夕暮れの帰り道

 作戦開始二日目。


 三限目は美術で、美術室に移動しないといけない。


(これは、さりげなく朝霧くんと行動を共にするチャンス!)


 私はゆっくり必要な道具をまとめている朝霧くんに笑いかけた。

 

「朝霧くん、美術室まで一緒に行かない?」

「……ん」


 視線が痛いってこういうことを言うんだな……。どこをとっても普通女子の私には無縁の言葉だと思っていたんだけど。そういえばそんな時期もあったね、と、私は遠い目で乾いた笑いを漏らした。


 一階の右端に位置する二年一組から、三階の階段のそばにあり美術室までは、結構な距離がある。だから大体の人たちは、数人でまとまっておしゃべりをしながら移動するのだ。


「朝霧くん、美術は好き?」

「……別に。嫌いではない」

「そうなんだ。私は美術好きだよ!絵を描くの得意なんだー。将来はアニメーターになりたいの!まだ趣味の範囲だけど、色々勉強してるよ」

「……そう。すごいね」

「え?えへへ、ありがとう!全然すごくないけどね。まだまだへたっぴだし……でも、小さい時からの夢を叶えたいから、頑張ってるよ!」

「……恋塚さんは、すごいよ。将来のこととか、考えてて……」


(わ、恋塚さんって呼んでもらえた!名前、覚えてくれたんだ。うれしいなあ)


 というか、朝霧くんは死神なんだし、そのまま死神という仕事(?)を続ければいいんじゃないのかな?

 私も明確な将来のビジョンがあるとかじゃないから、なんか褒められると居心地が悪いな……。いや、すごくうれしいけどさ。

 私のことをほめてくれるのなんて、アキくらいだし。アキもツンデレだからたまにだし、ザクロは最近反抗期(?)だからね。


 そうこうしているうちに、美術室へたどり着いた。

 席順は教室と変わらないので、迷わず自分の席を見つけることができた。


 美術担当であるおっとりした美人さんのナミ先生が入ってきて、授業が始まった。

 


 ◇ ◇ ◇


 

 午後の授業も無事に終わり、放課後。


 ホームルーム終了と同時に席を立った朝霧くんに「待って!」と声をかけると、新品のカバンを肩にかけた朝霧くんは「……何?」と面倒そうに振り返った。


「帰り道、途中まで一緒だよね?ちょっと話しながら帰ろうよ」


 殺される未来を回避するために、朝霧くんと仲良くなりたいんだ。下心が満載だね……。


 朝霧くんはゆっくり二回瞬きして、「いいよ」と言ってくれた。


 もう女子からの殺人視線には慣れてきた。人間の適応能力ってすごいんだなあとしみじみする。この数日で、私の心はだいぶ強くなったのではないだろうか。


「じゃあ行こうか、朝霧くん」

「ん」


 おおよそ好意的ではない不特定多数の視線にさらされながら、校門を出る。


 もう少しで五時のサイレンが鳴る夕暮れ時、かすかにオレンジに染まる茜空を、二羽のカラスが大声で鳴きながら飛んで行った。


(えーっと、こういう時って何を話したらいいの!?考えてみたら、男の子と二人で帰った経験なんてないじゃん、私!)

 

 しばらく、無言の時間が続く。


 気まずい沈黙に耐えかねたわたしが、とにかく何か言わねばと口を開きかけた時、朝霧くんが口火を切った。


「……恋塚さんは、どうして俺を気にかけてくれるの?」

「え?えーっと、朝霧くんは新しいクラスメイトだし、席も近いし、仲良くしたいなって思ったんだよ」


 嘘です。完全に下心です。だって死にたくない。まだこの世に生まれ落ちて十六年しか経ってないんだもん。もう少し、この世の春を謳歌させてほしいなあなんて……。


 本音を隠してにっこり笑うと、朝霧くんは不意にうつむいた。耳にかかっていたキレイな黒髪が、サラリと一房流れて、人形のように整った顔面に影を作る。


「……みんなが俺のこと避ける中で、恋塚さんは俺に話しかけてくれた」

 

(いやそれたぶん、みんな朝霧くんを避けてるんじゃなくて、朝霧くんが眩しすぎて近寄れないんだよ!なんかファンクラブの子たちが牽制して回ってるってウワサもちらほら聞くし……)


 返答に困った私が何も言えないでいると、朝霧くんは俯けていた顔を上げた。

 透き通った瞳に、私と夕焼けが映り込んでいる。西日に照らされた朝霧くんは、死神なんかじゃなくて天使なんじゃないかと錯覚するほど美しくて、私は息を止めた。


「だから……ありがと」

 

 朝霧くんはそう言葉にして、控えめに微笑んだ。


 ずっと無表情だった朝霧くんが、私なんかが話しかけただけでこんな笑顔になってくれるってことは、他の学校でも、朝霧くんが次元を超越した存在過ぎて誰も積極的にコミュニケーションを取ろうとしなかったんだろう。


 推しのシオンくんにそっくりの朝霧くんの激レアな微笑みを独り占めした私の心は浮かなかった。


 私はただ、自分が死にたくないから、朝霧くんに殺されたくないから、朝霧くんと仲良くしたいって思ってる。打算まみれの、偽りの関係ってこと。

 ああ、私って、なんて嫌な子なんだろう。私なんかが作り笑顔で話しかけただけで、朝霧くんはこんな笑顔を見せてくれる。

 純粋無垢な少年を騙したような、暗く不快な気分になって、私は無性に自分に腹が立った。


「……私の家、ここだから。一緒に帰ってくれてありがとう、朝霧くん。また明日ね」

「ん……ばいばい、恋塚さん」


 てくてくとまっすぐ歩く朝霧くんの背中を見つめる。朝霧くんが角を曲がって、姿が見えなくなったところで、私は無意識に言葉をこぼした。


「……ごめんね」


 真っ赤な夕焼け空を、カラスが一羽、声を出さずに地平線の彼方へ飛んでいくのを、私は黙って眺めていた。

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