呼び出し

[高野]

 翌日、まだ腫れていたので目立たないようにマスクをした。コロナ禍、マスクをしたときを思い出したが、前の里親のところに一緒にいた小杉奈夜なやの言葉を思い出した。


[奈夜]

 来たときの彼女は見るからに攻撃的な目をしていたし、世界を敵にしているようにして生きていた。別棟に暮らしていて、朝と夜食べるためだけにダイニングキッチンに現れた。

 メシだけは食いに来た。

 いつも睨みつけてきた。彼女は定時制高校に通わされていて、アルバイトへ行くために起きてきた朝食のときに、突然「女がマスクするときは化粧してないときや」と話してきた。


『コーヒー飲む?』

『パンも焼いて』


 トースターに一枚入れ、カップに入れたミロにポットからお湯を注いで混ぜて渡した。だらしないシャツとスエットパンツの彼女は片膝を立てたので、高野は膝をじっと見ていた。


『何やねん。気持ち悪い』

『膝立てるな。スマホは置け』

『うるさいな』


 オーブンがチンッと鳴ったので、高野はいったん睨み合いをやめて、少し焼きすぎたパンを取り出してマーガリンを塗って渡した。


『ったく、ジャムないん?』

『イチゴ?オレンジ?』

『イチゴ』

『イチゴはないねん』

『何で聞いてん。オレンジでええわ』

『ないねんなあ』


 奈夜はスマホを伏せて置いた。


『ケンカ売っとるんか。わたしが電話かけたら何人でも集められるんやで』

『それがどうしてん。おまえ今すぐに連絡相手全消しできんやろ。一人で生きてきたようなこと言うくせに、結局意味ない奴らやとわかってても誰かがおらんと怖い。おまえの正体やん』

『殺すぞ』

『俺もそこそこの修羅場越えてきてん。んな脅し通じると思うんか。お互いろくでもない人生なんや。今くらい楽しみたいやん。そやから一緒におるうちは普通に話そうや』

『……うっさい、眼鏡』

『人生て何か諦めるたびにはじまるんやないかと思うねん。おまえも親のことなんて諦めたらええ』

『あんた、変わってるな』

『はじめて言われた』

『大人は遠慮して黙っててくれるからな。全消しか。今まで考えたことないわ。やっぱ怖い』

『例えばやん』

『じゃあんたの番号教えてや』


 高野は奈夜の声を背中に聞いた気がして軽トラの助手席で目を覚ました。


[高野]

「着いたぞ」

「ありがとうございます」

「職員室に呼ばれてるんでな。このまま職員室に行くわ。高野くんは教室へ行くのか?」

「次の日こそ行かんと」

「強いな」

「心が折れるまでにできることせんといかんのですよ。折れてからやとできんから」


 教室に入ると、皆が一斉に高野を気にしていることに気づいた。さすがにこういうときは何となく気まずい思いがするので、何やら必死で解いている未来に頼ることにした。


[未来と高野と大人たち]

 未来は早くに教室に来て、数学の課題を解いていた。本多に当てられるはずだから解いておくに越したことはない。それも理由の一つだが、もう一つは気も紛れるし。そうしているとマスクをした高野が険しい顔を近づけてきた。


「近い」

「教室雰囲気おかしくない?」

「みんなね、高野くんのこと心配してたの。今日は休むんじゃないかとか話してた。停学じゃないかとか」

「何で俺が停学ならないかんねん」

「わたしもそう思うけど、わたしとしては停学にしたいくらい」

「なんでやねん。怒ってる?」


 未来も返信を今か今かと待っていて数学が手につかなかいまま寝たとは言えない。しかも返信すら忘れているような気がして、今も数学が解けなくなりつつある。これは授業でマズイことになるぞと焦れば焦るほど解けない。


 空気を変えよう。


 テキストを閉じて深呼吸した。


「今日は数学当てられるかもしれないから急いで解いてるのよ。ちなみにこんなこと催促したくないけど、何か忘れてない?」

「ちゃんと覚えてる。これやろ」

 ハンドタオルを渡してきた。昨夜二人別れてから、今後のことを話すために里親のいる寺へ呼び出されたとのことである。担任の本多が茂部の家庭と連絡して状況を話すらしい。


「ゆるキャラのセンスないな」

「まあ、そもそもが悪いんや。前の縫製工場はテーマパークとかゆるキャラのグッズの下請けしててん。これは新品や。誰も使うてないから心配せんでええで。結局、汚れ取れんだんや。取れんだ方も返しとくわ」


 高野は重そうなリュックも見せてくれた。未来も知っている若者向けのファッションブランドのタグが縫い込まれていたが、どこかに縫製ミスがあるらしい。


「じゃなくてさ。メッセージ……」

「読んだで。あんな紙きれ落ちてたんやな。あれ使えるんならうれしいわ。GWとか釣りに行く?」

「……」

「急に言うても予定あるか」

「い、行ってもいいけどっ!」

「意外に日焼けするんよな。お肌とか気にしてるんやろ?平良さん、餅みたいに白いもんな。この季節でも照り返しが凄いねん。魚触ったら生臭なるし。几帳面ぽいやん」


 未来は「待って」と手で制した。


「釣りに行きます」

「施設の子らも連れていくか。今はちっさい小学生が三人おるねん。ボランティアやな」

「二人で」

「そう?」


 ボランティアは悪くはないし、実際に里親については興味はある。そんなことは滅多にできないレベルの話なのも理解できる。しかし今回の釣りのお誘いは二人で行きたい。


「釣りは二人でお願いします。米ぬかの使い方に興味あるし」


 そんなものない!


「米ぬかの使い方くらい今、教え……」

「高野くん、いるか。ちょっと校長室まで一緒に来てほしいんだ。平良さんも」


 本多が呼びに来た。


「で、今日の数学は自習にする。それと田中と中西もだ。おまえらは生徒指導室に行け」

「アジの仕掛けも作っとくわ。てか釣りしたことあるんやんな。投げるの」

「キスなら何度か」

「ほな。投げられるな。眼鏡かけとこ」

「割れてるのに」

「被害者に見えるやろ?」

「かけてなくても被害者じゃん。てか折れたんじゃないの?」

「爪楊枝と釣り糸で応急処置した」

「器用ね」

「釣りでも何があるかわからんからな」

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