第11話 日本一を望む旅烏 その三

「凄〜い。見て見て隼人。富士山を遮るものが何も無いよ」


 近年完成したばかり。アウトレットの二つの地区を繋ぐ、富士山の全景を目の当たりに出来る橋の前でつばめは、心底楽しそうに言った。


 昨日は雲でほとんど姿が見えなかった富士山だが、一夜明けた今日は、雲一つ無い青空の下にあった。


 昨日の夕食の席で三人は、今日の大まかなスケジュールを立てていた。

 昴大の強い要望で、今日一日は御殿場市内とその周辺で過ごす事になった。今日を休日に定めていたので、隼人とつばめも異論はなかった。


 最初は日本でも屈指の店舗数を誇る御殿場のアウトレットモールを訪れ、買い物を楽しみながら昼食をここで済ませる。


 その後で、これも昴大の提案で、御殿場市内のカラオケボックスに行き、一体誰のものなのか? 主役が不明の歓迎会をしようという事になった。

 隼人がそれを昴大に問うと、細かい事は気にするなとの返答が返って来た。


 そして今日の宿泊はホテルでなくテント泊。富士山麓のキャンプ場で、バーベキューをするという計画を組んだ。


 テント泊については、隼人とつばめの発案だった。

 最近はホテルや旅館での宿泊ばかり。

 ベッドなどが用意されている分、楽だし快適ではあるが、自然を肌で感じながら寝泊まりするのも二人は好きだった。


 隼人は元よりアウトドア派。

 つばめは駆け落ちの放浪旅に出て以降、大自然の中でまったりと過ごす、キャンプの魅力にどっぷりと嵌った。

 何なら毎日テント泊でも良いよ。そう言っていた時期もあったくらいだ。


『俺も出来るならそうしたいが、事故は絶対に起こせない。疲労回復の為には、快適で適度な睡眠は必要不可欠。それがひいては事故防止に繋がるんだ』


 それについては、隼人が明確な根拠を持って拒否をした。


 事故を防ぐ為には、きちんとした睡眠は欠かせない。

 隼人の説明につばめも納得した上で、テント泊は一週間に二回までと取り決められている。


 今日はそのテント泊をする日だ。

 朝から上機嫌なつばめと早めの朝食を済ませ、部屋でまったりとしつつ、アウトレットモールの開店時間に合わせてホテルを出発した。ちに


 バイクに積める量は当然、アパートの一室にすら遠く及ばない。

 服や装飾品に目移りする年代のつばめだが、ライダースーツ以外の個人の服はせいぜい一着か二着しか買えない。


 それならとつばめは、今の万年旅生活を始めるにあたって、服飾品への物欲を捨て去っている。


 キャンプの時に使う食材や、バーナーの替えのボンベなど。これが無かったら何も出来ない。生活に必要不可欠な物を収納するのが優先となってしまう。

 金よりも空間を節約する。そんな生活を二人は一年以上も続けている。

 今ではもう慣れてしまった。


 すぐに無くなりそうな消耗品は無いし、季節は食材が傷みやすい夏の初め。

 夕飯の食材は、キャンプ場に向かう途中にあるスーパーで買う予定だ。なので、平日で空いている敷地内を三人は、特に目当ての品や店もなく散策していた。


 ウィンドウショッピングとはいえ、それでもつばめは嬉々としている。

 旅以前の生活では、必要な物は言えば、全て使用人が買って来たという。


 買えはしないものの、自分で足を運び、自分の目で品物を見られる事が楽しくて仕方がないのだろう。


 隼人と出会ってから一、二を争うくらい楽しかったよ。

 以前遊園地デートした際、その時と変わらない表情をつばめはしていた。

 遊びや自由な買い物など。

 今まで家に取り上げられてきた事を全力で謳歌している。


 そんな妻を見る隼人の心中は、喜び。怒り。悲しみ。渦潮のように様々な感情が入り混じっていた。


 夫の複雑な内面を知ってか知らずか。

 三人の先頭を行くつばめが、両腕を横に伸ばす動作とその表情からは、純粋な感銘が伝わって来る。


「本当だな。まさに絶景だ」


 今はごちゃごちゃ考えず、つばめと一緒に楽しむ事を第一に考えよう。

 隼人は過熱気味の思考を切り替えた。


「確かに。俺も御殿場周辺はめったに来ないからな。こりゃ凄い」

「え?……確かこの近くに有名なレース場がありましたよね。昴大さんはそこでレースをした事がないんですか?」


「ああいや……富士のサーキットは確かに有名だが、バイクのレースはあまり行われないんだ。バイクの場合はやっぱり八耐が行われる鈴鹿だな。後は関東なら筑波とかになる」


「そうなんですね」

「……先輩の言う通り、富士は四輪のレース向きのコースレイアウトをしている。長い直線と高速カーブ。これらは四輪より不安定なバイクのレースに向かないんだ」


「そうだったんだ。レース場と一口に言っても色々あるんだね。私、バイクに興味あるけど、レースは全然知らないから」


 感心する一方でつばめは、納得がいった時の半ば放心したような顔を見せた。


「……考えてみたら、高速で曲がるのはバイクじゃ凄く危ないもんね。風の影響も受けやすいし」

「そう言えば」


 思い出した様に昴大は声を上げた。


「二人のチャンネルは、バイク走行している時の動画も公開しているんだな。昨日の夜、少し見たぜ」

「え! 昴大さん。渡り鳥チャンネルを登録してくれたんですね?」


 納得顔から一転。

 一瞬でつばめは、一輪花が咲いたような華やいだ笑顔を再び見せた。

 花瓶に水を注げば、生けた花も満たされるように。

 連動して、つばめの喜ぶ顔を見たい隼人の心も充足する。


「昨日の夜、隼人に教えてもらってな。もちろんつばめちゃんが解説している動画も見たぜ。いいねも送っておいた。僅かだけど、投げ銭もな」


「わぁ! ありがとうございます!」

「二人の結婚の、俺からのご祝儀だと思ってくれ」

「ありがとうございます。先輩」


 隼人とつばめは婚姻届を役所に提出しただけで、結婚式は行っていない。


 物だろうと金銭だろうと。

 何かの祝いの品を贈ってくれるのはやはり心が温かくなるものだ。

 父親の直也からのご祝儀が最初で、昴大が二回目というのは寂しくもあるが、そこは二人で考えて選んだ道だ。


 思い通りにならなかったといって、不貞腐れるつもりはない。

 昴大からのご祝儀に隼人は、素直に感謝の言葉を口にした。


「俺からもありがとうございます。後で確認しておきますね」

「……でも、凄いよなつばめちゃんは」

「? 何がですか?」


「最初の動画から見たけど、直接見ないとはいえ、大勢の人に見られるとは思えないくらい堂々としていたからさ」

「さ、最初の動画を見たんですか? あうう……」


 赤面して俯く。

 急につばめは、いたたまれなくなった気持ちを顔で示した。

 さっきから感情の起伏が激し過ぎる。

 内心で隼人は零した。


「どうした? つばめちゃん」

「大丈夫ですよ。先輩」


 何かの地雷を踏んだのだろうか?

 不安気に声がけする昴大に、隼人がフォローの言葉を口にする。


「つばめは最初の頃の動画が、今より未熟だと思っているんですよ。それが恥ずかしいだけですから」


「なるほど。……俺は配信者の事はほとんど分からないけど、広告とかで稼いでいる事くらいは分かる。単に未熟で恥ずかしいという理由だけで動画は消せないだろうしな。……でも大丈夫だぜ。つばめちゃん」


 安心させようという想いで昴大は、つばめに声を掛ける。


「初回と一番新しい動画の両方を見たんだけど、そこまで恥ずかしがるほどの差は無いように見えたけどな……あ、そうだ」


 閃いたと言わんばかりに昴大は、右手の人差し指を立てる。

 隼人は昴大の頭の上に、光る電球が見えた気がした。


「前から気になっていた疑問があるんだけど、つばめちゃんに聞きたいな」

「は、はい。私に答えられる事なら」

「何で御殿場は御殿場って言うんだ? せっかく富士山が目の前にあるんだぜ。富士や富士宮みたいにすればいいのにって、ずっと思っててさ」


 急な切り替えだが、強引さを感じさせない口調で昴大は、一瞬だけ富士山に目を向けつつ問うた。

 つばめの得意分野に話を振る事で、気恥ずかしさを薄める事が出来る。

 見事な心配りだと隼人は思った。


「確かに。言われてみれば何で? ってなりますね」


 隼人も昴大の疑問に相乗りする。

 御殿場を含めた、富士山周辺の市町村では、車のナンバープレートの地名が富士山になっているのは有名な話だ。

 富士山の麓にあるのだから、それに由来する名前を冠していてもおかしくない筈なのに。


 つばめが過去動画の解説を未熟だと思っている事を、昨日出会ったばかりの昴大が知っている筈がないし、隼人かつばめがその事を話した覚えも無い。


 とっさの判断なのだろうが、もしかすると昴大には、客商売の才能があるのではないか?

 隼人はふとそう思った。


 思い返せば昴大は、俺が先輩だと言わんばかりの、偉ぶった態度を取ることは一切無かった。

 先輩後輩を問わず、昔から気遣いが出来る男だった事を隼人は思い出す。


「は、はい。それならお任せ下さい」


 心に溜まっていた恥ずかしいと思う感情が、自信という名の洗剤できれいに洗い流されていく。

 その過程の一部始終が、つばめの顔を画面にして映し出されていた。


(流石です先輩!)


 心中で握った拳の親指を立てつつ、隼人は昴大に感謝の念を送信する。

 こほんと、軽く咳払いしてからつばめは口を開いた。


「幾つかの説があるようですけど、私は徳川家康公の御殿をこの地に造る計画があったから。この説を信じています」

「なるほど。家康の御殿から御殿場か」

「そういう事か」


 富士山に由来する地名がこの地域に多い中、あえて富士山と関係が無い市名にする事で差別化を図る。

この点において、一つの正解だなと隼人は、ごく自然に納得した。


「流石のつばめちゃんだよな。急な質問だったというのに、何も見ないで答えられるなんて」

「そ、それは……好きこそものの上手なれですから。私は今のこの生活が大好きだから。守りたいから上手くやれているんだと思います」


 昴大の賛辞につばめは、謙遜を交えつつ面映そうに言った。


「……どこかでお茶にしませんか?」


 話を変えたい。そう思っていそうな妻の様子を見ていた隼人が、二人の顔を見ながら提案する。


「うん賛成。富士山を間近に眺めながらお茶するのも、ここでしか出来ないもんね」

「じゃあ、テラス席がある店にするか」


 隼人の言葉につばめと昴大は、異を唱える事なく乗ってきた。


「少し休んだ後で、開店と同時に昼メシにしましょう」


 この後の予定は、昴大たっての希望でカラオケに行き。夕食の買い物を済ませてから、今日泊まるキャンプ場に移動。午後五時までに到着して手続きをしなければならない。


 キャンプ場のチェックイン終了時間はどこも早い。

 大抵のキャンプ場は山の中にある。

 暗い中での移動は、野生動物との交通事故になる可能性がある事。

明るい内に到着し、散策やのんびりするなど。心ゆくまでキャンプを楽しんでもらいたいなどの理由があるからだ。


 テントが風で飛んでいかないようにする為の金具をペグと言うが、それを地面に打ち込む為にはハンマーか、大きめの石が必要となる。


 暗い中で行えば、怪我をする可能性もある作業だ。キャンプ場を管理する立場として、利用客に怪我してほしくないのも当然あるだろう。


 その為にも昼食は、早めに済ませる必要がある。

 三人はその後、出来るだけ手短にお茶や食事を済ませ、アウトレットを離れたのだった。

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