第4話「禁断の覗き見」
1
その夜、洸は今まで見たことのない夢を見た。
彼がいたのは、天井の見えないほど高い巨大な図書館だった。無数の書架が螺旋状に上へと続き、本が宙に浮いて移動している。まるで生き物のように、知識が動き回っていた。
「すごい場所だ」
洸は呟きながら、書架の間を歩いた。本の背表紙には様々な言語で題名が書かれている。中には、この世に存在しない文字で書かれたものもあった。
ふと、一冊の本が洸の前に浮かんできた。
『他者の夢への侵入術』
タイトルを読んだ瞬間、洸の心臓が高鳴った。他人の夢に入ることができるのか。
本を手に取ると、内容が頭の中に流れ込んできた。夢の中で他人の精神にアクセスする方法、夢の記憶を読み取る技術、そして夢の中で他人を操る方法まで。
「これは」
洸は興奮した。この知識があれば、誰の心の奥底も覗くことができる。秘密も、本音も、すべて知ることができる。
本を閉じると、知識は完全に洸の脳に刻み込まれていた。まるで何年も研究してきたかのように、すべての手順を理解していた。
目覚めたとき、洸は迷っていた。
この力を使うべきなのか。
しかし好奇心が、理性を上回っていた。
2
翌夜、洸は決断した。
ミナの夢を覗いてみよう。
彼女のことをもっと知りたかった。表面的な会話だけでは分からない、本当の彼女を理解したかった。
洸は夢の中で、習得した技術を実践した。意識を集中し、ミナの精神に向かって手を伸ばす。
最初は何も感じなかったが、やがて彼女の夢に繋がった。
洸は、ミナの夢の中にいた。
そこは、美しい海辺の町だった。夕日が海を orange色に染め、潮風が頬を撫でていく。洸は観察者として、ミナの夢を体験していた。
夢の中のミナは、海辺で一人で立っていた。普段の明るい表情ではなく、深い悲しみを湛えた顔をしている。
「ユリ」
ミナが名前を呼んだ。洸は振り返った。
そこに、小さな女の子がいた。ミナによく似た、7歳くらいの少女。彼女は笑顔でミナに手を振っている。
「お姉ちゃん、一緒に遊ぼう」
少女の声は澄んでいて美しかった。しかし洸は、この光景に何か不穏なものを感じた。
「だめよ、ユリ。危険だから」
ミナが少女を止めようとする。しかし少女は笑いながら海に向かって走っていく。
「ユリ、待って!」
ミナが追いかけるが、間に合わない。少女は海に飛び込んでしまった。
その瞬間、夢の風景が激変した。
美しい海辺が、暗く荒れ狂う嵐の海に変わった。波は黒く、空は血のように赤い。
「ユリ!」
ミナが絶望的な声で叫ぶ。海の中で、少女が溺れている。
洸は見ていることしかできなかった。これはミナの記憶、そして彼女の悪夢だった。
3
夢の中で、ミナは海に飛び込んだ。必死に妹を助けようとする。しかし手が届かない。少女は波に飲まれていく。
「お姉ちゃん、なんで助けてくれないの?」
溺れながら、少女がミナを責める。
「ごめん、ごめんなさい!」
ミナが泣き叫ぶ。洸は彼女の深い後悔と罪悪感を感じ取った。
やがて少女の姿は波の中に消えた。
ミナは一人、暗い海に残された。
「私が悪い。私が見ていなかったから」
ミナが自分を責め続ける。洸は彼女の心の傷の深さを理解した。
これは実際に起きた事故の記憶だった。幼いミナは妹を失い、その責任を一人で背負い続けている。
普段の明るく優秀な彼女の仮面の下に、これほど深い悲しみが隠されていたとは。
洸は激しい罪悪感に襲われた。こんな痛ましい記憶を勝手に覗いてしまった。これは明らかに侵入行為だった。
夢から抜け出そうとしたとき、ミナが振り返った。
まるで洸の存在に気づいたかのように。
「誰?」
ミナの声が聞こえた瞬間、洸は夢から弾き出された。
4
目覚めた洸は、罪悪感で胸が苦しかった。
ミナの一番見られたくない記憶を、勝手に覗いてしまった。彼女の信頼を裏切る行為だった。
「やってはいけないことをした」
洸は後悔していた。しかし同時に、ミナの本当の姿を知ることができた満足感もあった。
表面的な会話では決して知り得ない、彼女の本質を理解した。それは他の誰も知らない特別な知識だった。
洸は複雑な気持ちで朝を迎えた。
大学で、いつものようにミナに会った。彼女は普段通り明るく振る舞っている。しかし洸には、その笑顔の奥にある悲しみが見えてしまった。
「洸くん、おはよう」
「おはようございます、先輩」
洸は普通に挨拶したが、心は落ち着かなかった。
「今度の土曜日、一緒にコンサートを聴きに行きませんか?」ミナが誘ってくれる。「チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番です」
「はい、ぜひ」
洸は答えたが、その時うっかり口にしそうになった。
「妹さんもきっと音楽が好きだったでしょうね」
危うく言いそうになって、洸は慌てて口を押さえた。
「?」ミナが不思議そうな表情を浮かべる。
「あ、いえ、その、チャイコフスキーは素晴らしい作曲家ですね」
洸は慌てて話題を変えた。しかし、ミナの表情に一瞬影が差したのを見逃さなかった。
「ユリ」という名前に反応したのだ。
洸は自分の危険な立場を理解した。夢で得た知識を現実で使えば、相手に気づかれてしまう可能性がある。
5
その日の午後、洸は図書館で一人考え込んでいた。
ミナの夢を覗いたことへの罪悪感と、他人の秘密を知る快感が入り混じっていた。
「やってはいけないことだ」
理性では分かっている。しかし、あの体験は忘れられない。
他人の心の奥底を覗けるという力は、麻薬のように魅力的だった。
洸は周りの学生たちを見回した。あの真面目そうな女子学生はどんな夢を見ているのか。あのチャラそうな男子学生の本当の悩みは何なのか。
みんな何かしらの秘密を抱えている。それを知ることができる。
「でも」
洸は首を振った。それは人として やってはいけないことだ。
しかし、スマートフォンに通知が来た。
Dream Dwellerからのメッセージだった。
「昨夜の体験はどうだった?」
洸は周りを見回してから、返信した。
「やってはいけないことをしました」
「なぜ?知識は力だ。遠慮することはない」
「他人のプライバシーを侵害しています」
「君は特別な存在なのだ。普通の人間のルールに縛られる必要はない」
Dream Dwellerの言葉に、洸は迷った。確かに自分は特別な力を得ている。普通の人間とは違う存在になりつつある。
「もっと多くの人の夢を覗いてみるといい。君の世界が広がる」
「でも」
「君の好奇心を否定してはいけない。それが君の本質なのだから」
洸は自分の心の奥底を見透かされているような気がした。確かに、他人の秘密を知りたいという欲求が強くある。
「誰の夢を覗いてみたい?」
Dream Dwellerの質問に、洸は考えた。
田口の夢が気になった。最近、親友が自分のことをどう思っているのか知りたかった。
そして、ルブラン教授。あの人の夢を覗けば、より高度なフランス語の知識を得られるかもしれない。
洸は自分の欲望に気づいて愕然とした。
既に中毒になっている。他人の秘密を知ることの快感に。
6
その夜、洸は田口の夢に侵入した。
田口の夢は、洸の予想とは違っていた。彼の夢の中で、洸は怪物のような存在として描かれていた。
目が赤く光り、口から異国の言葉を吐き続ける化け物。それが田口の夢の中の洸だった。
「洸、お前は俺の親友じゃない」
夢の中の田口が、怪物と化した洸に向かって叫ぶ。
「本当の洸を返せ!」
洸は衝撃を受けた。親友は、自分の変化を単なる成長ではなく、何か邪悪なものによる乗っ取りだと感じているのだ。
田口の夢から出ると、洸は深く傷ついていた。
しかし同時に、田口の本音を知ることができたとも感じていた。表面的には心配してくれているが、内心では恐怖を抱いている。
その知識は、洸に力を与えた。田口の弱点を知った今、彼をコントロールすることも可能だろう。
「俺は何を考えているんだ」
洸は自分の思考に恐怖した。親友をコントロールしようなどと。
しかし、その恐怖よりも、知識を得た満足感の方が大きかった。
洸は次の標的を考え始めていた。
7
数日後、洸は複数の人の夢を覗いていた。
クラスメイト、教授、バイト先の同僚。誰もが何かしらの秘密や悩みを抱えていた。
洸はそれらの情報を記録し、現実世界で活用し始めた。
困っているクラスメイトに的確なアドバイスをして感謝され、教授の好みを知って評価を上げ、バイト先では同僚の悩みを先回りして解決してあげた。
周りの人々は、洸の洞察力と思いやりに感嘆した。
「新田くん、最近すごく頼りになるね」
「なんでそんなに人の気持ちが分かるの?」
「まるで心が読めるみたい」
称賛の言葉が、洸の自尊心を満たした。
しかし内心では、罪悪感も蓄積していた。すべて他人の夢を盗み見て得た情報だった。
それでも、やめることができなかった。
他人の秘密を知る快感は、中毒性があった。
そして何より、この力があればミナとの関係をより深めることができる。彼女の心を完全に理解し、彼女が求める理想の男性になることができる。
洸は夜な夜な、様々な人の夢に侵入し続けた。
Dream Dwellerは満足げに洸の変化を見守っていた。
計画は順調に進んでいる。
洸は既に、普通の人間の倫理観を失い始めている。
他人のプライバシーを侵害することに罪悪感を覚えながらも、それ以上に快感を感じている。
これが第一段階の完成だった。
次は、洸に本格的な契約を提案する時だ。
洸の魂を、完全に夢の世界に縛り付ける契約を。
甘い誘惑は、洸を確実に深い闇へと導いていく。
もう引き返すことはできない。
洸自身が、それを望んでいるのだから。
禁断の覗き見は、始まりに過ぎなかった。
*禁断の力を手にした洸の運命は、どこへ向かうのか。*
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