第4話 脱獄
脱獄。
その言葉を聞いても、僕は案外冷静だった。だって、そもそも言われなくたって逃げるつもりだったのだ。
だから、意外だったのは。その台詞を、ディから言われたこと。
僕は少しだけ眉をひそめ、ディに問いかける。
「……逃がしてくれるのはありがたいけど。そんなことして、ディの立場とか大丈夫? 前にお母さん――女王陛下とのことで悩んでたし、仲に亀裂が入るようなことはしないほうが……」
気を遣った僕の言葉を聞いて、ディの顔に怒りの色が浮かぶ。
「じゃったら、おぬしが処刑されるのを吾に黙って見ていろと? ……吾らは友だちだと、そう言ったのはおぬしじゃろう……!」
「でも……」
「――吾を舐めるなよ! 母上との関係にひびを入れるか、大切な者を一生失うか……どちらを取るべきかなど明白じゃ――!」
貴種としての威厳ある表情や語気と裏腹に、その言葉には僕への思いやりがあふれていた。
昨日はあんなに恨めし気に僕を見ていたのに。今のディは、まるで覚悟を決めたというようにまっすぐだった。
僕は、そんなディの思いに胸を打たれる。
この森ではなにか、とっつきづらい王女サマだとか思われてるらしいけど……。でも、ディほど情に厚い子はめったにいないよ。
感動している僕に、ディはすこし焦ったように言う。
「わかったら……さっさとここを出るのじゃ。いつ処刑官がアインを連れにくるのか、吾にもわからん」
そうして。ディは牢の格子に手を当てると、なにやら魔力を送り込む。
ここの根っこって、魔力を吸っちゃうんだよね? これになんの意味が……。
そう不思議に思って見ていると、変化は唐突に訪れた。
先ほどから薄ぼんやり光っていた世界樹の根が、にわかに強い光を出す。そして、めきめきという音とともに格子がひとりでに動き、人が通れる隙間ができる。
驚く僕に、ディは言った。
「これは世界樹の一部じゃからの。ハイエルフは世界樹とともに生きる種族――であれば、その一部を自由に操ることなど造作もない」
なるほど……。昨日近衛兵たちにここへ叩き込まれたときは、ふつうの牢屋みたいに格子を下げて、鍵で錠をされていたけれど。王族なら、こんなこともできるんだ。
感心している僕に、ディは「ゆっくりしている時間はないのじゃぞ」と、すこし怒ったように言う。
「ごめん。すぐに行くよ」
そうして、ディが作ってくれた穴から牢を出た僕は、ディについてこの地下室から脱する。周囲に人がいないか警戒するディに先導され、長く続く木の廊下を進み出した。
それから。
僕たちは、樹をベースにしているが故の、グネグネと曲がりくねった道を行く。
出来るだけ住みやすいよう、一部は加工されているけれど、ありのままの自然を利用するというエルフの思想上、この城はどうしても構造が複雑なのだという。
僕たちは何度も曲がり角が現れるたび立ち止まり、周囲をうかがい、行ったり戻ったりを繰り返して進むことしばらく。
なかなか進まない脱出に、思わず僕は口を開く。
「いまは緊急時だし……さっきみたいに世界樹を操作して、外への一本道を作るのとかはダメなの?」
ただでさえ複雑に入り組んでいるのだ。巡回する衛兵などを避け、効率の悪い道順をたどるくらいならと。その程度の問いだったが、同じことをディが考えていないはずもなかった。
彼女は肩越しに僕をちらりと見る。
「あまり大規模に樹を動かすと母上にバレる。それに、この城には至る所に結界が張られておる。通過する者の魂を感知するこの結界は、不安定なところで穴を作ってやらぬと、アインが通った瞬間に警報やら迎撃用の魔法が発動するのじゃ」
「魂の感知……」
ディの言葉に、苦い記憶がよみがえる。昨日の広場で女王に言われた『転魂の儀』とやら。これも魂が関連する魔法だったし、エルフは魂とか精神とか、そういうところに造詣が深い種族なのだろう。
確かに僕はそんなものを扱う魔法を全く知らないし、ディがいなければ突破はできない。ひとりで脱獄していたとしても、すぐに見つかって大変なことになってたんだね……。
あと、エルフ――ハイエルフはとくに、近くの同族の気配をなんとなく察することができるらしいし、これも城からの脱走で大いに役立つ。
僕は改めてディに感謝の思いを抱きながら、ゆっくりと、けれど確実に城の外への道を進んでいく。
そんな道程が、しばらく何事もなく続いたからだろうか。
徐々に緊張感も解けてしまった僕は、途中でふと。ある疑問が、口を突いて出た。
「――そもそも、僕ってなんでみんなにエルフだと思われてたの?」
黙って前を行っていたディは、緊張感ないのかと言わんばかりに呆れた目を僕に向ける。
……いやあ。なんだか単調な道程だと、いろいろ考えちゃって。
けれど、さすがはディ。ツンツンしている上位者としての振る舞いとは裏腹に、ため息を吐いて親切に答えを返してくれた。
「おぬしのその魔力と、魔法の腕。あとは……その耳、じゃな」
ふむ? 首を傾げる僕に、ディは続ける。
「まず魔力じゃが、さすがに自覚はあるじゃろう。人間ではありえんほどの量じゃ。ハイエルフである吾とほとんど差がない」
「あ~。なんかずっと修行してたら増えてたね……」
「修行して増えたとかいう量じゃないんじゃが。種族の限界を超えておるのではないか? ……まあよい。あとは魔法の使い方……これも人間より吾らエルフに近い」
魔法の使い方? どういうことかと続きを待つと。
「魔法を使う時、エルフは人間のようにごちゃごちゃと余計なことをせん。術式やら呪文やら……そういうもんを使うんじゃろう? 人間は。それをアインはやっておらんかったからの」
ああ、そういうことね。
なるほどと腑に落ちた僕は、人間社会でも手に入った数少ないエルフ知識を思い出し、反復する。
「――エルフは、人間より非物質的な要素が強い種族である。それこそ、精霊に近い種なのかもしれない。なので」
なので、エルフは魔法を使うとき――
「――技術を必要としない。ただ、斯く在れと願う」
そんな、かつて読んだ本の一節を。ディは、首肯する。
「おおむね、間違ってはおらん。わざわざ複雑に魔力を動かしたり、理論をこねくり回さずとも、願えば魔力が応えてくれる」
……それは、なんと自由なことだろう。
エルフに憧れ、必死こいて魔法理論を学んだ僕は、きっとエルフからすると首を傾げる行いをしていたことだろう。だってディたちの常識からすれば、それは魔法を使う上で意味のないことなのだから。
つくづく、エルフとは神に愛された種族だ。
けれど……エルフではない人間の僕は、魔法を使うためにその七面倒くさいことをしなくてはならなかった。
それは僕が憧れるエルフの魔法とは似ても似つかぬもので、せめて外から見た形だけでも似せようとした結果――。
「――ただ、人間の魔法のプロセスを、できるだけ高速にやってるだけなんだけどね……。ついでに、詠唱するのもやめちゃった」
「……吾らの魔法と、おなじ速度まで? そんな馬鹿な……」
ディは信じられないとばかりに、一瞬足を止め唖然とする。
……そんなおかしいことかな。教本で見た魔法の削れるとこを、可能な限り突き詰めてっただけだからな……。
僕は人間の魔法士なら多かれ少なかれ同じことをやってるんだと思ってた。ディの反応を見る限り……どうも僕がやってたことが非常識だったという可能性はあるけれど。
でも、僕の魔法がエルフと遜色ないって、それほんとにい……?
実は僕、エルフが戦闘でガチの魔法使ってるとこって見たことないんだよね。僕がエルフのみんなを助けるときは、たいてい人間側がエルフの魔法対策済みだし。
疑わしげに視線を向けるも、ディは追撃と言わんばかりに問いかけてくる。
「あとその耳……人間と違って尖っておるが。なんでなんじゃ」
「え、これ?」
僕は自分の耳に触れ、さわさわと指を動かす。たしかにディの言う通り、少しだけ先が尖っているけれど……。
「うーん……。なんでって言われても、なんでだろうね。昔からこうだよ。……いや、でもたしか、エルフみたいになるための魔法修行前は、こうじゃなかった気もするけど」
「……魔力が、アインの意思を受け身体に影響を及ぼしたのか? もしや、その魔力量や、エルフに近い魔力の質も。……じゃが、しかし……」
何やらぶつぶつと呟くディ。またエルフ知識でいろいろ考察しているんだろうか。
けれど……いま、こっそり城を抜け出そうというこのときに、ディの意識が散漫になるのはちょっとこわい。
結界を潜り抜けたり、同族の気配を探知したりというのは、ディにしかできないことだから……って――
「あっ」
「え」
「ん? なんじゃ……」
廊下に響く声は……三人分。
すなわち、僕とディともうひとり――前方にいる、女給のエルフさん。
彼女は僕の顔を見て口をぽかんとあけ、次にディ、そしてまたぼくと視線を行き来させる。
……メイド服、かわいい。ていうかこの子、ちょっと前に僕が奴隷商から取り返した子だ。あのあと僕、指名手配されちゃったんだよなあ。
……なんてことを、現実逃避気味に思っていると。
――渦巻く風をまとったディが、一瞬で女給エルフさんとの距離を詰める。そして、驚く彼女に一言。
「誰にも言うな。――陛下にもじゃ」
僕の位置からディの顔は見えない。けれど、女給さんがディを見る顔なら見えた。
その表情からは、まるで飢えた魔物を目前にしたような強い恐れを感じ取れた。
いったいディはどんな顔を、と慄いていると。
唐突に。女給さんの視線が、ディから僕へ。
その目には、どこか僕を責めるような色がありつつも、しかし敵意なんてものは一欠片もない。
女給さんは、その震える口を開く。
「言ったりなんか、しません。アインさんは…………こんなところで、死んでいい人じゃありませんから」
「……」
ディはその言葉の真偽を確かめるように、沈黙をもって返す。けれど、僕にはとても彼女が嘘を言っているようには見えなかった。
そして、ディと視線を合わせていた女給さんは、唐突にその目を僕に向ける。
「その代わり」
――そして、僕へと言った。
「またいつか。……会いに、来てください」
その、真摯な思い。
いつ、どこで、どうやって会うのか。そんな問いは無粋だと、僕にも分かる。
ただ、僕たちはこれっきりじゃないと、いつか再会すると、そう約束を交わすことにこそ意味があった。
だから。
僕は、ディの背中越しに返した。「ぜったいに」と。
そのとき――いったいディが、どんな表情をしていたのか。どんな気持ちだったのか。そんなことも知らずに。
僕はただ、そのとき思ったことを、馬鹿みたいに口にしただけだった……。
そうして、そのあとあっさり道を譲ってくれた女給さんと別れて。
これまで以上に慎重に、ひっそりと歩みを進めた僕たちは。
――とうとう、誰にも見咎められず、世界樹から脱することに成功した。
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