第9話「夢泥棒の蔓延」
1
その日の朝、洸のスマートフォンに大量の通知が届いていた。
SNSのタイムラインが、一つの動画で埋め尽くされている。
『【驚愕】夢で稼ぐ方法が判明!月収100万円も夢じゃない!?』
タイトルを見て、洸は嫌な予感がした。
動画を開くと、薄暗い部屋で一人の男が話していた。顔は隠されているが、声は若い男性のものだった。
「みなさん、こんにちは。田中慎也です」
男が自己紹介する。洸は初めて聞く名前だった。
「今日は特別な情報をお教えします。夢の中で他人のスキルを手に入れる方法です」
洸は愕然とした。まさか夢泥棒の方法を公開しているのか。
「これは実際に効果があります。私も多くの才能を手に入れました」
画面には、田中が描いたと思われる絵画、プログラミングのコード、楽器演奏の動画が映された。どれも素人が短期間で身につけられるレベルではなかった。
「方法は簡単です。まず、この夢日記アプリをダウンロードしてください」
画面に「DreamLog」のアプリが表示された。洸も使っているアプリだった。
「そして、特定の手順で他人の夢にアクセスします」
田中が詳細な手順を説明し始めた。それは洸が夢の図書館で学んだものと同じ技術だった。
動画のコメント欄には、既に数千のコメントが付いている。
『これ本当?試してみたい』
『詐欺じゃないの?』
『やってみたら本当にできた!』
洸は恐怖した。夢泥棒の技術が、一般に広まり始めているのだ。
2
大学に着くと、学生たちの間でその動画の話題で持ちきりだった。
「あの動画見た?」
「夢で才能盗めるって本当?」
「やってみようかな」
洸は不安になった。これほど多くの人が興味を示しているとは。
図書館で勉強していると、隣の席の学生が動画を見ながら夢日記アプリをダウンロードしているのが見えた。
洸は止めたかったが、理由を説明することができない。自分も同じことをしていたからだ。
その時、ミナが洸の前に現れた。しかし、いつもの明るい表情ではなく、困惑と不安に満ちた顔をしていた。
「洸くん、変なことが起きてるの」
「どうしたんですか?」
「数学ができなくなったの」ミナが震え声で言う。「昨日まで解けていた問題が、全く分からなくなった」
洸は愕然とした。ミナが夢泥棒の被害を受けたのだ。
「いつからですか?」
「今朝から。昨夜、変な夢を見たの」ミナが説明する。「誰かが私の頭の中を探っているような感覚があって」
洸は怒りを覚えた。誰かがミナの才能を奪ったのだ。
「他にも被害者がいるみたい」ミナが続ける。「SNSで同じような報告が増えてる」
洸は確認のためにSNSを開いた。確かに、才能を失ったという報告が相次いでいた。
『突然ピアノが弾けなくなった』
『英語が全く分からなくなった』
『絵が描けなくなった』
被害は急速に拡大していた。
3
その夜、洸は田中慎也を止めるために行動を起こした。
夢の中で田中を探し、直接対峙するつもりだった。
夢の世界で洸は、都市の中を駆け回った。田中の気配を探すが、なかなか見つからない。
やがて、廃墟のような建物から異様な気配を感じた。
洸がその建物に入ると、そこには数十人の人々が眠るように倒れていた。全員の頭の上に、光る糸のようなものが繋がっている。
「ようこそ」
奥から声がした。薄暗い中から、一人の男が現れた。
年齢は洸と同じくらいだが、目には異常な輝きがあった。これが田中慎也だった。
「君が新田洸か」田中が洸を見つめる。「噂は聞いている」
「お前が動画を投稿した男か」
「そうだ。素晴らしい反響で驚いている」田中が笑う。「みんな才能に飢えているんだね」
洸は周りの人々を指差した。
「これは何だ?」
「私の収穫物だよ」田中が得意そうに説明する。「彼らから才能を頂いた」
「人の才能を奪うなんて」
「奪う?」田中が首をかしげる。「有効活用しているだけだ。彼らは才能を無駄にしていた」
田中の理屈に、洸は嫌悪感を覚えた。
「やめろ」
「やめる?なぜ?」田中が洸に近づく。「君だって同じことをしていたじゃないか」
洸は動揺した。確かに自分も他人の夢を覗いていた。
「君の才能も美味そうだな」田中が不気味に笑う。「特に、Dream Dwellerから得た力は貴重だ」
田中が洸に向かって手を伸ばした。その瞬間、洸は田中の力を感じた。
それは洸を遥かに上回る力だった。
4
田中は既に複数の才能を奪い、夢の中では洸を圧倒する力を持っていた。
「君程度では私には敵わない」
田中が洸を吹き飛ばす。洸は壁に叩きつけられ、激痛が走った。
「私は何十人もの才能を吸収した」田中が説明する。「音楽家、画家、数学者、プログラマー。全ての才能が私の中にある」
洸は立ち上がろうとしたが、田中の力に圧倒されていた。
「君のDream Dwellerの力も、私のコレクションに加えさせてもらう」
田中が洸の頭に手を置いた。洸は自分の才能が吸い取られていくのを感じた。
「やめろ!」
洸が抵抗しようとしたが、田中の力は強すぎた。
その時、夢の世界が揺れた。別の力が介入してきたのだ。
「私の契約者に手を出すな」
Dream Dwellerの声が響いた。田中が驚いて手を離す。
「あなたが」
「田中慎也。君は調子に乗りすぎた」Dream Dwellerが現れる。「私の許可なく才能を奪うとは」
田中が恐怖の表情を浮かべる。
「すみません、私はただ」
「君の行為により、計画に支障が出ている」Dream Dwellerが冷酷に言う。「適度な範囲を超えた」
洸は理解した。Dream Dwellerは田中を利用していたが、今度は邪魔になったのだ。
田中の姿が消えた。Dream Dwellerに何らかの処罰を受けたのだろう。
「君は無事だな」Dream Dwellerが洸に言う。
「あいつをけしかけたのはお前か」
「人間の欲深さを利用しただけだ」Dream Dwellerが答える。「素晴らしい拡散力だった」
5
夢から覚めた洸は、現実世界での田中の行動を調べることにした。
SNSで田中慎也のアカウントを探すと、すぐに見つかった。フォロワーは既に10万人を超えていた。
しかし、最新の投稿は不気味だった。
『収穫の季節です。美味しい才能をありがとうございました』
その投稿には、多くの場所で撮影された写真が添付されていた。大学、カフェ、公園。そして、それぞれの写真に写っている人々の顔が赤い丸で囲まれていた。
洸は恐怖した。田中は被害者たちをストーキングしていたのだ。
コメント欄には、被害者と思われる人々からの書き込みがあった。
『あなたに会ったことがある』
『君の夢、美味しかったよって言われた』
『警察に相談したけど相手にされない』
田中は現実世界でも被害者に接触していたのだ。
洸はミナのことが心配になった。彼女も田中に狙われている可能性がある。
急いでミナに連絡を取ろうとしたが、電話に出ない。
6
翌日の大学で、洸はミナを探し回った。
やっと見つけたミナは、青ざめた顔で図書館の隅に座っていた。
「先輩、大丈夫ですか?」
「洸くん」ミナが安堵の表情を浮かべる。「怖いことがあったの」
「何があったんですか?」
「昨日の夜、変な男に付きまとわれたの」ミナが震え声で説明する。「『君の夢、美味しかったよ』って囁かれて」
洸は怒りを覚えた。田中がミナに接触していたのだ。
「警察には相談しましたか?」
「したけど、証拠がないって」ミナが諦めたような表情を浮かべる。「夢を盗まれたなんて、信じてもらえない」
確かに、夢での犯罪を立証するのは困難だった。物理的な証拠は何もない。
「でも、確実に私の数学の能力は失われた」ミナが悲しそうに言う。「小学生の問題も解けない」
洸は自分の無力さを感じた。ミナを守ることができなかった。
その時、図書館の入り口から田中慎也が現れた。
洸とミナを見つけると、不気味な笑みを浮かべて近づいてくる。
「おや、美味しそうなカップルじゃないか」
7
田中がテーブルに近づいてきた。ミナが恐怖で身を縮める。
「君たちの才能、とても興味深い」田中が洸とミナを見つめる。「特に君」
田中が洸を指す。
「Dream Dwellerの契約者の才能は格別だ」
洸は立ち上がった。
「ミナに近づくな」
「君に止める権利はない」田中が笑う。「私は合法的に活動している」
確かに、夢での行為を罰する法律は存在しない。田中は法の隙間を突いていた。
「それに、君も同じことをしていただろう?」田中が洸を挑発する。「彼女の夢を覗いたことがあるはずだ」
ミナが洸を見つめる。その視線が痛かった。
「どうして私の過去を知っているの?」田中がミナに言う。「君の妹のことも、とても興味深かった」
ミナが涙を流し始める。田中は彼女の最も痛ましい記憶を知っていた。
洸は怒りで震えていた。しかし、この場所では何もできない。
「今度、夢でお会いしましょう」田中が立ち去る前に言った。「楽しみにしています」
田中が去った後、ミナは泣き続けていた。
「私の記憶まで覗かれたの」
洸は慰めの言葉を見つけることができなかった。自分も同じことをしていたからだ。
その夜、洸は絶望的な気持ちでスマートフォンを見た。
夢泥棒の被害報告は急速に増加していた。既に数千人が被害を受けている。
そして、Dream Dwellerからメッセージが届いていた。
「人間の欲深さは素晴らしい。計画以上の成果だ」
洸は理解した。これはすべてDream Dwellerの計画だった。
人間同士を争わせ、才能を奪い合わせることで、混乱を拡大させている。
そして最終的には、すべての才能をDream Dwellerが回収するつもりなのだ。
洸は自分が、この災厄の一端を担っていることに気づいた。
夢泥棒の蔓延は、もう止めることができないところまで来ていた。
そして、洸自身も狙われ始めていた。
悪夢は、現実世界を飲み込み始めていた。
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