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クロムンド・バトーの剣の腕前について、孫六は、
「なかなかの達者よな」
と評している。
「だろ?先生の腕前は、王国の中でも一番だぜ」
というのは、レダラス・ボクトラスという少年で、レダラスは、クロムンドの、自称一番弟子だ、という。
「で、道場主殿は、何か面倒事に巻き込まれているのか?」
「いや?ただ、誰かと試合をする、みたいなことを言ってた」
「ほう、仕合か。それで、先だって剣を所望されたのか」
「多分ね」
「で、その相手はどこのだれかわかるか?」
いや、とレダラスは頭を振った。
「でも、近いうちにやるかもしれない。だって、先生の様子がいつになく怖いくらいになっているから」
「ではな、坊主」
「俺は坊主じゃない。レダラスだ」
「そうだったな。ではな、レダラス。もし、道場主殿が何かをしようとし始めた時に、必ず連絡をくれ。どういう方法でも構わん」
「わかった。そうするよ」
レダラスはぺこり、と孫六とレベリウスに一礼すると、工房を出て道場のほうへ走っていった。
「親方、何を考えているんだよ」
「どうにも、胸騒ぎがおさまらんのだ。その、道場主殿が仕合をする、という。その相手が誰かは分からんが、どういうわけか、無事では済まないような気がしている」
「考えすぎなんじゃないのか?」
「そうであるとよいのだがな」
「何で、そこまで考えるんだ?」
「儂に鍛冶を頼んだからさ。いや、自分の腕をどうこう言っているわけではないのだ、あの坊主のいうように、尋常な立ち合いであれば、そもそも真剣なんぞいるはずがない」
「たしかに、普通の試合なら、木剣で十分だよな」
「そこさ。だが、道場主殿は、わざわざ儂に鍛冶を頼んだ。レベ、お前ではなく、儂にだ。なにか、のっきぴならぬ事情がある、と儂は踏んだ」
レベリウスはなるほど、と孫六の言い分に頷いた。
「しかしよ、親方。親方がそう考えるってことは、そういうことが昔あったのかい?」
「……、今は昔、というくらいのことだ。この冥土へ来る前の話だ」
孫六は一通りの仕事を終わらせると、あらためて話し始めた。
「儂の親父も、刀鍛冶でな。同じ孫六を名乗っておった。いうなれば、孫六は代々の世襲の名だ」
「へぇー、親方の名前は自分の名前じゃないのか」
「自分の名前でもあるが、通り名でもある。それはともかくとして、親父殿の腕は、儂よりはるかに上であった。儂なぞは足元にも及ばぬほどだ」
「こいつは驚いたね、親方より上がいるなんて」
「そりゃそうだ、儂より下手な奴もいれば、抜かり間違いのない名人も世にはいる。儂の親父も、その名人の一人、といってよかった。ある日、親父殿のところに一人の武士がやってきた。その者はまだ若く、たしか、美濃の斎藤の家臣だったと、憶えておる。その若者が、刀を所望としてやってきたのだ」
「それで?」
「その若者の目を見て、親父殿は決して刀を売らなかった。後で聞くと、その若者は死地に行き、そしてそこで死ぬだろう、といった。人相見のようなことを言う、とそのときは軽く考えていたが、数日ほど経ったある日、その若者が惨たらしく斬り死んでいたのを、山師の男が見つけてな、親父殿の眼力を恐ろしく思ったものだ」
「じゃあ、親方は、クロムンド先生が、その若者のようになる、と?」
「道場主殿の腕であれば、まず間違いはなかろうが、それでも万が一、ということがある。それゆえ、胸騒ぎをしているのやもしれん」
「まあでも、クロムンド先生のことだ、心配なさることはないと思うがね」
レベリウスの口ぶりから、レベリウスは気にも留めていない様子だった。
クロムンド・バトーの道場は住宅区の外れにある。木造の平屋、それも大人が十人は軽く入れるほどの大きさで、天井も高く、木剣を大上段に振りかざしてもなお、屋根の高さの半分にも満たないほどである。
そのなかにあって、クロムンドは中央に陣取って、立ち尽くしている。目を閉じ、大きく息を吐く。
孫六の刀をゆっくりと抜く。刀身が冷えている。上段に構え、袈裟懸けに振り下ろす。胴を抜き、手を返して片手で切り上げる。刀を返して後ろに突きを入れたかと思えば、次の瞬間には、正眼に構え直す。
クロムンドの太刀筋は風を切り、空気を突き刺していた。生半可な者が相手であれば、瞬時に決着がつくほどであろう。
バトー、と声をかける男があった。
クロムンドは振り返った。
「……、始めようか」
ウラード、と男の名を呼んだ。
レダラス少年は、住宅区から職人街へ走りに走り続けている。勢いを殺さぬまま、いうなればトラック競技の陸上選手さながらに駆けている。
「じいちゃん!!」
工房の扉を開けるなり、レダラスが叫んだ。
「どうした?」
レベリウスが訊こうとするのへ、孫六は咄嗟に顔色を変え、
「坊主!!どこだ!!」
ときくと、ドワル川の近くだ、と後ろを指さした。
「川の近くだな?!」
「早く!!」
孫六は刀を手に取り、レベリウスと共にドワル川へと向かった。
ドワル川のほとりに三人がついたとき、勝負はすでに決していた。ウラードは肩口からばっさりと斬られ、肉がはっきりと見えるほどであった。
血の滴った刀をだらり、と下げたクロムンドは、
「レダラス、呼んだのか」
と、レダラスに向かってたずねた。クロムンドの様子を見たレダラスは震えて足がすくんでいる。
孫六がクロムンドの前に立ち、
「ひとまず、落ち着かれよ、道場主殿」
と、刀を優しく取り上げた。
「……、真剣勝負だった」
ウラードはしっかりと剣を抜いていた。見た限りでは、おそらくウラードが抜いたほんの一瞬の隙をついた、ということであろうか。
「ひとまず、工房へ戻ろう。話はそれからだ。レダラスもな」
四人は工房に移り、レベリウスはそれぞれ椅子を用意した。
孫六はクロムンドの血刀を洗い、脂を拭きとって刃こぼれを確認した。
「よほど、うまくかみ合ったようだな」
孫六は驚いた。刃こぼれ一つなかった。さらに油を差して手入れをした後、刀を元に戻して、クロムンドに渡した。
「すまない」
「今なら、わけを聞いてもよかろう?」
孫六に促されて、クロムンドは事の次第を話し始めた。
それは、半周期ほど前の、水の期の中頃だった、とクロムンドは言う。
「これが届いたんだ」
と、孫六に渡したのは、一通の手紙であった。当然ながらすでに封は切られている。
「中を読んでも?」
「構わない」
手紙を読もうとした孫六はすぐにレベリウスに渡した。
「目が悪いゆえ、読むことが出来ん」
といったが、実際のところは、ミレバル王国の文字を全く知らないため読めない。レベリウスが代わりに読み進め、
「要するに、斬られたウラードっていうのが、先生と一対一で果し合いをする、ということでいいんですか?」
と問うと、そうだ、とクロムンドは頷いた。
「なんで、このウラードって人が、先生と試合をするってことになったんです?」
「……、ウラードは、昔、同じ師についていた仲間だった」
クロムンドがいうには、ウラードとは同じ日に同じ道場の門をたたいた弟子で、ウラードとクロムンドは互いに競い合い、剣の腕を高め合う間柄だった。一方で道場をはなれれば、町に繰り出して酒を飲んだり、酔っ払いの仲裁をしたり、と兄弟のような中の深い付き合いをしていた。
「そんなときのことだ」
剣の師はかねてから病気がちで、いずれ、誰かが道場を継がねばならない。そこで、候補に立ったのが、クロムンドと、ウラードだった。
道場の弟子たちは、クロムンド派と、ウラード派とで真っ二つに割れ、このままでは、道場は瓦解する、と、クロムンドは考えたらしい。
「私は、後のことをすべてウラードに任せて、逃げるようにしてこの町にやってきたのだ」
「それが、先生のこの町にきた理由。……」
そうだ、とクロムンドはレベリウスにうなずいた。
「なぜ、道場を継ごうと思わなかったのかね?道場主殿ほどの剣の腕であれば、継いでもよかったのではないかな」
孫六の疑問に、クロムンドは頭を振った。
「そうはいかなかった。……、私には、道場を継げない理由がある」
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