【幕間】「書けないまま、走行中」

 とあるアウトローの手記より


 書かなくなったら、死ぬんだよ。生きるためではなく、死なないために書く。




 角田が夜道をだらだらと運転してる。車内には、エアコンの風と、焦げたタバコの臭いしかない。


 助手席には、湿った灰皿とココア味の空き缶。洞内は、ぐったりと寄りかかり、角田の運転を拒否もせず、信頼もしていない目で見ている。


 しばらく、沈黙。


 角田が、急に語り出す。まるでラジオのDJのように、感傷と毒の入り混じった語り口で。


「お前さ、いつから生きるのが上手くなりたいなんて思った?」


 洞内は応えない。タバコの火が、ミラーに明滅する。


 角田は続けた。


「俺はな、十年以上前に歩くのをやめた。理由なんざ、もう忘れた。けど、やめなかった。やめられなかった。だから、今もこうして、意味もなく車を転がしてる」


 ライトが街灯を舐めていく。舗装の継ぎ目が、リズムを刻む。


「昔さ、誰に頼まれたわけでもねぇのに、小説書いてたんだよ。変な名前のサイトだった。星がどうとか、ランキングがどうとか……クソみてぇな世界」


 苦笑しながら、窓の外に煙を吐く。


「あの頃、評価されなきゃ死ぬと思ってた。でも評価されても、次の朝にはまた死にたくなるんだよ。


 結局、誰が生きてたのかもわかんなくなって、気づいたら全部消してた。作品も、俺も」


 甘党のヤクザは、そう笑う。


「文字にしがみついてんのが、生きてんのか死んでんのか、もうわかんなくなってきたんだよ。なんつーか……文章の中に、自分の死体が増えてくみてぇな感覚な」


 小石を踏んで、タイヤが跳ねる。


「ある日気づいたんだよ。歩いてるんじゃなくて、ただ道路の継ぎ目に足が引っかかって、前に倒れてるだけだったってな」


 洞内は、わずかに目を開けた。角田は、見ない。


「なあ、洞内。お前も似たようなもんだろ。


 吠えて、殴って、血まみれになって、まだ何かに届くって思ってんだろ?」


 洞内は、黙っている。だが唇を、噛んだ。


 それが、言葉を殺したのか、笑いを止めたのか、それとも何もなかったのか。


 角田には、わからなかった。


「殺されるさ。真っ先に。……でも、あとに残るのも、だいたいそういうやつだ」


 タバコの火が消えた。角田は、新しい一本に火をつける。


 洞内の指が、灰皿の縁を何度もなぞっていた。


 それが、落ち着かなさか、無意識か、怒りかはわからない。ただ、何かが、ずっと答えを待っていた。


「たぶん、今も提出中なんだよ、俺はさ。誰も読んでねぇ、人生って原稿をな」


 しばらく、車内には何も音がなかった。ただ、エンジン音だけが「まだマシな方だろ」とでも言いたげに、だらだらと続く。


 洞内は、窓の外を見ながら、小さく吐き捨てた。


「……まだ、真っ白だよ。人生の原稿。どこに向かってんのかもわかんねぇ。


 でも、でも……何か書かなきゃ、誰にも、読まれねぇ」


 それが誰に向けたものかは、自分にもわからなかった。


「ちゃんと死ねよ。誰かの文章の中でな。……書かれずに消えるのが、いちばん哀しい」

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