第20話「最後の共有夢」




1


洸が目を覚ますと、白い天井と消毒薬の匂いが鼻についた。


手首には拘束具がつけられており、身体が鉛のように重い。薬物の影響で意識がぼんやりとしていた。


「気がついたか」


横のベッドから声がした。洸が首を向けると、ひかりが心配そうな表情で見つめていた。


「ここは?」洸がかすれた声で尋ねる。


「精神病棟」ひかりが悲しそうに答える。「あなたが病院で錯乱状態になって」


洸の記憶が少しずつ戻ってきた。DDSウイルスの影響で意識が混乱し、病院のスタッフに抑えられたのだった。


「ミナは?」


「同じ病棟にいる」ひかりが答える。「でも、もう3週間以上意識不明のまま」


洸は焦った。DDSウイルスの影響が拡大する中、ミナとの時間はもうほとんど残されていない。


「面会時間は終了です」


看護師がひかりに声をかけた。ひかりは名残惜しそうに洸を見つめた後、病室を出て行った。


一人になった洸は、薬物でぼんやりした意識の中、最後の力を振り絞って夢の世界に入ろうとした。


通常なら簡単にできることが、薬物と拘束具のせいで困難を極めた。しかし、ミナに会いたい一心で、洸は集中し続けた。


やがて、意識が夢の世界に滑り込んでいく感覚を味わった。





2


夢の世界に入ると、洸は病院と同じような白い部屋にいた。


しかし、現実の病室とは違い、壁には無数の亀裂が走っており、所々から光が漏れている。天井も不安定で、時々崩れそうに揺れていた。


「洸くん」


優しい声が響いた。


洸が振り返ると、ミナが白い病衣を着て立っていた。しかし、彼女の姿は半透明で、まるで幽霊のようだった。


「ミナ...やっと会えた」


洸がミナに近づこうとすると、足音が床に響いた。この世界も、現実と同じように不安定になっている。


「ここは崩壊寸前なの」ミナが説明する。「DDSウイルスの影響で、夢の世界が破壊されてる」


二人が話していると、周囲の景色が激しく変化した。病室が森になり、森が海になり、海が宇宙になる。夢の世界の構造が根本的に破綻していた。


「もうここも長くは持たない」ミナが悲しそうに言う。


その時、見慣れた白い仮面が現れた。しかし、以前のような威厳はなく、ボロボロに傷ついていた。


「Dream Dweller...」洸が呟く。


「最後に君たちに真実を教えよう」Dream Dwellerが弱々しい声で語る。「この夢を終わらせれば、全員が夢から出られなくなる」


洸は困惑した。


「どういう意味だ?」


「夢の世界は現実世界と表裏一体になっている」Dream Dwellerが説明する。「一方を破壊すれば、両方が消滅するのだ」


洸とミナは愕然とした。





3


「つまり、夢の世界を救えば現実世界が消滅し、現実世界を救えば夢の世界が消滅する」Dream Dwellerが続ける。


洸は理解した。これが究極の選択だった。


「でも、DDSウイルスを止める方法は?」ミナが尋ねる。


「ない」Dream Dwellerが断言する。「もはや、どちらか一方を選ぶしかない」


洸とミナは深刻な表情で見つめ合った。


現実世界を選べば、DDSウイルスに感染した人々は意欲を失ったまま生きることになる。まるでゾンビのような存在として。


夢の世界を選べば、人々は夢の中で永遠に生きることになる。現実の身体は死んでしまうが、意識は夢の中で存続する。


「私たちが犠牲になれば済むなら」ミナが静かに言う。


「ダメだ」洸が激しく反対する。「君を失うくらいなら世界なんて」


「洸くん」ミナが優しく洸の頬に手を置く。「それは愛じゃない」


洸は動揺した。


「愛は相手の幸せを願うものでしょ?」ミナが続ける。「私一人の幸せのために、みんなを犠牲にするのは間違ってる」


「でも」洸が涙を流す。


「私だって、あなたを失いたくない」ミナも涙を流しながら言う。「でも、それでも正しいことをしたい」


二人は抱き合った。


周囲の世界がさらに激しく崩壊していく中、二人だけが現実味を保っていた。





4


「せめて最後は、人間らしい選択をしよう」ミナが洸の手を握る。


洸は迷った。愛する人を失う痛みと、多くの人を救う使命の間で。


その時、洸の心に様々な人々の顔が浮かんだ。


田口の心配そうな表情。ひかりの涙。ミナの両親の悲しみ。街の人々の無気力な姿。


「分かった」洸が決意を込めて言う。「でも、一緒に行こう」


「一緒に?」


「俺たちが夢の世界の核心部を破壊すれば、DDSウイルスも一緒に消滅する」洸が説明する。「現実世界の人々は正常に戻る」


「でも、私たちは」ミナが心配する。


「消えるかもしれない」洸が正直に答える。「でも、それでも一緒なら怖くない」


ミナが微笑んだ。


「そうね。一緒なら怖くない」


二人は手を取り合い、夢の世界の核心部に向かって歩き始めた。


Dream Dwellerが阻止しようとした。


「愚かな決断だ」Dream Dwellerが叫ぶ。「君たちは無意味に死ぬことになる」


「無意味じゃない」洸が毅然と答える。「これが人間だ」


「人間の愚かさを証明するだけだ」


「愚かでも構わない」ミナが言う。「愛する人のために犠牲になるのは、美しいことよ」


Dream Dwellerは困惑した。彼らには人間の心が理解できなかった。





5


核心部は巨大な光の球体だった。


それは夢の世界のすべてのエネルギーが集約された場所で、触れれば確実に消滅してしまう。


「準備はいい?」洸がミナに尋ねる。


「うん」ミナが頷く。


二人は最後に愛を確認し合った。


「君に出会えて幸せだった」洸が言う。


「私も」ミナが微笑む。「短い間だったけど、本当に幸せだった」


二人は光の球体に向かって手を伸ばした。


その瞬間、周囲の空間が激しく歪み、すべてが白い光に包まれた。


夢の世界が崩壊していく。


しかし同時に、DDSウイルスも消滅していく。現実世界の人々の意欲が戻り始めた。


「ありがとう」


遠くからひかりの声が聞こえた。


「ありがとう」


田口の声も聞こえる。


「ありがとう」


たくさんの人々の感謝の声が響く中、洸とミナの意識は薄れていった。





6


最後の瞬間、洸とミナは不思議な体験をした。


二人の意識が融合し、一つになったのだ。


愛する人と完全に一体化する、究極の幸福感。


それは死への恐怖を完全に打ち消してくれた。


「もう離れることはない」洸とミナが同時に思った。


光の中で、二人は永遠の愛を誓った。


たとえ存在が消えても、愛だけは永遠に続く。


それが人間の美しさだった。


Dream Dwellerには理解できない、人間だけが持つ崇高な感情。


光がすべてを包み込み、夢の世界は完全に消滅した。


しかし、愛だけは残った。


現実世界で、人々の目に生気が戻り始めた。


DDSウイルスは完全に消滅し、街に再び活気が戻ってきた。


洸とミナの犠牲により、世界は救われたのだった。


しかし、二人の運命は...


まだ分からなかった。


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