冬 ちぎり【上】

普遍的、日常

 十二月一日、水曜日。


 早朝の寒空、藍色だったキャンバスが、東から濃く茜に塗り広げられている。

 夏にはあんなにも燦々と照らしていた日光でさえ、冬となれば弱く、朝となれば狭い。ただ、茜を夜空に伸ばすのみで、もちろん、暑さなどは微塵も感じない。


 だから、早朝のランニングを終えるまで、朝日が昇っていることに気付くことがなかった。


「……行くか」


 仲間と仲良しこよし走るよりも、こうして一人で走っているほうが、何だか気持ちがいい。あの時の裏切られた時の気持ちが、断片的に浮かんだ。

 そんな感覚を心のうちに抑えて、僕はユニフォームの上に制服を重ね着する。


「いってきまーす」


 まだ家族が寝ている中、一人玄関の戸が閉まる音が鈍く響く。

 既に藍色は端に追いやられ、どこかに行ってしまっていた。

 そんな中ただ広がるのは、雲一つない快晴である。


 冬はつとめて。冬に限らず、いつの早朝も好きだ。空気も景色も自分も、何もかもが新しい感じがする。


 車の少ない大通りの脇を歩く。もう鞄を落としたりはしない。

 落として、彼女に会えるのなら別だけれど。


 しかし、そんな想像も徒に、僕はいち早く学校に着いた。まだ閉まっている校門の前に、一人見知った顔がある。


「よぉ翔。にしても、寒いな」

「おはよ。昨日もその言葉を聞いたけどな」


 雨宮だ。昨日も今日も、ここでこのセリフを聞いた。まるでループをしているかのように、この光景もただ過ぎてゆく日常のひとかけらと化している。

 腕時計を見る。まだ五分前だ。そうなると、一体雨宮はいつからここに来ていたのだろう。


「鍵どっち取る?」


 そんな訝しもなしに、雨宮は昨日どころか、一昨日も聞いたような発言をする。平日の朝練。大抵ここで雨宮と会ってしまう僕と雨宮は、職員室まで走りでサッカー部倉庫の鍵を取りに行く鍵ダッシュのじゃんけんをするのだ。


「いいよ。じゃあグー出すから。お前パー出していいよ」


 そして、僕は大抵こんな馬鹿らしい発言をする。


「おいやめろよ。それ言われた瞬間に俺めちゃ弱になるんだって」


 雨宮は騒ぐ。しかし、僕の真剣な目を見ると。観念したのか深くため息をついて、「さーいしょは」と始めた。


 そして、あっさりと雨宮はパーを出した。僕の手には触角が生えている。


「嘘つきがァ!」

「正直に出す馬鹿がいるかよ」


 雨宮が大声を出し、僕も呼応する。その時、校門が静かに空いた。


「またお前らか。いっつも同じ行動しやがって」


 初めて、ここでループが途切れる。教師の行動自体も実は昨日と一緒なものの、思っていたことを言ってくれた。雨宮と一緒に大きな声であいさつをして、僕はグラウンドに直行する。

 雨宮が走り込むのを遠目で見て、更衣室で制服を脱いだ。下がユニフォームなので、着替えはこれで終わり。


 後は……やることがないな。

 雨宮が鍵を取ってくるまで、暇だな。

 ……さて、今日はどうしようか。


 今日は、昨日は、明日は。いつも、彼女を求めて努力していて。毎日のように、彼女のメッセージを見ていた。今日だって、ランニングを始める前に一度見て出かけた。けれど、毎日変わらない画面に、毎度心が砕けている。

 だから部活で埋める。努力している自分で、彼女の事を一時的に忘れることができるから、僕は努力をする。


 野心じゃない。今や、彼女を求めるために、彼女を忘れて部活に励んでいるようなものだ。


「本末転倒だな」


 呟いて更衣室に倒れると、辺りが汗臭いことに気付いた。

 換気のために窓を開ける。


 彼女のために、努力をする。

 彼女を忘れるために、努力をする?


 僕って、どっちを目的に、今は部活に励んでいるのだろう。


 レギュラーになって、試合に勝つために。

 試合に勝って、彼女と付き合うために。


 でも、彼女はどこにいるって言うんだ?


「……いや、死ぬほど好きな相手を、こんなくらいで諦めてたまるものかよ!」


 僕は声を張り上げる。するとその直後、ゆっくりと更衣室のドアが開いて、雨宮が口を押えて入ってきた。


 僕は呆然と立ち尽くす。

 僕がゆっくりと近づいてくる雨宮を静観していると、雨宮は一瞬を手を止めて、


「こんなくらいで、諦めてたまるか……」


 そして制服を脱ぎながら、雨宮はわざと聞こえるような声で僕の言葉を反復した。

 いつもの雨宮の事だ。きっと僕をからかっているのだろう。

 分かっている。無性に恥ずかしくなった。雨宮の肩が震えている。笑いをこらえているのだろう。


 更衣室に十秒ほど沈黙が訪れる。雨宮がいつもの様に制服の下のユニフォームを見せたところで、「鍵はそこに置いとくから」と、早くもってけと指を刺された。


「あ、うん」


 僕の恥は、雨宮の表情を見た瞬間に同様に置き換えられる。さっきまで笑っていたはずであろう雨宮の顔は、至って真面目な顔をしていたからだ。


 なんだ、アイツ。


 自分の真剣な気持ちが、翔にも分かってたのかな。


 考えるけれども、すぐに頭を振る。


 いや、どうせ表情を取り繕っただけなのだろう。


 決めつけて、倉庫の鍵を開ける。とりあえず、冬の間にレギュラーになろうとは思っている僕は、今日も自らの思考に活を入れた。


「じゃあ、やるか」


 ボールを一つ取り出して、一発更衣室の方に蹴る。ちょうど更衣室から出てきた雨宮は、颯爽と僕にダイレクトで蹴り返した。

 肌寒さは既に感じない。少なくとも、迷いは台頭しなかった。

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