第5話 逃避行
――それから、無事に城を脱した僕たちは。
城の者に気づかれる前に、できるだけ距離を稼ごうと。立ち並ぶ家々の間を縫って、こっそりと進む。
時刻はまだ昼過ぎ。あたりは明るいし、姿を露見させずに移動するには、森を行くエルフの数も多く不都合すぎる。
けれど、逃げなければ捕まって処刑されてしまうというのだから、泣き言を言っている暇などなかった。
森の中ということで、木々はたくさん生えており、見晴らしが悪いのがまだ救いかもしれない。
そう自らを慰めながら、一本の大きな木――森に住むエルフの住居の裏を通っていると、横のディから手が伸び制止される。
「人が出てきたのじゃ。静かに……」
息を潜め……その間に何やら会話しながら去っていったエルフたちを見送り、僕たちはほっと息を吐く。
またディの先導で歩みを再会させながら、僕はたずねた。
「今のって……なんでバレなかったの? エルフは近くの同族を感じ取れるんでしょ?」
「……感じるといっても、本当に漠然と近くにいるのが分かる程度じゃ。具体的な場所や、それが誰なのか分かるような者はほんとうに一握り――それこそ、吾のようなハイエルフと、特に優秀なエルフくらいかの」
なるほど……。ハイエルフが普通のエルフより優れているというのは知っていたけれど、魔力量以外にもいろいろ強みがあるんだ。
普段のディならここで「つまり吾はすごいということじゃ」などと言って自慢げに笑みを見せたろうけれど。この状況ではそんなこともせず、ディはただ黙々と周囲の気配を探って、僕に合図を出しながら進む。
……どうも調子が狂う。ディの態度の理由が周りを警戒しているからだったらいいけど、やっぱりまだ、僕が人間だったことを気にしてたりして……。
そりゃ僕だって、自分がエルフならどんなに良かったか、と。僕は小さくため息を吐いた。
そうしたらディに落胆されることも、他のみんなにあんな目で見られることも……そもそも、こうして逃亡者になることもなかった。
はあ。悲しい……。
ひとりで地味にダメージを受けながら、それでもディの厚意を無駄にしないため、僕は足を動かし続ける。
そうして、慎重に、少しずつ森の中心から離れていくことしばらく。
とうとう家屋――といっても外見は窓がついた木――が密集する地区を抜けた僕たちは、加速度的に城から遠ざかる速度をあげていく。
人目が少なくなったのなら、もう魔法だって使える。ふたりして身体強化で森を駆け抜けたり、誰にも見られる心配がないとこまで行けば、飛行魔法で空を飛んだり。
そうしているうちに、森のどこからでも見える世界樹はみるみる遠くなっていった。森の様相も、エルフに手入れされたきれいなものではなく、自然のままの姿をさらすようになる。
まだ進む先には何重も感知結界が張られているそうだけど、ここまで来ればひとまずは安心かな?
そんな風に思ったのだけれど。ディ曰く――。
「――安心なものか。きっとおぬしを追ってくるのは森の衛兵。子どもすら意のままに魔法を扱うエルフのなかで、森を守る任につくことができる精鋭たちじゃ。それに、彼らはこの広大な森を己の庭のように知り尽くしておる」
そう、ぼくの短慮を嗜めるように言われる。ディに言わせると、森を抜けるまではまだまだ安心などできないのだそう。
けれど、このままでは今日中に森を抜けることはできず、じきに日が暮れる。暗闇では移動速度ががくっと落ちるし、魔物にだって対処しづらい。
だから今日は、ひとまず森の外縁部まで行ったら、昔人間が作ったという打ち捨てられた小屋で一夜を過ごすと、そういう予定らしかった。
ディの語る脱出作戦に文句をつけるはずもなく、僕らはそれから、ひたすら森の外に向かって飛んだ。
立ち並ぶ木々の隙間を縫って、ときおり言葉を交わしながら、ただ宙を駆ける。
さすがに少し緊張感が途切れてしまった僕は、何とはなしに、僕と並んで飛ぶディに視線を向けた。
外見だけだと僕より歳下に見える華奢な身体に、風にたなびく白金の髪。そして彼女の全身には、魔力を孕んだ風がまとわりつき、渦を巻いている。
僕とは違う方法で空を飛んでいる。城の中で使った魔法と同じだろうか。
魔法で空を飛ぶなら、きっとエルフの中ではあっちが普通のやり方なんだろうね。今度頼んだら教えてもらえないかな……。
そんなことを考えていた僕は。
けれど、その時はっとした。
――今度って、いったいいつだ、と。
これから僕は青き息吹の森から逃れて、たぶんそう簡単には戻ってこられなくなる。
人間社会に戻ってもエルフは助けるつもりだから、あわよくばまた森に受け入れられないかななんて期待を持っているけれど、そんなのいったいいつになることか。
つまり僕は……ここを脱したら、もうディに再会できる保証なんてないんだ。
そんな現実味がある考えが頭を過ぎると、どうも後のことが次々気になってきて……。言いたいことは今のうちに言っておかなきゃと、そう思ったのだ。
だから僕は、並んで飛行するディへと。
なんでもない風に、声をかけた。
「――ディは、さ」
「ん……?」
「この後……僕を見送ったらさ。一度、お母さんと腹を割って話してみたら?」
「……なぜじゃ」
静かに理由を問うディに、僕は言葉を返した。
「だってさあ。きっと、どっちかが歩み寄れば、良い方向に物事が動くのってよくあると思うんだ。たしかに僕は部外者だし、ディの気持ちも女王陛下の気持ちも、わからなことだらけだけど」
けれど。
僕は、嫌なのだ。
僕がいなくなったあとも、この心優しい少女が周りから誤解されたままで。
血のつながった母ともすれ違ったまま――。
一度、僕がいないところで、他のエルフと話すディを見たことがある。
周囲に畏まられ、恐れられ――たしかに王族として自然なあり方なのかもしれないけれど。
それでもディは、あの意地悪な笑みがいやに堂に入った、けれど思いやりがあって優しい女の子なんだと。
そう、みんなに知って欲しい。
僕のいない森でひとりぼっちのディなんて――想像したくなかった。
だから。僕は少しでもディに前向きになってほしくて、そんなことを言ったのだけれど。
隣を飛ぶディから返答はない。少し俯き気味に、こちらに視線も向けずに宙を滑る。
知った風な口を聞いて怒らせちゃったかな、と。少し心配になって、ディのことを覗き込んだ、その時だった。
――ディの様子が、どこかおかしい。
彼女は荒い呼吸を繰り返し、明らかに正常な状態じゃない。顔色は蒼白で目も虚ろ……よくこれで木にぶつからず飛べると感心するほど。
僕に言葉を返さなかったのは、意図して無視したのではなく、そもそも聞こえてなかった――?
僕はとっさに、ディの体で吹き荒れる風に手を突っ込み、その肩に触れた。
「ディ! すごい顔色だよ……! 体調が悪いなら、一度降りて休憩しよう!」
そう提案すると、少し飛行速度が落ち、僕へ向けられるディの両目。その綺麗な瞳に僕の顔が映り込んだ瞬間、ディはいま気づいたとばかりにかすかに目を大きくし――
――にこり、と。
安心したように、ふにゃりと笑うディ。
そして。ゆっくり彼女がまとう風がほどけていき、速度はどんどん落ち、やがて――
「ディ!」
完全に力を無くして落下するディは、抱き止めた僕の腕の中でぐったりと目を閉じていた。
―――
次話、ディの独白回です。
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