平等に美しい
彼女の連絡が絶ってから、三週間が経った。
十一月二十一日。今日は土曜日だが、部活である。
あれから、僕はレギュラーを目指した。彼女の連絡が経ってからも、また昔の様に、努力で心の穴を埋めて、ずっと希望を持っていた。
いつか会える。きっと、この週が終わったら。
そもそも、分かっていたことだろう。彼女には大学受験がある。
そうだ! きっと、それで忙しいだけなんだ。きっと、僕に愛想を尽かしたわけじゃないはずだ。
希望を持つ。砕かれる。次の希望を持つ。砕かれる。破片によるダメージは、部活で埋める。
そして、今日も。今日だって、僕は希望を持とうとしていた。
今日も、きっと砕かれる。その度に、彼女を忘れようとする。野心を燃やすたびに、いらない恋心を、思い出を捨ててしまいたい思いに駆られた。
雨宮にレギュラーに入ることを誓った時。
あの時から、僕は優柔不断になっていた。
ひと時も、忘れたくなかった。なのに、部活に打ち込むと、また野心が芽生えてしまって、彼女のことを考えなくなることが多くなってしまう。
忘れようとだなんて、できない。
忘れちゃいけないことも分かってるのに。
なのに。
更衣室で上に来ていた制服を脱いで、凍える風に震えながらスパイクの紐を結ぶ。もう、冬だ。
「もう。冬か」
考えていることが、不意に独り言になった。
言葉を発してから外の景色を見てみると、まるで彼女と過ごした世界と別な世界に生きているような気がする。
彼女に会った時から、あんなにも色付いた世界のはずが、今は鮮やかさを保ったまま、冷えぬ熱意を帯びているのに、冷えて凍えて寂しくて。
「おい、翔!」
その瞬間。僕がこの世界を見渡していると、後ろから雨宮に声を掛けられた。
どうやら、さっきからずっと声をかけ続けていたらしい。
「無視するとか酷いんですけどー」と、冗談っぽく怒っていた。
そんな雨宮を見て、僕はひとまず笑顔を保ち、手に持っていた倉庫の鍵を見せた。
サッカー部の倉庫を開ける。中は生暖かい。
雨宮が我先にと入って、僕は練習に使うコーンを取り出し始める。
「どうだよ。レギュラーになれるのか」
雨宮はボールを選びながら言った。
僕は軽いコーンを両手に抱えて、瞬時立ち止まる。
「さぁ。でも、ならないとな」
「ふーん」
僕はその言葉を聞いて、一度倉庫を出て、グラウンドにコーンを一通り運ぶ。
雨宮はレギュラー入りした。しかし、一向に僕はレギュラーに入れないまま、二軍として活動を続けている。
雨宮は何度も監督に僕をレギュラーに入れるよう言ったらしいが、あのこともあって、僕は監督とコミュニケーションを取れないでいる。監督は悩んでいるらしい。
二セット目を取りに、また倉庫へ向かう。
「でも、お前らしくないよな」
雨宮は、まだボールを選んでいた。それも、ずっと動かなかったように、さっきと同じ体制で。
「なんだよ」と、僕は気にせずコーンを抱える。
「いや、だってさ。あれだけサッカーに対して情熱をもってたお前が、最近はなんだか、注ぎ切れていない気がするんだよ。情熱とかやる気はあるんだろうけど」
僕はまた立ち止まって、「そうか」と言って、倉庫を出た。
情熱はある。そして、雨宮の言っている足りないものは野心だろう。
自覚は、あるのだ。
今や、彼女を……。
……失った僕に、野心なんてない。いや、持てない。けれど、もちろん仲間と大会を過ごすのは楽しいし、彼女とは県大会優勝の約束だってした。
なのに部活に打ち込むたびに、世界が苦しくなる。冷えていなきゃいけないのに、熱を帯びようとする。
野心を持ってはいけない。その先は、きっと別の世界が待っているけれど、彼女を……。それこそ、永遠に失うことになってしまう気がして。
ずっと、好きだった人。ずっと、これから一緒に人生を歩んでいくと思っていた人が、急に離れて行ってしまった。音沙汰もなく、消息不明だ。
でも、きっと戻ってくるって。僕たちは、あんなにも運命の糸で紡がれていた。
あんなにも、想い合っていた。
二セット目のコーンを置いて、また倉庫へ入る。雨宮は体制を変えていないままだった。
「なぁ、翔。”死”ってなんだと思う?」
しかし、雨宮の疑問は膨らみすぎていた。僕は立ち止まって、「えっ」と声を出す。
「ああ、ごめん。こんな急に、哲学みたいな疑問を投げつけて」
雨宮はやっとボールを一つ選んで、僕の持っているコーンを片方持つ。倉庫を出て、ボールを足元に落とした。
「母さんが言ってたんだ。”死”って、いつか訪れる、最も美しいものだって」
雨宮は一言呟いて、ボールをもって離れてゆく。
「はっ?」
僕の驚きは、数秒遅れてしまっていた。
なんだって? ”死”って、いつか訪れる、最も美しいもの?
……なんで、そんなことを? しかも急に?
僕が立ち止まっていると、十メートルほど離れた翔がパスを出してきた。僕は考えながらも、ボールをトラップする。
もし、僕が死んだときに、この人生で後悔を感じるとしたら。
問いは、まずそこから始まった。
そして、その問いは時期も相まって、彼女の話になる。
きっと、この得体のしれない彼女の消失は、僕の人生の後悔になって、いくら幸せになったって。
でも、その後悔すら忘れてしまったのなら?
答えが出ない。
次に、僕は自分が幸せになった時のことを想像しようとした。
例えば、サッカーの全国大会で優勝して、多大な名誉を手に入れた時を想像した。
サッカーのプロになって、若くして稼いで、結婚して……。
……でも、それでも多分。人生の最期に、彼女を失ったことを後悔する。
いいじゃないか。後悔なんて、人生で何度もするだろう。完璧主義者でもない。
でも、もし欠けたものを、忘れてしまったら……。
――でも、それなのに、僕は彼女のいない人生を、幸せに生きる未来を想像できない。
想像できたとしても、僕はそんな世界を、認めない!
あっ。そうか。
「おい、翔?」
雨宮が声をかけてくれて、初めて気づいた。僕の足が止まっている。ボールが足元で佇んでいた。
けれど、そんなどころじゃない。
”死”ぬほどなんだ。”死”ぬほど好きって、こういう事なのかもしれない。
死んだとき、もしくは死ぬ前に、彼女に隣にいていてほしい。
彼女以外の人生を考えられない。これが、死ぬほど好きという事なのかもしれない。
あれ、じゃあ、なんで僕は、彼女のために努力ができないんだ?
「おい、翔!」
雨宮がまた声をかける。気付けばすぐそばに来ていた雨宮に、僕は問いを投げつける。
「”死”って、美しいのか?」
雨宮は嫌そうな顔をして、頭を掻いた。数秒黙ったのちに、言葉を紡ぐ。
「母さんが言っている言葉だよ。俺は、そう思わないけれどね」
自分からこの問いを発したのに、疲れたのか雨宮は脱力した様に座り込んだ。
早朝の清々しい空気を吸って、息を吐いている。
「”死”を美しいと思うのは、正直どうかしてる。けれど、死を覚悟して人を愛したり、使命を守ったりする人たちは、確かに儚くて、美しい」
雨宮の母親は看護師だ。きっと、死ぬ間際の人々をたくさん見てきたのだろう。
しかし、雨宮は「けれど」と紡ぐ。
「それでも俺は、母さんに賛同できないけれどね」
雨宮はそうして、僕に笑いかけた。
「そうか」と、僕はその笑顔に同調する。
けれど、雨宮の笑顔は取り繕ったものだった。瞬時に解いて、今度は俯いている。
「俺の母さん。ちょっと変な人だから。試合だって、決勝以外来なかったし」
決勝。雨宮が骨折して、試合に出れなかった時だ。あの時、確か斎藤さんも来ていたはずだけれど。
「美しいものが大好きなんだ。小説とか、映画とかでも、そして、現実の人間関係から、行動まで。感動できるかできないかで判断する」
「それは――」
話したいことが分かった気がする。決勝、仲間の骨折。
果たして、そこから生まれたのは?
いや、よそう。憶測で知らない人に悪印象を抱いてはいけない。
「いや、いい。俺はそんな母さんでも、母さんだ。悪い母親だって、言わないでください」
雨宮は僕の言葉の続きを察したのか、ボソッと他人行儀に言って、また笑顔を取り繕った。
「でもな、そんな母さんが、この前俺を頼ってくれたんだ。美しいか美しくないかで行動を決める母さんが、俺を頼ってくれたんだ」
さっきよりも取り繕っている笑顔だということが分かりやすいはずなのに、雨宮の目は輝いていた。それはきっと、その喜びの面影だ。
でも、僕は何となく察していた。
……それって、結局美しい。ってこと。
”死”が浮かんだ。付随して、感動が生まれる。
「美しいって。それは残酷だよ」
言葉は勝手に紡がれる。ここからは、倫理の領域だった。
「……ああ、それは、母さんにとって、美しいことだったよ」
僕も座り込む。雨宮は顔を背けて、深くため息をついた。
僕は寝ころぶ。なんだか疲れた。
雨宮の方を見る。雨宮は空を見上げていて、一つ言った。
「残酷だよな。運命って」
雨宮の言葉に、
僕は、憐れんだ。
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