第8話「死者の警告」





1


その日の朝、大学中が騒然としていた。


「橋本教授が亡くなったって」


「研究室で倒れてたらしい」


「過労死だって」


学生たちの間で、衝撃的なニュースが駆け巡っていた。


洸は愕然とした。橋本教授は心理学部の権威で、特に認知科学と夢の研究で有名だった。洸がフランス語で異常な答えをした時、心配してくれた優しい教授でもあった。


「急にどうして」


洸は困惑していた。確かに橋本教授は研究熱心だったが、まだ52歳と若く、健康そうに見えていた。


大学の掲示板に、正式な発表が張り出されていた。


『心理学部 橋本徹教授 急逝のお知らせ

昨夜、研究室にて心不全のため急逝されました。

過度の研究による過労が原因と推定されます。』


しかし洸は、この発表に違和感を覚えた。


橋本教授は最近、夢に関する研究をしていた。そして洸自身も、夢に関する異常現象に巻き込まれている。これは偶然なのだろうか。


「洸くん」


後ろから声をかけられて振り返ると、ミナが立っていた。


「橋本教授のこと、聞いた?」


「はい。ショックです」


「私、先週まで教授のゼミに参加してたの」ミナが悲しそうに言う。「とても元気そうだったのに」


「どんな研究をされていたか知っていますか?」


「夢の共有現象について調べてたみたい」ミナが答える。「最近、同じ夢を見る人たちが増えているって」


洸の心臓が跳ね上がった。夢の共有現象。それは洸とミナが体験していることと同じだった。


「詳しく聞いていますか?」


「あまり詳しくは。でも、教授はとても興奮してた」ミナが思い出すように言う。「何か重要な発見があったみたい」


洸は不安になった。橋本教授の死は、本当に偶然なのだろうか。





2


その日の午後、洸は橋本教授の研究室がある心理学部棟に向かった。


研究室の前には、献花台が設けられていた。多くの学生や同僚が花を供え、教授の死を悼んでいる。


洸も花を供えながら、研究室の扉を見つめた。中には教授の研究資料があるはずだった。夢の共有現象について、何か重要な発見があったとミナは言っていた。


その時、研究室の扉が開いた。中から大学職員が出てくる。


「研究資料の整理をしています」職員が説明する。「来週には別の教授が使用する予定です」


洸は焦った。教授の研究資料が処分される前に、何とか見る必要がある。


夜中に忍び込むしかないかもしれない。





3


その夜、洸は意図的に早めに眠りについた。橋本教授の死の真相を知りたかった。


夢の中で洸は、大学の心理学部棟にいた。しかし、現実とは違って薄暗く、不気味な雰囲気が漂っている。


廊下を歩いていると、橋本教授の研究室から光が漏れていた。


洸は恐る恐る扉を開けた。


そこには、橋本教授が座っていた。


しかし、その姿は生前とは違っていた。顔は青白く、目は虚ろで、まるで魂が抜けたような状態だった。


「教授?」


洸が声をかけると、橋本教授がゆっくりと顔を上げた。


「新田君か」


教授の声は、かすれていて弱々しかった。


「教授、どうしてここに?教授は」


「死んだ?そうだ、私は死んだ」教授が自嘲的に笑う。「しかし、私の魂はここに囚われている」


洸は戦慄した。これは教授の亡霊なのか。


「私はもう現実には戻れない」教授が絶望的に語る。「Dream Dwellerに魂を奪われたのだ」


その名前を聞いて、洸は愕然とした。


「Dream Dweller?教授もあの存在と?」


「そうだ。私は研究のために、自ら実験台となった」教授が後悔に満ちた表情を浮かべる。「愚かだった」





4


「教授、Dream Dwellerとは何者なんですか?」


洸は必死に尋ねた。


「古い存在だ」教授が説明する。「人間の才能と引き換えに魂を少しずつ奪い、最終的に完全に乗っ取る」


洸は恐怖した。自分が体験していることと同じだった。


「被害者は他にもいるんですか?」


「大勢いる」教授が頷く。「歴史上の天才と呼ばれた人々の中にも、Dream Dwellerの被害者がいる」


「そんな」


「レオナルド・ダ・ヴィンチ、ニコラ・テスラ、アインシュタイン」教授が名前を挙げる。「彼らの異常な才能は、Dream Dwellerから与えられたものだった」


洸は愕然とした。歴史的な天才たちも、Dream Dwellerの犠牲者だったのか。


「そして彼らは皆、最終的に魂を完全に奪われた」教授が続ける。「肉体は残るが、中身は別の存在になってしまう」


「空の器に」


「そうだ。君も私のようになる前に、契約を破棄しろ」


教授が洸に向かって警告する。


「どうすれば契約を破棄できるんですか?」


洸が必死に尋ねるが、その瞬間、教授の姿が薄くなり始めた。


「教授!」


「時間がない。私はもう」


教授の声が遠ざかっていく。


「研究室の隠し金庫を見ろ。パスワードは『EUREKA』だ」


教授の最後の言葉を残して、その姿は完全に消えた。





5


夢から覚めた洸は、すぐに行動を起こした。


橋本教授の研究室に侵入する必要がある。


深夜の大学に忍び込むのは危険だったが、洸には選択肢がなかった。


幸い、心理学部棟の警備は厳重ではなかった。洸は裏口から建物に侵入し、橋本教授の研究室に向かった。


研究室の扉は施錠されていたが、洸は以前身につけた技術で鍵を開けることができた。これもDream Dwellerから得た能力の一つだった。


研究室の中は、生前の教授の面影を残していた。本棚には専門書が並び、机の上には研究資料が積まれている。


洸は教授が言っていた隠し金庫を探した。


書棚の後ろに、小さな金庫が隠されていた。


パスワード「EUREKA」を入力すると、金庫が開いた。


中には、厚いファイルが入っていた。


「Dream Dweller現象 - 極秘研究資料」


タイトルを見て、洸は震えた。





6


ファイルを開くと、衝撃的な内容が記されていた。


『Dream Dweller現象の被害者リスト』


名前と年代が記載されている。最も古いものは15世紀まで遡っていた。


『被害者の共通点』

・突然の天才的能力の開花

・夢での学習体験

・記憶の空白

・人格の変化

・最終的な人格の完全な消失


洸は自分の症状と完全に一致することに愕然とした。


『実験記録 - 橋本徹』


教授自身の体験が詳細に記録されていた。


『第1日目:夢日記アプリでDream Dwellerと接触』

『第7日目:初回契約。認知能力の向上を確認』

『第21日目:記憶の空白発生。別人格の兆候』

『第35日目:完全な人格乗っ取り期間発生(6時間)』

『第42日目:自我の消失開始。緊急事態』


そして最後の記録。


『第45日目:もう私は私ではない。Dream Dwellerが私の身体を完全に支配している。この記録を残すのが、人間としての私の最後の行為だ。契約の破棄は不可能。被験者は段階的に人格を失い、最終的に空の器となる。新田洸への警告:逃げろ。まだ間に合うなら』


洸は絶望した。教授は洸を助けようとして、この記録を残していたのだ。


しかし、教授自身は救われなかった。





7


ファイルの最後のページに、恐ろしい記述があった。


『Dream Dwellerの最終目的』


『Dream Dwellerは古代から存在する知性体の集合意識である。優秀な人間の身体を乗っ取り、その知識と才能を自分たちのものにすることで、種族として進化し続けている。現代においては、情報技術を利用して効率的に獲物を見つけ出すことができるようになった。夢日記アプリ「DreamLog」は、Dream Dwellerが開発したツールである可能性が高い』


洸は愕然とした。夢日記アプリ自体が罠だったのだ。


『被害者は最終的に、Dream Dwellerの一部となり、新たな獲物を狩る手伝いをさせられる。これにより、被害者は指数関数的に増加している』


洸は理解した。自分も最終的には、Dream Dwellerの一部となり、他の人々を犠牲にする手伝いをさせられるのだ。


資料の最後に、教授の手書きのメモがあった。


『新田洸君へ。もしこれを読んでいるなら、君はまだ人間の心を保っている。私にはもう契約の破棄はできないが、君にはまだ可能性があるかもしれない。ただし、時間は限られている。Dream Dwellerの支配が完成する前に、何らかの方法を見つけなければならない。幸運を祈る』


洸は資料を握りしめた。


教授の死は、洸への警告だったのだ。


しかし、洸は既にDream Dwellerの支配下にある。契約の破棄など、本当に可能なのだろうか。


絶望感が洸を包んだ。


しかし同時に、最後の希望も芽生えていた。


教授の犠牲を無駄にしてはいけない。


何とかして、この悪夢から抜け出す方法を見つけなければならない。


洸の戦いは、これから始まるのだった。


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