュラー入りに向けて走り出した」


 ちょ……待ってよ。ねぇ、それって。


 私の体に鳥肌が立つ。目の前にいる雨宮君はやけに冷静に、真っすぐな目で、私に冷酷な言葉を浴びせた。

 当然……なんて考えなかった。さっきまでの葛藤が吹き飛ぶほどに、私はその言葉に怒っていた。


「なんで……」


 その言葉は噴き出す。噴火した火山の如く、叫びのような声で私は続けた。


「いやだ。いや。私のために走ったのなら、私のことを邪魔って言わないでよ」


 本音が出た気がする。体の節々が、伸びて軽い。

 その言葉を聞いて、雨宮君は嫌そうな顔を露骨に見せた。さらに腹が立つ。


「なんで私は翔に会っちゃいけないの? 私だって、一人の人間なのに、余命があるから? そんなのどうだっていい。生きてるの。私は生きてるの! とにかく私の気持ち、少しだって考えてよ!」


 雨宮君は口角を緩ませる。腹が立って、まだまだ続けようとするけれど、雨宮君は一言挟む。


「じゃあ何? 翔の人生を壊してでも、翔に会いたいって言いたいの?」


 さっきまでの私だったら、絶対に肯定しなかった。きっと、雨宮さんの言葉に縋って、鳩山君に申し訳なく、自分を出せずに会うだけになっていたのだろう。

 でも、吹っ切れていた。自分を蔑ろに扱われたことが、何だか許せなかった。


「会いたい。会うに決まってる。だって私は翔の――」


 恋人……って、今更ながら言えないことに気付いた。

 私は、まだ翔と付き合っていない。


「私は……」


 雨宮君は、そこで微笑した。


「知ってる。俺のせいだからね」


 さっきまでの冷酷さなんて微塵も感じない、優しさに満ち溢れた笑いだった。

「は?」と、私は呆気にとられる。


「こわいこわい」と、雨宮君はまた笑って、収まったところで言った。


「県大会に骨折しちゃってさ。優勝できなかったの、俺のせいみたいなことがあるから」


「えっ」と、私はまた言葉を出せずにいる。さっきまで怒りに震えていた自分が、馬鹿みたいだ。


「だからさ、悔しいんだよね。申し訳ないしさ。翔と、斎藤さんが結ばれないのは」

「ちょ……ちょっと待ってよ」


 私は動揺する感情と、進んでいく話に歯止めをかける。


「じゃあ、私は、さっきの言葉って」


 雨宮君はまた微笑して、言葉を紡ぐ。


「ほとんど嘘だよ。勝ちたいのは、本当だけど」


 私はほっとして、体全体の力が抜けるのを感じた。そして、知らず知らずに自分の気持ちが出て行ったことに気付く。雨宮君の冷酷さは、全て計算されたことだった。


「でも、よかったよ。母さんには、ただ翔に会わせるように言われてたからさ。来ていて、よかった」


 それどころか、本来はここにすら来る予定もなかったらしい。雨宮さんに頼み込んで、やっと一目拝めたと笑いながら言っていた。

 私は力が抜け、ベッドに身体を預けたまま、額に手を当てて。


「よかった」


 たった三十分のこと。六を指す長針を目線に収めながら、私は呟いた。

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