第22話「覚醒の代償」



1


洸が目を覚ましたとき、世界の見え方が完全に変わっていた。


現実と夢の境界が消失し、すべてが数式やデータのように見える。人々の感情も、色とりどりのエネルギーパターンとして認識できた。


病院のベッドから起き上がると、看護師たちが驚いた表情を見せた。


「新田さん、3週間ぶりに意識が戻られて」看護師が駆け寄る。


しかし、洸には彼女の心配も、機械的な情報の一つとしてしか感じられなかった。


「ミナは?」洸が平坦な声で尋ねる。


「隣の病室に」看護師が案内しようとするが、洸は既に彼女の居場所を正確に把握していた。


ミナの病室に入ると、彼女も意識を取り戻していた。しかし、洸を見た瞬間、その表情に恐怖が浮かんだ。


「洸くん...?」ミナが戸惑いながら声をかける。


「ミナ。無事で良かった」洸が返答するが、その声には以前のような温かさがなかった。


ミナは直感的に理解した。目の前にいるのは洸の身体だが、中身は別人のようになっている。


「あなた、変わってしまったのね」ミナが悲しそうに言う。


「覚醒した」洸が答える。「夢と現実の両方で完全に自我を保つ能力を得た」


洸の説明によると、Dream Dwellerとの最終戦で、彼は人間の限界を超えた存在に進化したという。しかし、その代償として人間的な感情の大部分を失っていた。


「でも、それじゃあ」ミナが涙を流す。


「効率的だ」洸が冷静に答える。「感情は判断を狂わせる。今の俺なら、Dream Dwellerを完全に排除できる」





2


洸は病室の窓から街を見下ろした。


覚醒した洸の目には、街の人々の感情エネルギーが見えていた。そして、その中に潜むDream Dwellerの残滓も。


「まだ完全には消えていない」洸が分析する。


永眠ウイルスは消滅したが、Dream Dwellerの影響は人々の潜在意識に残っていた。いつでも復活できる状態だった。


「Dream Dwellerの弱点が分かった」洸がミナに説明する。


洸の分析によると、Dream Dwellerは人間の感情や記憶、特に夢を見る能力に寄生して存在している。完全に根絶するには、その根源を断つ必要がある。


「つまり、全人類から夢を見る能力を永久に奪えばいい」洸が恐ろしい結論を述べる。


ミナは愕然とした。


「そんなことしたら」


「人類は想像力、創造性、希望を失う」洸が冷静に答える。「しかし、Dream Dwellerも二度と復活できなくなる」


「そんなの人間じゃない」ミナが涙ながらに反対する。


「人間である必要があるのか?」洸が問い返す。「安全で合理的な存在の方が優れているのではないか?」


ミナは洸の変貌に恐怖した。確かに彼は強大な力を得たが、同時に人間らしさを失っていた。


「洸くん、お願い」ミナが懇願する。「元の洸くんに戻って」


「元に戻る?」洸が首をかしげる。「この状態の方が完璧だ」


洸は既に計画の実行に向けて動き始めていた。彼の覚醒した能力なら、世界規模での意識操作も可能だった。





3


その夜、洸の意識は夢の世界に向かった。


しかし、今度は一人ではなかった。現実世界の身体を維持したまま、夢の世界でも活動できるようになっていた。


夢の世界で洸が向かったのは、かつて Dream Dweller の神殿があった場所だった。そこは今、静寂に包まれているが、微かに邪悪なエネルギーが残っていた。


「やはり完全には消えていない」


洸が分析していると、背後から声がした。


「洸」


振り返ると、田口が立っていた。しかし、これは現実の田口ではなく、洸の記憶が作り出した幻影だった。


「何の用だ?」洸が無感情に問う。


「お前、おかしいぞ」田口が心配そうに言う。「いつものお前じゃない」


「いつもの俺?」洸が考える。「感情に振り回される愚かな人間のことか?」


「その愚かさがお前らしさだったんだよ」田口が答える。


次に現れたのはひかりだった。


「洸くん、ミナが泣いてるのよ」ひかりが訴える。


「彼女の涙に合理的理由はない」洸が答える。「俺は最適解を選択しただけだ」


「最適解?」ひかりが首を振る。「人間に最適解なんてない。みんな迷いながら生きてるのよ」


洸は幻影たちの言葉を聞いていたが、感情的に反応することはなかった。しかし、論理的な疑問は生じていた。


本当に夢を奪うことが最良の選択なのか?





4


洸の迷いを感じ取ったかのように、新たな幻影が現れた。


それは洸自身だった。しかし、覚醒前の、感情豊かだった頃の洸だった。


「俺は何のために戦ってきたんだ?」過去の洸が問う。


「Dream Dwellerを倒すためだ」現在の洸が答える。


「違う」過去の洸が首を振る。「ミナを救うためだ」


現在の洸は一瞬動揺した。確かに、すべてはミナを救うことから始まっていた。


「彼女を救うためなら、人類から夢を奪ってもいいのか?」過去の洸が追求する。


「それが最も確実な方法だ」現在の洸が答える。


「でも、夢のない世界で、ミナは幸せになれるのか?」


現在の洸は答えに詰まった。夢を奪われた人間は、確かに安全だが、同時に人間らしい喜びも失ってしまう。


「俺は...」現在の洸が初めて迷いを見せる。


その時、現実世界からミナの声が聞こえてきた。


「洸くん、お願い。戻ってきて」


ミナは病室で、眠っている洸の手を握って必死に呼びかけていた。


「あなたがいなくなったら、私はどうすればいいの?」


ミナの涙が洸の手に落ちた。その温かさが、洸の凍りついた心に微かな変化をもたらした。





5


夢の世界で、洸は葛藤していた。


論理的には、夢を奪う計画が最良の選択だった。しかし、過去の自分や友人たちの言葉が、その判断に疑問を投げかけていた。


「感情は判断を狂わせる」洸が自分に言い聞かせる。


しかし、同時に別の考えも浮かんだ。


感情がなければ、そもそも何かを守ろうとする動機も生まれないのではないか?


洸が Dream Dweller と戦い始めたのも、ミナへの愛情があったからだった。感情を完全に排除すれば、戦う理由さえなくなってしまう。


「矛盾している」洸が呟く。


そこに、新たな幻影が現れた。橋本教授だった。


「洸くん、君は重要な選択を迫られているね」橋本教授が言う。


「教授...」


「完璧な解決策など存在しない」橋本教授が続ける。「人間にできるのは、最善を尽くすことだけだ」


「最善とは?」


「愛する人を大切にし、可能な限り多くの人を守ること」橋本教授が答える。「完璧でなくても、人間らしい選択をすることだ」


洸は深く考え込んだ。


確かに、夢を奪う計画は完璧だった。しかし、それは本当に人間のための選択なのだろうか?





6


現実世界で、ミナは洸の変化に気づいた。


彼の表情が、わずかに柔らかくなっていた。完全に感情を失ったわけではなく、奥深くに人間らしさが残っているのだ。


「洸くん、聞こえる?」ミナが優しく語りかける。


「私、あなたの計画が分かった」ミナが続ける。「みんなから夢を奪って、Dream Dweller を倒そうとしてるのね」


ミナは洸の手をより強く握った。


「でも、夢のない世界なんて嫌よ」ミナが涙を流しながら言う。「たとえ危険でも、夢があるから人間は美しいの」


「あなたとの思い出も、最初は夢から始まったじゃない」ミナが思い出を語る。「夢の中で出会って、現実で恋に落ちた」


洸の心に、封印していた記憶が蘇ってきた。


ミナとの初めての出会い。共有夢での冒険。一緒に過ごした温かい時間。


すべて夢があったからこそ生まれた、かけがえのない思い出だった。


「俺は...何をしようとしていた?」洸が目を開けた。


その瞬間、洸の目に涙が浮かんだ。感情が戻ってきたのだ。


「ミナ...」洸が彼女の名前を呼ぶ。


「おかえり」ミナが微笑む。


洸は人間性を取り戻した。しかし、Dream Dweller の脅威は依然として残っている。


完璧ではない、人間らしい方法で、最後の戦いに挑むしかなかった。




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