第10話 最悪な日 夜 

 「檸檬れもん。どこに行ってたの」


 うわ。しまった。

 私が家に、いないことが見つかったんだ。


 玄関の戸を開けた、とたんに、お母さんは腰に手をあてて、私にはげしくおこった。

 私は玄関の前で立ちつくす。


 すでに日暮ひぐれ。ガーデンローズで、いつまでも、私がぐずぐず泣いていたから、家に帰って来るのが、すっかり遅くなっちゃった。


「お母さん、なんて言った。今日は宿題しゅくだいをしなさいって、言ったよね」


 うわ。やば。

 私は地面を見た。

 だって仕方しかたないじゃん。でも、言えない。


「それと、美智子みちこちゃんの所に遊びに行ってたって言うのは、檸檬れもんうそでしょう。お母さん、さっき、お家にうかがったんだから、そしたら、ずっと来てないって、聞いたわよ」

「……」


 私はズボンのすそを、ぎゅってした。

 大樹たいきをお祖母ばあちゃんに、あずけて、お父さんまで玄関まで、でてきた。


 なんで、こんな日にかぎって、お仕事が早く終わっちゃうの。


檸檬れもんはしのしたの、おじちゃんが、檸檬れもんを見かけたって言ってたけど、赤いはしを渡ったのか。あそこは渡っちゃダメって、お父さんも言っただろう」


 私は灰色はいいろのコンクリートをひたすら、じっと、見つめた。

 どうしよう。ばれちゃった。

 

 どうしたらいいかわからなくて、私はくちびるをムッとんだ。


だまってたら、わからないでしょう」


 両親二人から責められて、だんだん目頭めがしらが熱くなってきた。


「うわああん」


 大樹が、いきなり大声で泣き出した。

 おとなりさんまで、聞こえるほどの大きさで、私は耳をふさぎたくなった。

 

 なにさ。泣きたいのはこっちのほうだよ。

 それに、お父さんも、お母さんも、泣きだした大樹たいき心配しんぱいなのか、家のなかを、ちらちらと横目よこめで、気がそっちのけ。


 なんだか、カチンときた。

 だって、なんで私だけ怒られるの。おかしいよね。


 さっきまでは悪いなって思ってたけど、頭にきた。

 だってそうじゃん。


約束やくそくなら、お父さんだって、やぶったじゃんか。キャンプにれてってくれるって、約束やくそくしてたのに。それに、川でりを教えてくれるって、言ったよね。あと、あと、き肉をしようって言ったじゃんか。約束やくそくをやぶったの、お父さんだってじゃんか。それなのに、なんで私だけ、怒られないといけないの」


「それは仕方がないでしょう。お父さんは、お仕事なの。これとそれでは、話がちがう」


 お母さんは、そう言うけど、なにが違うの。

 大人おとな約束やくそくを、やぶってもいいけど、子供はダメってこと?


 お父さんは、もうしわけなさそうに、私を見てたけど、お母さんはまゆをつり上げている。


 そんなのずるいじゃんか。

 ますます、腹が立ってきた。

 それなのに、お母さんは私の頭が、噴火ふんかするようなこと言ってきた。


「お母さんも、お父さんも、大樹たいきのお世話せわをしないといけないの。檸檬れもんは、お姉ちゃんでしょう」


 お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃんって!


「好きで、お姉ちゃんになったんじゃないもん。それに、お母さんもお父さんも、大樹のことばかりで、私の話、まともに聞いてくれないじゃんか」

檸檬れもん!」


 なによ。怒鳴ればいいってこと。

 お母さんのお顔が鬼のように赤くなってるけど、私も同じ様に、真っ赤になる。


 お母さんは私を責めてばかり、お父さんは黙り。

 私はムカついて、ぷるぷると体がるえた。


 私なんて、どうでもいいんだ。

 だから、お母さんもお父さんも、こんなに怒るんだ。

 私は、目もとを赤くしたまま。キッとにらんだ。


「どうせ、大樹たいきだけが、かわいいんでしょう」

「そんなことあるわけないでしょう」


「あるよ。だってお母さん、この前の小テストで、私、苦手にがてな数学、80点取ったのに、ほめてもくれなかったじゃん。それに、お祖母ばあちゃんの家に来てからも、毎日、お仏壇ぶつだん掃除そうじしたり、お花をそなえたりして、お手伝いしたのに、お母さんも、お父さんも、お祖母ばあちゃんだって、大樹たいきのことばかりで、全然ぜんぜん、私のこと見てもくれなかったじゃんか」


「そんなことないわよ」

「あるよ。大樹たいきがいるから、お母さんも、お父さんも、お祖母ばあちゃんも、私のこと、相手にしてくれない」


 どっかん。どっかん。

 私の頭は大噴火だいふんかした。


 どろどろとした、真っ黒な感情が、もうおさえられない。

 ジョバーと流れるプールのように、次から次へと、我慢がまんしていた言葉がでた。


 もう、嫌だ。

 私の目から、ポロポロと大粒おおつぶなみだが、あふれる。


「どうせ、私なんて、いらないんでしょう」

馬鹿ばかなことを、言うんじゃありません」


 うっきー!

 私は、だんだん、と足で何度も地面をんづけた。


「お母さんも、お父さんも、大嫌い。みんな大嫌い」


 私は大きな声で叫んだ。とたんに、大樹の泣き声がさらに大きくなった。

 イライラする。


「大樹なんて、いなくなっちゃえば、いいんだ」

檸檬れもん


 つい、言葉がでちゃった。それなのに、お母さんは私が悪いというように私の名前を呼んだ。


「いい加減かげんにしなさい」


 そこに、怒った顔で、お父さんも怒鳴どなりつけてきた。

 私はびくりとした。

 だって、普段ふだん、こんなにお父さんが、怒ったことないもん。


檸檬れもん。今、自分がなにを言ったか、わかるか」

「うっ……」

(お父さんが、怒った)


 私はつらくって、悲しくって、しばらく立ちつくしたあと、わっと泣いて、玄関の扉を、ピシャリといきおいよくあけて、走って家を飛び出した。


檸檬れもん!」


 お母さんが、いかけようとしているみたいだったけど、お父さんが「ほっときなさい」と止めた。


 もう嫌だ。

 いかけても来ない。

 私の心はズキズキと痛んだ。

 やっぱり、私なんていらないんだ。


「ううううう」


 目の前が、ぼやけるほどに、涙が止まらなかった。

 無我夢中むがむちゅうで走って、走って、私は気が付けば、椿君のいるカフェへと向かっていた。


 でもカフェは、すでに真っ暗だった。

 暗いよう。ううう。椿君。


 私はカフェの裏手に回った。

 もしかしたらこっちにいるかもしれないと思ったから。


 どうしよう。行くところが無いよう。

 そう思うと、また、涙がぼたぼたとあふれた。

 裏手は、最初に見かけた洋館ようかんだった。

 きっと、こっちに住んでるんだよね。


「椿君いるかな」


 私は不安になり、ぶ厚い扉の前で、立ち止まった。そして、ひかえめにインターホンを鳴らす。


 ピンポーン。


「どちら」


 少しねむそうな、椿君の声が、インターホンからした。


「……檸檬れもんだよ」


 私はしょぼくれた声をあげると、がちゃりと椿君がとびらを開けた。


「どうした。わすれ物でも……」


 私は、何も考えずに椿君にきついた。

 いきおいづいて、椿君がよろってしたけど、なにも聞かずに、私が泣き止むまで、ぎゅってしてくれた。


「ふわぁあああん」


 もう、お母さんとお父さんの所には、帰れないよ。

 私は、わんわん泣いた。

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